2009年11月20日

11月22日2009年の週報に掲載

 1620年12月26日、イギリスの清教徒たちが、信仰の自由を求めてメイフラワー号でアメリカのマサチューセッツ州プリマスに到着しました。上陸したのは102名(男78、女24)でしたが、そのうちの約半数が厳しい寒さと飢えのために命を落としました。

 生き残った人たちは、先住民であるネイティブ・アメリカン(インディアン)に狩猟や農耕を教わり、その秋にはたくさんの収穫を得ることが出来ました。人々は教会に集い、収穫を喜び、神に感謝を捧げたのです。その集いには、恩人であるインディアンたちも招かれました。インディアンたちは、お礼に七面鳥や鹿の肉を持って来ました。そして、彼らは共に、3日間に亘って祝いの時を過ごし、神に感謝を捧げ、讃美歌を歌ったのです。これが感謝祭の始まりです。

 しかし後の時代になり、この感謝を忘れた人々は、インディアンを虐殺し、土地を奪っていったのでした。私たちが感謝の心を忘れ、すなわち「高ぶる」時に、必ず人は傷つけ合うようになるのです。

 感謝の心、それは神の恵みを理解するところから生じます。もらって当然と思っている時には、決して感謝の心はわいてきません。しかし、当然のことが当然ではないと気づかされるとき、それが神の恵みだと分かるとき、神への感謝がわいてきます。私たちは、生きているのではなく、生かされているのです。

関牧師



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