2011年12月28日

1月1日2012年の週報に掲載

さて、新しい一年が始まりました。今年の年間聖句は「あなたの僕たちに、御言葉を大胆に語らせてください。」使徒4:29に導かれました。
大胆に似ているけれども違うもの、それは無謀、無策、無責任です。「大胆」というギリシャ語はパレーシアです。これは「真理を公然と率直に語る。」という意味です。そしてある辞書には「言いたいことを自由に大胆に全部言えること、大胆な自由、人をはばか
らないこと」などとあります。

あくまでも、確かな意志と理解という慎重さのもと、真理を自由に語ることが、「大胆」ということです。

「大胆」の反対語は何でしょうか? 失望落胆、臆病となります。つまり「恐れ」です。

聖書の登場人物を見ると、なるほど、みんな大胆です。アブラハムも知らない土地へ踏み出し、モーセは紅海に杖を向け、ヨシュアは濁流のヨルダン川へ足を踏み出し、ダビデは裸で踊り狂い、パウロはもちろん、ペテロもヨハネも「人々は二人の大胆さに驚いた」と言われました。そして何より、イエス・キリストこそ大胆なお方でした。どんな場でも、状況でも、真理をそのまま語りました。そして「わたしが道であり、真理であり、命である」と語りました。何という大胆さでしょうか。
この一年、恐れのない信仰、大胆な信仰を求めていきましょう。

関牧師

2011年12月22日

12月25日2011年の週報に掲載

2011年も後わずかとなりました。この一年間、愛する兄弟姉妹と共に礼拝を捧げ、共に奉仕し、共に祈り合うことができたことを心から主に感謝いたします。

日本では、2011年の言葉として「絆」が選ばれたそうです。東日本大震災を通して、改めて「絆」を意識した年となりました。

さて、もしホノルル教会の2011年の歩みを一文字で現すとするなら? どうでしょうか?
「望」 私の頭に直感的に浮かんだのは、この文字でした。この年は、多くの兄弟姉妹を天国に送りました。7回の葬儀を行いました。その度ごとに、天国の希望が確かなものになりました。

また、教会が整えられていることの確かな手応えを感じました。必要とされてきてミニストリーに、喜びをもって仕える働き人が与えられました。望みがかないました。まだ空の器がありますが、必ず必要な働き人が起こされるという望みは確かです。

夢と幻を描ける教会、希望を持てる教会、そんな教会でありたいと思わされます。
「あなたの将来には望みがある。」エレミヤ31:17

2012年の鍵語は「大胆」です。詳しくは会報の巻頭言をご覧ください。すでに「恵みは十分」です。大胆に信仰を踏み出しましょう。モーセのごとくに、ヨシュアのごとくに。そこに聖霊の満たしという恵みが注がれるのです。

関牧師

2011年12月16日

12月18日2011年の週報に掲載

今日の礼拝では村田夫妻が証しをしてくださいます。結婚12年目に起こった試練、そして回復を証してくださいます。

神が人類を創造した時、まずアダムという男性、そしてエバという女性を創造されました。この二人は、夫婦であったということは意味の深いことです。

血のつながりのゆえに、夫婦よりも親子の関係が重要視されることがありますが、すべての人間関係の始まりであり基本は「夫婦」です。

社会学者が言うように、社会を構成する最小単位である家族が滅びればその社会も滅びる、とは決して言い過ぎではありません。そして、その家族を構成する要は、親子ではなく、夫婦なのです。

しかも夫婦とは、「神のかたち」(創世記1:27)なのです。夫婦を通して、神の栄光、祝福が現されるのです。だからサタンは夫婦を壊そうとします。この世には、夫婦を壊そうという力が強く働いています。

夫婦の関係が回復すること、これにまさる喜び、祝福はありません。しかし、また夫婦関係を維持することが困難であり、回復ができなかったというケースも多々あります。離婚という痛みへの癒し、そして人生の回復、すべてを益と変えてくださるという主の恵みがあることを覚えます。

