2010年9月30日

10月3日2010年の週報に掲載

礼拝で「使徒信条」の連続メッセージをしています。一言、一言に重みがあります。今日は「陰府にくだり」ですが、同じ「よみ」でも「黄泉」という漢字もあります。口語訳では「黄泉」、新改訳は原語のまま「ハデス」、新共同訳は「陰府」となっています。「黄泉」は、日本神話から出てきた言葉で、地下の泉という意味から、地下にある死者の世界を現す言葉になったそうです。「黄泉」では、聖書の現す「ハデス」を充分に表現できないので、「陰府」と現在ではなっています。

「陰府」と「地獄」(ゲヘナ)とは違います。陰府とは、最後の審判を受ける前の待機所みたいな所のようです。地上でイエスを信じた者は天国へ、そうでない者は最後の審判の時まで陰府で待機するということです。

この陰府において、イエスを信じるチャンスがもう一度あるという説と、それはないという説の二つがあります。これを「セカンドチャンス」と言いますが、それがあるのか、ないのか?

聖書は、基本的には今生きている私たちが、この地上でイエスを信じるかどうかに焦点が当てられているので、セカンドチャンスについては断定できる聖書的根拠は充分ではありません。しかし、福音を聴くことなく亡くなった方や、幼子たちを考えると、そこに神の恵みがあって当然と思います。            

関牧師



2010年9月23日

9月26日2010年の週報に掲載

連日のように報道されていた日本の暑さも峠を越えて、秋の気配がしてきたようです。ここハワイでも、なとなく秋の気配がしてきました。ハワイ生活5年半で、微妙な季節の変化も分かるようになってきました。

その季節の変化を感じさせてくれるのが風の匂いです。皆さんはどうなんでしょうか? 私の場合は風の匂いにとても敏感です。そして風の中に、様々な風景が浮かんできます。ほとんどが子供の頃の風景なのですが、友達と真っ黒になるまで遊んで、家に帰る途中の夕暮れ時の風景、夏祭りの終わった夜道で感じた秋の訪れ…。

日本にいた時には、そうでもなかったのですが、ハワイに来てから、風の中にとても懐かしさを感じたり、風景が浮かんだりするのです。とにかくハワイの風が大好きです。しかもフリーです。まさに神の恵みです。

神の聖霊は風に譬えられますが、その時、その時に吹く聖霊の風も私たちの心に語りかけてくださいます。そして天の父の懐へと私たちを導いてくださいます。

さて、また一ヶ月ほど、教会を留守にします。その間、どのような賜物が新たに発見され、教会がキリストの体として成長するか楽しみです。聖霊の吹くままに全てを任せていきます。

関牧師



2010年9月17日

9月19日2010年の週報に掲載

とうとうやられてしまいました。車上荒らしです。話にはよく聞きますが、自分が経験したのは初めてです。しかもドンキの駐車場でした。運転席のカラスを破られて中にあった喜歌のバッグと光輝のスクールバッグが取られました。喜歌は若干の現金とお気に入りのバッグ、ギフトカードなど、光輝は宿題です。最初はしょげていた光輝も、これで今日は宿題をやらなくていいと分かると途端に元気になったそうです。

でも、帰りの車の中は、賛美の大合唱になりました。これも大いなる祝福の前触れと分かるからです。そしてバッグは奪われても、「あなたがの喜びを奪い去るものはない」ヨハネ16:22 と約束されているからです。

さて、話は変わりますが、中村裕二先生が待望のCDをリリースしました。ガンとの闘病の中で「天から賛美が降ってくる」という経験をされ、生み出された12曲の賛美です。聖歌、讃美歌に収められている賛美の多くは、苦難の中から生まれたものばかりです。だからこそ、主の臨在が鮮やかにされるのでしょう。そして多くの苦難にある方々を賛美を通して主の臨在の中に導き入れるのでしょう。

どんな中になって、決して奪い去られないものがあります。それは喜びです。なぜなら主の恵みは、そこにもあるからです。『聖霊の風が』の賛美が、豊かに用いられますように祈ります。

関牧師



2010年9月8日

9月12日2010年の週報に掲載

ホノルル発 日本宣教旅行が近づいてきました。 宣教の業は、教会の業です。 その意味では、実際に日本に行かれない方々も、宣教チームの一員です。 教会が自体が宣教チームです。 どうぞ、この宣教の業に祈りをもって参加してください。

私たちは、キリストの体の一器官ですから、それぞれに尊い主の働きが委ねられています。 目立つもの、目立たないもの、伝道的なもの、教育的なもの、教会内のこと、教会の外での活動、実に様々です。
働きの内容は多様性がありますが、目的は一つ、キリストの福音を伝え、キリストの栄光を現すことです。

最近、また新たに学生向けのバイブル・スタディも始まり、また高齢者ミニストリーも始まります。 祈りのミニストリーは現在進行中です。

「あなたがたは光のある間に、光の子供となるために、光を信じなさい。」 (ヨハネ12;36)

福音を伝えるという宣教の期間は、無限ではありません。 福音を語ることの出来る期間は限られているのです。 主の再臨の時まで、そして私自身の地上での生涯の時までです。 どちらが先かは分かりませんが、いずれにしても限りがあるのです。 だからこそ、私たちは語ることの出来る「今」この時に語るのです。

関牧師



2010年9月3日

9月5日2010年の週報に掲載

私たちの天の父は、本当に単純な、幼子の祈りに応えてくださる方です。

このたび、10月に残り一ヶ月のサバティカルを取得する予定で、その期間に宣教チームとして日本に行くことも入っていました。私はどうしても、家族も日本に連れていってあげたいと思っていましたが、家族6人となるとさすがに無理だと半ば諦めていました。

そんなある日の夕食時、とにかく神様にはっきり祈ろうということになって、家族みんなで「どうか家族全員で日本に行けるようにしてください!」と祈りました。
その数日後、ミラクルが起こって日本に行ける道が開かれ、続いてミラクルが重なって、あれよあれよという間に日本に行けることになりました。 10月4日~25日 私は途中で宣教チームに合流したりしますが、れいのお母さんのん納骨、私の父の一周年などがあります。

私以外は5年ぶりの日本とあって、かなりの興奮状態にあります。特に光輝は一年前から、朝に夕に日本行きを祈っていて、えっ?と思うくらいに捧げたりして、彼にとって祈りに応えてくださる神を体験した良い機会であったろうと思います。

私たちての天の父は、神の子供たちの祈りに必ず応えてくださいます。 祈った通りにならなければ、それが神からの応えです。 だからこそ安心して何でも求めることが出来ます。 大胆に祈りましょう。

関牧師