2010年4月22日

4月25日2010年の週報に掲載

今日は娘の喜歌と息子の光輝の洗礼式です。15歳と10歳になります。私は20歳の12月に洗礼を受けました。それから25年が経ち、自分の子供たちが洗礼を受けるという、私と妻の人生にとって、最も大きな祝福です。


牧師の家庭ということで、出来るだけ子供に信仰的なプレッシャーをかけないように、自分の意志で選べるようにと配慮してきたつもりですが、子供にとっては、それでもプレッシャーがなかったということはないでしょう。牧師の子供として、教会のありのままを見てきて、また家庭における両親の姿も見てきて、それでも主を信じたということは、これは福音そのものの力、主の恵み以外の何物でもありません。

1たす1が2になるのが当然ですが、信仰と恵みの世界には、計算を超えた事が起こるものです。1たす1が100にも1000にもなるのです。

洗礼はゴールではなく、始まりです。イエス様の弟子としての歩みの始まりです。弟子とは、師の近くにいて、師から直接に学ぶ人のことです。「あなたはイエスの弟子ですか?」と聴かれて「はい」と答えたいですね。私たちの師であるイエス様は、命をかけて弟子を守り、導き、教えてくださいます。イエス様の弟子であることを誇り、喜びましょう。                   

関牧師


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