一番の願いは、夫婦の回復と祝福です。しかし、たとえ離婚という結果になってしまっても、そこからの回復と祝福もまたあります。神の恵みは2重3重に張り巡らされているものです。

関牧師

2011年12月13日

12月11日2011年の週報に掲載

127日は、旧日本軍による真珠湾攻撃の70周年の日でありました。ここハワイから、世界大戦の口火が切られました。東西の真ん中に位置するハワイは、戦略上とても重要な位置を占めていたのです。

癒しの地と言われる、この美しいハワイが傷つき、その痛みは世界に拡がりました。その痛みをもたらした当時者は、まさに日本でありました。そして日本人である自分が、今ハワイに住んでいるという事実に、神の計りしれない御心があることを思います。 

真珠湾攻撃の攻撃隊長であり。歴史的な「トラトラトラ」を打電した淵田美津雄大佐は、戦後まもなくクリスチャンとなり、牧師になりました。彼は、ハワイにも来られ、米本土にも行かれ、キリストの平和の福音を宣べ伝えました。

神の回復の業は、すでに始められ、無数の多くの方々の祈りと奉仕によってハワイの地は癒しの地として回復し今に至っています。

ハワイという土地、位置、歴史の特殊性を考える時に、また日本人である自分がハワイに居るという事実を考える時に、そこに深い神のご計画があることを思います。

今度は、このハワイから、東に西に全世界にキリストの福音が宣べ伝えられますように。かつては世界に痛みが拡がりましたが、今度は、世界にキリストの癒しと愛が拡がりますように。


ホノルル教会が、福音の基地として用いられていきますように。そのために、ホノルル教会がもっともっと成長し、惜しまずに与えることの出来る教会として、またここから神の働き人を送り出せる教会として成長していきたいと思わされます。


関牧師

2011年12月2日

12月4日2011年の週報に掲載


今年は、どんな恵みがあるのか、楽しみです。128日の「心に光を」クリスマスを皮切りに、プログラムも色々あります。特に24日のキャンドライトサービスには、ご家族ご一緒に是非ともお集いください。

最近聴いた話では、ハワイのある公立小学校では、紀元前をBCBefore CHRIST)と呼ばないで、BCEBefore Common Era」。ADAnno Domini(主の年)と呼ばないでCECommon Era」と呼ぶようになっているそうです。

公の場から、キリスト教を排除する動きは加速するばかりです。1960年代に公立学校から、祈りと聖書の教えが法律によって禁止されて以来、犯罪の急増、モラルの低下が起こったと言われています。大統領の就任式において聖書に手を置く儀式がなくなるのも近い将来にあり得ることです。

確かに、特定の宗教を公立学校で強制することは良くないと思います。しかし一方で、聖書がアメリカ建国の原点でもあります。この原点が失われるとき、この国は、一体に何を基盤に立つことが出来るのでしょうか? 神に背を向けた所にある「自由」は、だたの自己中心となります。自己中心のある所には、分裂と争いが起こります。


この時、私たちは、世界の歴史の中心である「キリストの降誕」を心から祝い、教会の原点に心を向けましょう。
関牧師

2011年11月27日

11月27日2011年の週報に掲載

ダイエットに成功してから、まだ適正体重をキープしています。今は筋トレに励んでいますが、なかなかいい感じで筋肉が盛り上がってきました。
12月8日(木)は「心に光を」クリスマスです。どうぞお誘い合わせの上ご来場ください。
日本では12月を「師走」と言います。それは師=お坊さんも、走り回るほどに忙しいという意味だと言われています。しかし、もう一つの説があります。
これは中国が出所ですが、師=軍団(今でも一個師団とか言いますね)ということです。当時の兵士は農民の徴兵が多かったのですが、彼らが畑を耕さないと食料がなくなってしまいます。そこで種まきと収穫の時期だけ故郷に帰し、本来の仕事に戻したのです。ここから、軍団から走って故郷に帰るという意味で「師走」という言葉が生じたそうです。
走りまわるほど忙しい「師走」。あるいは本来の自分の居場所に戻るという意味での「師走」。どちらの12月を過ごしましょうか?どうしても忙しい12月ですが、どこかで一年の終わりに、自分の本来の歩みを振り返り、自分の居るべき所に帰るという、そんな12月も過ごせたらと思います。
                          関牧師

2011年11月17日

11月20日2011年の週報に掲載

  なんとなんと、我が家に新車が来た! 礼拝で詩篇23編から「災いを恐れない」とメッセージをした次の日のこと。車の調子が悪いので検査に出した所、とても高額な修理が必要との事でした。まだローンも残っているし…と頭を抱えたながら、まさに「災い」に直面したのでした。

しかし、妻と共に「この出来事を感謝します」と祈り、主の最善を信じて、災いを恐れない信仰に立ちました。どんな道が開かれるのか、楽しみでもありました。

車はどうしても必要ですし、家族6人ということでバンでなければならないし、安い中古を買ってもすぐに故障して、ローンを払い続けるのもどうかと、色々と調べる中で教会の方からリースというものがあることを聞きました。どうせローンを払い続けるならと、というより、それしか方法がなく、結果的に一気に新車に飛躍してしまいました。

私個人の車暦としては、10台目にして初めての新車となりました。貧乏性なのか、小心者なのか、ドキドキしています。子供たちも、シャワーをしないと車に乗れないとか、パパは車の中でくしゃみをするなとか、鼻くそはほじるなとか、なかなかにぎやかです。

 災いと思える中でも、主は私たちにとっての最善の解決を与えてくれました。災いがないことを心から願いますが、たとえ災いが来ても恐れない、この信仰の根拠は「主は共にいてくださる」ということです。ですから「全てのことを感謝します!」
                                                                           関牧師




2011年11月2日

11月6日2011年の週報に掲載

11月に入ると、一気にイベントが多くなって、スケジュールの管理も大変です。この土曜日と、日曜日も、二つのイベントが重なりますが、どうぞ整理してください。

12日(土曜日)は、日本からのゲストをお招きしての、連合主催イベントです。最高に傑作なご夫婦で、旦那は太神楽の曲芸師、奥方は落語家ということで、曲芸と落語を披露していただきます。そして何と旦那さんがクリスチャンということで、信仰の証しもしてくださいます。どうぞお友達を誘っていらしてください。3PM ホノルル教会

13日(日)は、年に一度の日英合同礼拝です。場所の問題で、普段はなかなか一緒の礼拝は持てないのですが、今回はハワイ大学のキャンパスセンターを会場にして行います。 930AM 開始。
 日本語部は、第一礼拝と第三礼拝は通常通りです。第二礼拝だけ合同になります。
 ハワイ大学内の駐車場をご利用できます。また教会からもシャトルが往復します。830AM920AMの間に教会においでください。

一つ一つのイベントが、ただのイベントで終わらないで、そこに神の栄光を見ることの出きる、他には無いイベントとなりますように、どうぞ、祈りの内に覚えてください。

関牧師

2011年10月30日

10月30日2011年の週報に掲載

牧師館に開墾した「カナン農場」、とは言っても畳2枚くらいの、「猫の額」ほどなのですが。それでも、きゅうり、苦瓜、オクラ、小松菜、ズッキーニ、モロヘイヤ、パッションフルーツとそれなりににぎわっています。

それにしても、雑草が次から次へときりなく生えてきます。雑草と言っても芝生の根の取り残しのようです。困ったことですが、意外にこの雑草とりが、私にとって「無心」の時となっています。
雑草を抜きはじめると、何か無の境地に入るというか、没頭、熱中してしまうのです。牧師館の前を車かなにかで通る人は、背中を丸めて雑草とりに励んでいる私の姿を見るかもしれませんが、どうぞそのままにしてやってください。

