2008年5月23日

5月25日週報に掲載

 最近「グリーフ ケア」という言葉が注目されている。「グリーフ」とは「悲嘆」という意味である。悲嘆の原因として、愛する対象との別れという「喪失体験」が考えられている。もちろん愛する人が亡くなるという喪失を筆頭に、可愛がっていたペット、思い出のある家を火災で喪失した、引越しなどで人間関係を喪失した、あるいは健康を喪失した、という様々な喪失体験があります。
 どれにも相応の「悲嘆」が伴います。ここで明らかにしたいことは、悲しむことは人間として自然な反応だということです。しかし、幾つかの誤解があります。「信仰の強い人は悲しまない。愛する人を失っても天国の希望があるから笑顔でいられるはずだ。悲しんでいるのは、信仰が弱いからだ」これは全くの誤解です。あるいは「男は泣くな」と言われますが、どんな理由でも悲しむことを禁止されたり、否定され、充分に悲しむことが出来ないということは、とても辛いことです。あるいは、生きていくためには、悲しんでなどいられない、という状況の中で涙をぐっと堪えて生きて来た方もいるかもしれません。
 だからこそ、イエスの「悲しむ者は幸いだ」という言葉が心にしみます。悲しむべき時に悲しめる、涙する時に涙を流せる、それは幸いなことなのです。ですから立場を変えて、私たちは悲嘆にある人に接する時にも、悲しみをなくそうとしないで、充分に悲しませてあげることが大切です。そうすることで、喪失を乗り越えて生きる力が出てくるのです。

「イエスは悲しみの人」であると聖書に記されています。だからイエス様は悲しむ人を慰めてくださるのです。

関真士牧師

0 件のコメント: