2010年2月26日

2月28日2010年の週報に掲載

牧師館の庭にパパイヤの木がありました。 たくさんの実をつけて楽しませてくれました。 木が高くなってきたら光輝がするすると登って収穫をしました。 でもとうとう、木が高くなり過ぎて届かなくなってしまい、ボールを投げて当てて落としたりしていました。

せっかくの美味しそうな実が、ほとんど鳥の餌になってしまいました。 鳥さんは大喜びだったでしょう。

収穫には時があります。 早過ぎてもいけないし、遅すぎると取られてしまいます。

イエス様は「収穫は多いが、働き人は少ない」と言われました。 どんな心で言われたのでしょうか?

ある意味で、常に働き人が少ない、という状況はあるのでしょう。 なぜならいつの時代でも収穫の方が常に多いからです。 だから、常に祈り求めていくのでしょう。 収穫のための働き人が与えられるように。

長年、日本とアメリカで放送されていたハーベストタイムがそのTVの働きを終えます。 まさに「収穫の時」という意味の番組でした。 でも収穫の時は続きます。 「収穫は多い」のです。 働き人は必要です。 ずばり!伝道のために情熱をもって働く人が求められています。

共に魂の収穫の喜びを体験しましょう。

関牧師




2010年2月19日

2月21日2010年の週報に掲載

先日の執事会で、I-CHURCH という発想が提起されました。
このIは、愛のI、そしてインターネットのIです。

ホノルルには日本から大勢の方々来られます。一年に複数回、あるいは三ヶ月間の滞在者、それらの方々の中で、ホノルルに来る楽しみの一つにホノルル教会の礼拝参加を入れてくださっている方々が大勢います。 わざわざ、ホノルル教会のスケジュールに合わせて来られる方もいます。

そのような方々の中で、主イエスを受け入れる方々が起こされています。日本ですでに教会に通っておられる方には、当然日本の教会で洗礼を受けることをお勧めします。 また、日本での教会生活の実態がない方々には、日本の住居の近隣の教会を紹介するようにしています。 そこで定着して洗礼に導かれれば、それがベストです。

しかし、主イエスを受け入れた方の中で、日本の教会に定着できずにいる方、あるいは自分はホノルル教会のメンバーだという自覚を持っている方がおられます。
そのような方々のフォローを考えている中で、I-CHURCH構想が生まれました。 あくまで教会の交わりを大切に考えて、日本の教会に定着できることを願いながら、一方で現代のインターネットを利用して、もっと積極的なフォローが出来ないかと考えています。 さあ、この構想がどう育っていくか? お祈りください。

関牧師



2010年2月11日

2月14日2010年の週報に掲載

 このたび、日本から高橋敏夫先生が来布され、メッセージのご奉仕をしてくださいます。先生が牧会される春日部の教会には、なんと「在主庵」というお茶室があるそうです。これは日本でも珍しいと思います。高橋先生は、表千家の茶道教授としても活躍され、千利休の直弟子であり、キリシタン武将であった高山右近の研究家でもあります。

 茶道は、日本文化の粋を集めたもので、茶道を通して見る日本文化、そしてキリスト教との接点には、大変に興味深いものがあります。茶道の中に、驚くほど当時のキリシタンの影響が隠されていますし、日本宣教と日本文化の関わりを考える上で、大きな示唆を与えてくれます。

 茶道には「一期一会」という言葉があります。私の好きな言葉の一つです。この出会いは、一生の内で最初で最後かもしれない。私たちには明日のことは分かりません。今のこの出会いは、二度とないかもしれないのです。そのような思いが、この言葉に込められています。これは、茶道のおもてなしの心の原点であろうと思います。

 この礼拝にも一期一会の心で集いたいと思います。主との出会いも、また兄弟姉妹との交わりも、明日が分からないからこそ「今」の出会いを大切にしましょう。二度は繰り返さない時の流れの中で、「今」という永遠の出会いがここにあります。「今」語られている神の言葉、注がれている神の恵みをしっかりと受け取りましょう。

関牧師




2010年2月5日

2月7日2010年の週報に掲載

 先週は、これからのホノルル教会の目指す所を、これまでの教会の歴史を振り返りながら発表しました。教会の成長を階段を昇るように考えれば、次のステップは何かを知ることはとても重要なことになります。

 健康のためには、階段の一つ飛ばしは良いのですが、成長として考えると、階段を一つ、二つ飛ばして上に昇っていくと、どこかでつまずいて転落してしまいます。成長の段階を、一つ一つしっかりと踏みしめて、前に進んでいきたいと思います。

 そして、これからの段階を「教会形成期」と名づけました。私たちがキリストの体として結び合わされ、体として考え、行動できるようになることです。そのためには、まず個人として天の父との人格的関係の確立、そして教会生活を通して、隣人との関わりを通して、教会がキリストの体であることを体験的に学ぶことです。

 教会が成長するために、まるでREDBULLを飲むかのような、即効性のある、マジックのようなものはありません。成長の秘訣は、とても地道な基本の繰り返しにあります。

 ただ大切なことは、成長を望むこと、成長を信じること、成長を期待することです。そして何のために成長するのか? 主の御心を充分に行うための成長です。この目的をしっかりと見据えていきましょう。さらに、そのまた次の段階は? すごいことになりそうです。

関牧師



2010年2月1日

1月31日2010年の週報に掲載

 私は、毎年恒例の牧師リトリートに参加してきました。LA郊外にあるカトリックの修道施設で持たれました。といっても、この文を書いているのは、リトリートに行く前なのですが。

 信仰をもって、素晴らしいリトリートであったと言わせていただきます。

 「リトリート」これは日常から離れ、自分を見つめ、新たな出発をするという、仕切り直しの時でもあります。イエス様は、しばしば、荒野や静かな所に一人で退いて祈りました。これがリトリートです。

 今の多忙な時代に、そんな時間を持つことは困難と感じる方もいるでしょう。しかし、だからこそ、静まる時が必要なのです。そのリトリートで何があるかと言えば、それは神との交わりです。神の御声に耳を傾け、神に語りかける、それがリトリートの時です。

 一度立ち止まって、足元を見つめ、そして主を見上げて、仕切り直しをする。これがないと、簡単にこの世の中の流れに翻弄されてしまいます。

 教会では、4月2日(金)のグッドフライデーの夜から土曜日まで、一泊のリトリートを計画しています。そこで、一人一人が、より深く、豊かな主との人格的関係を持つことが出来るようにと願っています。

 私たちの信仰も、教会全体の歩みも、この天の父との人格的関係から始まります。そのためにこそ、リトリートを大切にしましょう。一日の中で、一週間の中で、一年の中で、天の父との深く豊かな交わりの時を持っていきましょう。

関牧師