何事も新しいことを始めるには、古いものは根こそぎ取らねばなりません。根が残っていると、しつこくまた生えてきます。これも信仰生活の要点ですね。農場の先輩が、私は一年かかったけれども、ついに生えなくなったと言ってくれました。粘り強く抜き続けたら、必ず根絶やしになります。根を抜き続けましょう。


話は変わりますが、11月の会報が出ています。年末に向けて行事が多くあります。どうぞ整理してご参加ください。今年の12月25日は主日です。洗礼、転会希望者は、どうぞ関牧師までお知らせください。

関牧師

2011年10月20日

10月23日2011年の週報に掲載

古池や蛙飛び込む水の音
これは芭蕉による有名な俳句ですね。これは、古い池に、カエルが飛び込んで、水の音がした。ということなのですが、私などは、この句に何とも表現しがたい、心の落ち着きと郷愁のような感覚を持つのですが、皆さんはいかがでしょうか?

芭蕉はここで「水の音」と表現していますが、実はここで思いが向けられているのは「音」ではなく「静寂」です。小さな蛙が池に飛び込む「チャポン」という小さなを音。その音が聞こえるほどの静寂がここにあるのです。

そこから、一気に心の風景が拡がっていくのです。この句をただの情報として捉えてしまうと、ただカエルが飛び込んだら水の音がした、そんなの当たり前のことじゃないかと、それで終わってしまうでしょう。あるいは、古池や、蛙や、そのような光景を見たことがない人にとっては、心の風景が拡がるのは難しいかもしれません。

芭蕉がこの句を通して何を表現しようとしているのか? それはこの句を、情報としてではなく語りかけとして聴き、さらにはその表現の実際を経験していなければ、理解できないことでしょう。

聖書のことばもそうです。聖書のことばは、私たちへの神の語りかけです。私たちは、そのことばの中にある、風景、人々の声、風の音、空気の匂い、足裏に伝わる大地の感触まで感じ取るものでありたいと願いします。今日から詩篇23編の連続メッセージを語ります。「主は私の羊飼い」このことばから何が拡がるでしょうか。

関牧師

2011年10月14日

10月16日2011年の週報に掲載

最近ひょんなことから、テレビで大学のバレーボールの試合が見れることを知りました。女子のリーグですが、ハワイ大学のRAINBOW WAHINEチームはダントツの強さです。まだ負けた所を見たことがないです。聞くところによると全米で9位だそうです。英語部の方の娘さんも試合に登場していて、応援にも熱が入ります。

実は、私は中学生時代に、バレーボールに青春をかけたことがありました。バレー部に入った動機は、ジャンプすると背が伸びると聞いたことです。実際にはセッターになったので、ほとんど背は伸びなかったのですが…。
しかし、毎日毎日、学校から帰っても一人で特訓して、一年生の時からレギュラーになることが出来ました。そんなんでバレーボールには胸がときめくものがあります。

バレーボールと言えば真ん中にネットがあります。ものすごく強引に話しを結び付けますが、ホノルル教会は、どれだけ人が集まっても、どんな人
が集まっても、「網は破れない」教会として成長していきたいと願っています。
網(ネット)は縦糸と横糸の組み合わせです。天の父との関係(縦糸)と他者との関係(横糸)この両者が結び合わされて網ができます。縦糸も横糸も強くなって、決して破れない網となりたいものです。その強さとは? 天の父なる神との関係は? 他者との関係は? どのくらい強いですか? その強さとは、やはり愛すること、赦すことにおける強さだと思います。

