2009年5月16日

5月17日2009年の週報に掲載

 今私は男性向けの「Daer to be You」に参加しています。4回のセッションの2回目が終わりました。今一度、自分と父なる神との関係、赦しについて深く考える機会となりました。
 普段は、教える側が多く、いつの間にか教えるために学ぶようになってしまいがちです。今回は、頭で理解していることと、本当に自分のものとなっていることを見極めて、今一度自分を見つめてみたいと思います。

 昔は、自分を知ることは怖いことでした。本当の自分の弱さや欠点などを出来るだけ見ないようにして、理想的な自分を一生懸命に演じていました。でも、父なる神を知ってから、自分を知ることが怖くなくなりました。それどころか、自分の弱さや欠点、罪深さが分かるほど、神の愛と赦しの深さが分かるようになりました。

 自分で自分のことは分からないものです。牧師館のバスルームにある横長の鏡は、真正面と端横では映る形が違います。顔が太かったり、痩せたり見えます。痩せたいときは、端っこで自分の顔を見ると安心できる便利な鏡です。
 でも実際の自分の顔はどちらが正しいのだろうか? よく考えると私たちは本当の自分の顔を知らないのかもしれませんね。鏡やビデオに映っている姿は実際とは違うことがあります。

 どの自分が本当の自分なのだろうか? それは他人の目でも、鏡に映る自分でもなく、神の目に映っている自分です。神の目にどう映っているのか、それが本当の自分です。わたしの目には、あなたは高価で尊い。

関牧師



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