2010年12月30日

1月2日2011年の週報に掲載

新年明けましておめでとうございます。

10月にシアトルでお世話になった芦沢さんから次のような話を聞きました。芦沢さんが参加している聖書の学び会でのこと。その会をリードしているのは90歳を過ぎた老聖徒、彼は50年以上を日本の宣教師として働いてこられました。彼が参加者に質問したそうです。「聖書が書かれた目的は何ですか?」

老聖徒の答えは、「神の喜びのため。神の喜びは、あなたが神のもとに帰ってくることです。それが聖書の書かれた目的です。私の救いのために、私への愛のために、私の癒しのために、私が主に従うためにではなく、神の喜びのためなのです。私の孫、ひ孫が、私の足にハグしてくる、私にとって最も大きな喜びです。彼らは、私と何の取引もしません。何の仕事も報酬もありません。ただ私のもとに来ます。それが私にとっての最も大きな喜びなのです。」

先回のメッセージでは、悲しみと憂いが喜びと楽しみに変えられというテーマで語りましたが、私たちの本当の喜びは、父なる神の喜びにあるのです。父が放蕩息子を走り寄って抱きしめたように、この父なる神の喜びこそが、私たちの喜びとなるのです。

さて、新しい一年が始まりました。今年の年間聖句はエペソ書3章14節~21節にあるパウロの祈りです。人知をはるかに超えたキリストの愛の中に深く根をおろした者となり、満ち満ちた教会として成長していきましょう。

関牧師



2010年12月24日

12月26日2010年の週報に掲載

2010年最後の週報です。今年一年を漢字一文字で表現するイベントがありますが、今年は「暑」でした。去年は「新」一昨年は「変」その前は「偽」でした。この一文字に世相が表れていますね。

しかし、気候がテーマになったのはあまり無いと思います。それほど日本の夏は「暑かった」のですね。猛暑、酷暑と言われ、もはや熱帯です。

ハワイに住む私たちは、その点、本当に恵みをいただいています。今さらながらハワイの気候の良さに感謝しています。
今年一年も、皆様のお祈りによって支えられ、守られた一年でした。心から感謝をいたします。私自身は、どれだけ皆さんに愛をもって仕えることが出来たかと考えると反省しきりです。私の気づかない所で、私の言葉や態度で傷ついた方がいるかもしれません、主にあってお赦しください。私もまだ工事中の身、さらに主のお役に立てる、そして皆さんにキリストの命を届けることの出来る器として、整えられていきたいと思います。どうぞこれまでに増して、さらにお祈りください。

今年の年間聖句は、「悲しみが喜びに――」でした。色んなことがあった一年でしたが、一人一人が、悲しみが喜びに変わる、主に慰められるという経験をされたことでしょう。主から語られ、それが答えとなり、悟りとなる。その経験が私たちの宝となります。

関牧師



2010年12月18日

12月19日2010年の週報に掲載

メリークリスマス! 救い主イエス・キリストのご降誕を心より喜びます。イエスがこの地上に来られたことの意味を想い、アッシジの聖フランシスコが捧げた「平和の祈り」に心を合わせましょう。

ああ主よ、わたしをあなたの平和の道具にしてください。
憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように。
  争いのあるところに赦しを、
  分裂のあるところに一致を、
  疑いのあるところに信仰を、
  誤りのあるところに真理を、
  絶望のあるところに希望を、
  悲しみのあるところに喜びを、
闇のあるところに光をもたらすことができますように。

ああ主よ、わたしに、
  慰められるよりも、慰めることを、
  理解されるよりも、理解することを、
愛されるよりも、愛することを求めさせてください。

  わたしたちは与えるので受け、
  赦すので赦され、
自分自身を捨てることによって、永遠の命に生きるからです。
                        アーメン

関真士牧師



2010年12月10日

12月12日2010年の週報に掲載

久しぶりに喉がつぶれてしまいました。風邪気味で喉の調子が良くない中で、思いっきり話したものだから、夜の第三礼拝では、声が出なくなってしまいました。

でもこのしゃがれた声も、なんだか渋くていいなと思ったりします。私が小学校4,5年生くらいだと思うのですが、生まれて初めて買ったレコードが森進一でした。何とも渋い好みですが、「襟裳岬」という歌でした。それもあるのか、ハスキーな声もいいなと思います。

廻りで風邪がずいぶんと流行っているようです、手洗い、うがいを心がけて、元気に年末年始をむかえましょう。

今年もクリスマスと年末に向けてイベントがあります。日本にいた頃のある年は10を越えるクリスマスのプログラムを持ったことがありました。そうなると、もう自分が何をやっているんだか? もうクルシミ(苦しみ)マスになってしまいます。

ハワイでは、そこでまでではありませんが、普段よりも忙しくなります。プログラムをこなすのではなく、その一つ一つに、身体は忙しくても、心には静けさを持ちながら、心から主を礼拝しましょう。

マリヤが産気づいた時「宿屋には彼らのいる場所がなかった」と聖書には記されています。忙しすぎて、そんなことがないように。この時期、まず何よりも、イエスの居場所を自らの内にしっかりと確保して、奉仕に励みましょう。

関牧師



2010年12月3日

12月5日2010年の週報に掲載

さて師走に入りました。師走とは、僧侶も走るくらいに忙しいという意味ですが、別の解釈もあって、師とは昔の中国の「師団」つまり軍隊を意味しているということです。軍隊の兵士たちには農民たちが多くいました。彼らを故郷に帰さないと食料がなくなってしまいます。そこで、この時期に、兵士たちを一時的に自分たちの故郷に帰すことを、師走と表現したとのことです。

兵士たちは、一時の間、戦場にある戦いの日々から解放されて故郷に帰り、本来の仕事に戻ることが出来たのです。彼らにとってそれは、束の間の安息の時であったろうと思います。

この二つの師走の理解は正反対です。かたや最も忙しい時であり、一方では安息の時なのです。確かに私たちにとって、この12月は忙しい時です。しかし、その中にあっても、主の御前に静まり、この一年を振り返る、そんな時にもしたいものです。

プライベートな面でも、教会の活動においても、忙しくなる時期です。「忙」という字は、「心を亡ぼす」という意味です。忙しい中にも、心を生かす一時、それは神との交わり、つまり祈りの時を大切にしていきましょう。

そしてクリスマスの時期の、ひとつ一つのプログラムがただのイベントではなく、まさに聖霊の働かれる、神の業が起こる時となるように、期待し、祈りましょう。

関牧師