関牧師

2011年10月7日

10月9日2011年の週報に掲載

HE>i 最近、車のステッカーなどに、このマークを良く見かけるようなりました。何の意味かご存知でしょうか?ヨハネ3章30節の御言葉です。
He must become greater and greater; I must become less and less.
He greater than i という意味で、あえて "I" を小文字の "i" にしているところがポイントです。
HEとは、もちろん主イエスのことで、このマークは、ノースショアのハレイワに店を持つ一人のクリスチャンに与えられたアイディアです。
「彼は私よりも偉大だ」 この言葉はストレートで、はっきりしたメッセージですね。自分が優れていることをいかにアピールするかがこの世のテーマです。そこに、たった4文字で真っ向から切り込み、真の価値観を提示していく…、なんともスカッとします。
このような方法で、真理をシンプルに表現していくこと、これも、キリストの証人としての働きだと思います。
それにしても、「私よりも」というこの言葉、よく考えてみると、本当に言いきれることが出来るでしょうか? 主イエスは真の神なのだから当然ではあるのですが、改めて考えてみると、なんと偉大な方が、自分の神なのでしょうか! 大きな安心感を覚えました。
このHE>i が生き方の中に定着していくなら、この文字の通りに、神の偉大さを自らが体験することになるでしょう。

関牧師


2011年9月29日

10月2日2011年の週報に掲載

皆さんに一つのドラマをご紹介します。  日本のフジテレビで放送された、終戦特別記念番組『最後の絆』です。 http://www.fujitv.co.jp/kizuna/index.html
この物語は、第二次世界大戦中の沖縄戦において、兄は帰米二世としてアメリカ軍、弟は日本軍、戦争に引き裂かれた兄弟と家族の実話をドラマ化したものです。
この兄の東江盛勇さんは、サンノゼにあるサンタクララ日系人教会のフランク東さんのことです。
 私は、1984年にサンタクララ教会で洗礼を受けましたが、私を救いに導いてくれた人は、石井さん夫妻と、このフランク東さん夫妻なのです。私がいた時にも、テレビの取材を受けたり、人づてに話しは聞いていましたが、フランクさんは、米軍の通訳となって、家族と同胞を救うために沖縄に行き、洞穴などに篭っている人々に、出てくるように呼びかけたのです。
 フランクさんは、大変な心の重荷を持ちながらも、戦後イエス・キリストを受け入れ、今も92歳でお元気に、教会で奉仕をされています。改めてフランクさんの歩まれてきた道を知り、感動と共に、多くのことを考えさせられました。是非、ビデオ、インターネットを通してご覧ください。
フランクさんから感じていた、あの暖かさは、困難と苦しみを神の愛によって乗り越えた者にしかない、暖かさだと分かりました。


関牧師

2011年9月23日

9月25日2011年の週報に掲載

スリムな体系をキープし、リバウンド防止のために、庭仕事に精を出しています。そして、とうとう、牧師館の庭の一角に畑を開墾しています。芝生をはがして、土を掘り起こして、これがなかなかの重労働でいい汗を流しています。今から、どんな種を植えようかと考えると、とても楽しみです。


収穫の時は、喜びです。それが楽しみです。しかし、収穫に至るまでのプロセスには、それなりの苦労があります。体重に関しては「NO PAIN.NO GAIN」ですが、収穫に関しても「NO PAIN.NO HARVEST」です。

伝道=福音を宣べ伝えること。私たちが伝道する時、その報いは「喜び」です。一人の人がイエス・キリストを信じて救われるとき、天において大きな喜びあり、その喜びを自分も共に喜び、そして救われた者が喜ぶ、その喜びがまた自分の喜びとなる。伝道の祝福は喜びです。


しかし、この魂の収穫とも呼ばれる、この伝道も、収穫の喜びに至るまでには、それなりの苦労があります。

「涙と共に種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取るであろう」詩篇1265とあります。普通、涙と共に種を蒔くことはありません。それは収穫を期待しているからです。しかし、この詩篇は、何度蒔いても、何度も蒔いても収穫が得られない、そんな苦しみを表現しています。それでも、種を蒔かなければ収穫はありません。だから蒔き続けるのです。そして、イエス様は言われました。「目を上げて畑を見なさい、もう色ずいて、収穫を待っている」と 今は収穫の時です。
関牧師



