2008年12月19日

12月21日週報に掲載

 今年もクリスマス礼拝の時を迎えることが出来ました。クリスマスに対する思いも、人それぞれでしょう。先週お証をしてくださったとしさんは、子供の頃からクリスマスがこの世から無ければいいと思っていたそうです。それは、クリスマスが孤独と疎外の時だったからです。しかし、去年のまさにクリスマスの時に、神はとしさんを抱き上げて神の子にしてくださいました。

 今日も、共にクリスマス礼拝を捧げましたが、一人一人が今どんな思いで、この時を迎えているのでしょうか。一緒に喜べる、賛美できる、それがどれだけの恵みなのか、改めて感謝に溢れます。そして全ての人が、このクリスマスを喜べるようにと願います。その喜びは、プレゼントやご馳走の中にあるのではありません。神が人となってお産まれくださったという、この出来事の中にこそ神の愛があり、これこそ喜びの源なのです。

 マザー・テレサがニューヨークにホームを設立しました。なぜこの大都会に? という質問に対してマザーは次のように答えました。「ここには、孤独という貧困がある」と。マザーが来日した時、日本は世界で最も貧しい国だと言いました。それは最も孤独があるということです。

 本当に自分の存在を知り、耳を傾け、理解し、受け入れてくれる存在はどこにあるのでしょうか。
「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」(ヨハネ1:14)
 クリスマスは、神が私たちと共にいてくださるという印です。人は誰しも孤独だといいます。しかし、イエス・キリストは、その孤独のただ中にこそ、お生まれくださるのです。

関牧師


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