2011年9月15日

9月18日2011年の週報に掲載

先週の礼拝では、江口瑞穂さんが証しを語ってくださいました。これまでの人生をしっかりと見つめながら、イエス・キリストによる救いの力を大胆に証しました。聞き逃した方は、是非ともウェブから、あるいはCDを注文して聴いていただきたいと思います。


一昔前に「世界の中心で愛を叫ぶ」という小説が流行りましたが、私の心境は「世界の中心で、神の愛を叫びたい」です。
「死にたい、死にたい、自分の存在には価値が無い、空気のようだ。誰にも心を開けない、良い子を演じ、苦しみ、悲しみも小さな心に一杯ためこんで、鍵をかけて部屋の中に閉じこもって、泣いていた。」 イエス様は、そんな彼女に、やさしく戸をたたき、「わたしの目に、あなたは高価で尊い、わたしはあなたを愛している」と語りかけてくださいました。


しかしさらにイエス様の愛に感動するのは、決して心の扉を蹴破って入ることなく、騒ぎ立てず、静かに、しかし常に扉の前に立ち続けてくださっていることです。


そして、ついに瑞穂さんは、自らの意志で扉を開けて、イエス様の愛に飛び込んでいったのです。
「今、私は本当に幸せです。今度は、私と同じように苦しんでいる人に、この神の愛を伝えていきたい」と言うのです。


全てが新しくなりました。主イエス・キリストを信じて救われる、このことの、あまりの凄さに、ただ主を賛美します。
関牧師

2011年9月9日

9月11日2011年の週報に掲載

9.11 この日は、3.11と共に、忘れることの出来ない日です。2001年9月11日、米国を襲った同時多発テロは、その後、アフガニスタン、イラクと戦火が拡がり、それは今も継続中です。

このテロに関しては、今も色んなことが言われます。ネットを通して、様々な情報が入り乱れています。アメリカのやらせ説などなど、一般の報道には出てこない裏の真相というものがあるでしょう。どれが真実なのか見極めることはとても大切ですし、情報に振り回されない冷静さも必要です。

しかし、誰もが認める確かな真実があります。それは、何の関係もない一般市民が死んだという事実です。この事実こそ、私たちが最も関心を持ち、忘れてはならないことです。   

平和を願いながらも、平和のための戦争を繰り返す、人類の愚かさを痛感します。その人類には、もちろん私も含まれているのです。その愚かさを抱えながら、毎主日の講壇に立ち、神の御言葉を取りついでいるのです。

私たちは、9.11のこの日、何を考えるのでしょうか? この大きな出来事を通して、小さな自分の心に何が映るのでしょうか? 神を第一として、愛し合い、赦し合い、仕え合うことが出来たら…、それは単なる理想でしょうか? 私たちは、自らの愚かさを直視しながら、しかし、だからこそ神の言葉に立ち、「平和を造りだす者」としての使命をひたすら果たす者でありたいと思います。
関牧師


2011年9月1日

9月4日2011年の週報に掲載

牧師館のバナナが見事に実りました。それに励まれて、最近、牧師館で野菜つくりに精を出し始めています。モロヘイヤの種を頂いたり、ナスの苗をいただいたのを丹精こめています。


ついでにオクラの種を植えたら、元気に芽が出てました。しかし、一番右端の芽だけが元気がありません。間引こうと思い、抜くために手が伸びたのですが、なぜか思いとどまりました。


その弱々しい芽がなんとも愛しくなってしまい、抜いてしまうことが出来ませんでした。それから、手を置いて何度も祈りました。「元気でやってるか! いい実を結んでくれよ!」と声をかけました。すると、心なしか、その弱々しい芽も喜んでいるようです。


今では、だいぶ大きく、しっかりと根付いてきました。もう大丈夫と思います。私も意外とメルヘンチックな所があるのかなと…。このオクラ君が、やがて特別に美味しい実を結んでくれると期待しています。


イエス様は、「折れた葦を抜くことなく、くすぶる灯心を消すことはない。」と言われました。もう役に立たないと思われても、大丈夫、必ずもう一度立ち上がり、立派な実を結ぶようになるからと、イエス様は、あきあらめずに、期待し続けてくださいます。嬉しいですね。


話は全く変わりますが、明日5日はレイバーデイ・ピクニックです。英語部の方々との親睦、また友達をお誘いするチャンスです。どうそご参加ください。マノアパーク海側 9AMです。 
関牧師

2011年8月26日

8月28日2011年の週報に掲載

なでしこJAPANが世界一になったニュースも落ち着いてきましたが、彼女たちのセリフの中で印象に残った一つは「失うものはない」という言葉でした。


追われる立場と追う立場では、そこが違います。なでしこは、失うものがない。対してチャンピオンのアメリカは、失うものがある。この違いが、土壇場のぎりぎりの勝負所において、わずかな差を生じさせたのでしょう。


「大切なものを守る」これも大きな力をもたらします。しかし、その「大切なもの」が、伝統や主義主張、前例や体裁といった、本質とはずれたものになる時、その守ろうとする力は、固執となって逆に力を失っていくことになります。


「失うものはない」これは、最も大切なものでさえ、すべては神のものであるということです。それはすべてを委ね切った者の姿でしょう。私たちは「裸で母の胎から出て、裸で帰っていく」のです。


信仰生活においての勘所、それは力の抜きどころです。大切なものであるからこそ、荷を担い、握り締め、頑張ります。しかし、大切なものであるからこそ、神に委ねるという道もあります。


すべてが神のもの、私の命でさえも・・・、もともと失うものなどないのです。そこに立つときに、不思議と肩から力が取れて、逆に勇気と力がわいてくるのです。


すっきり、さっぱり、信仰もこれでいきましょう。





関牧師

2011年8月21日

8月21日2011年の週報に掲載

 本日は、「心に光を」ラジオ放送のための講壇交換です。ホノルル教会には、マキキ聖城キリスト教会に赴任された具志堅聖先生をお招きしています。

「心に光を」放送が開始されたのが1981年ですから、今年で30年目ということになります。放送当時におられた牧師は、黒田牧師が最後でした。現在の担当牧師は全員が、その志を引き継いだ者たちとなります。


人は変わり、場所も変わり、社会も変わりますが、私たちが伝えようとしていることは、昔も今も変わりありません。旧約聖書に啓示された福音も、新約聖書に啓示された福音も、初代教会が伝えた福音も、そしては、あなたが初めて聴いた、あの福音も、同じ福音です。
このイエス・キリストの福音を、私たちはこれからも伝え続けるのです。


そこで大切なことは、「伝え方」です。今の時代を読み解き、そこに生きる人々の心に思いを向け、伝わる言葉で伝えることが大切です。


ハワイの日本人社会にとって、このKZOOラジオの存在は大きな影響力を持っています。その午後2時45分という最高の時間帯をいただいて、福音を語れるのです。こんな恵みはありません。すべては「福音の宣教」のためです。このために、どうぞご支援をお願いいたします。共に、福音のために労する者でありましょう。
関牧師

2011年8月19日

8月14日2011年の週報に掲載

絶対に裁かれない、そんな集団があるだろうか? ここで言う裁きとは、罪を罪として指摘することではなくて―それは必要なこと―相手の存在を否定することです。ここに居てはいけないと、その居場所をなくすことことです。

この世の中は、裁き合いばかりです。しかし、絶対に裁かれない、つまり自分がどうであっても、常に存在が受け入れられる場所。しかも、罪を曖昧にするのではなくて、その善も悪もそのまま知られ、それでもなおかつ受け入れられる。そんな存在の居場所が、あるのでしょうか? 

その場所が教会です。絶対に裁かれない場所です。教会は、罪が示される場所でもあります。しかし、それは暗闇が光に変えられるためのものです。裁くためではありません。救うためです。その罪人を救い、受け入れたのがイエス・キリストなのです。


教会の中で、裁かない交わりが実現できるとすれば、その要因は唯一です。主イエス・キリストの十字架をを皆が経験することです。つまり、自分自身こそ、神に裁かれないという「赦し」を経験することです。


裁かれて当然の自分が、でも裁かれない。なぜ? 主イエスが十字架で神の裁きを身代わりとなって受けてくださったからです。この真理に生きるときに、真の交わりは実現されていくのです。
関牧師




2011年8月5日

8月7日2011年の週報に掲載

最近は、サウナスーツを着てマノアの谷を散歩しています。汗を流すって本当に気持ちがいいものです。
私は特に、知らない道を歩いたり、家や、庭を見るのが大好きです。車で過ぎるのとは全く違う光景が見えてきます。


ある先生のブログに書かれていたのですが、ホームレスとハウスレスという言葉を知りました。ハウスとは建物としての住居。ホームとは家庭のこと。物理的な住居を失い路上や公園で生活をされている方は、正確にはハウスレスです。ホームレスとは、家庭つまり、人と人とのつながり、社会とのつながりを失った方のことです。


以前「父の学校」で学んだ一言。「現代の父親はハウスは建てる事は出来たが、ホームを造ることは出来なかった」という言葉が思い出されます。


天地を創造され、人間を創造された神は、一日の創造の業を終えるごとに「GOOD 良かった」と言われ、最後の6日目には「Very Good はなはだ良かった」で終わっています。しかし、唯一「良くない」と言われた箇所があります。「人が一人でいるのは良くない」という言葉です。


人と人とは、いつもつながって共に生きる存在として造られたのです。ハワイはホームレス天国と呼ばれているそうですが、「レス」を取って、ホーム天国であるために、教会が希望となりましょう。


関牧師




2011年7月29日

7月31日2011年の週報に掲載

昨日は、大きな入道雲が見えました。何か懐かしいような、入道雲に、蝉の声、麦わら帽子に、蚊取り線香…と日本の夏が思い出されます。


道端のシャワーツリーも満開で、夏の到来を感じさせます。最近は、サウナスーツを着て、マノアの谷をウォーキングしています。汗をたっぷりかいて、リバウンドしないように心がけています。


ホノルル教会の礼拝で、いつも前の方に座っているご高齢の夫妻をご存知でしょう。チェスブロー・エドワードさん、貴子さんです。
ご夫妻は、このたび息子さんのいるシアトルに移住されました。貴子さんは、礼拝の中で、両手を挙げて「ハレルヤ!」と叫んでいる、あの「ハレルヤおばさん」です。メッセージの最中でも、実に絶妙のタイミングで「ハレルヤ!」を叫んでくださり、私もずいぶんと励まされました。


息子さんの所に行かれるのは良い事ですが、教会にとっては寂しくなります。新しい地でも、夫妻が主の平安の中に過ごすことが出来ますように、心から祈ります。
そこで、どうでしょうか? 2代目「ハレルヤおばさん」を襲名する人はいないでしょうか? ハレルヤおじさんでもいいですね。どうぞ貴子さんの後を継いでください。


静まった礼拝もいいですが、神への思いを表現するのも、また素晴らしいことです。ご一緒にハレルヤと叫びましょう。






関牧師





7月24日2011年の週報に掲載

私たちの敬愛する中野雄一郎牧師が、72歳となり教団の定年を迎えました。引退という言葉がまったく似合わない先生ですが、教団の教職としての肩書きが引退牧師と変わるだけで、先生の働きはこれからも変わらずに継続されます。これからも明子先生と一つになって、世界中を福音伝道のために駆け巡ることでしょう。


中野先生は1981年から96年までホノルル教会を牧会してくだいました。その実は今でも豊かに残っています。改めて、中野雄一郎牧師の教団牧師としてのご奉仕、同労者である明子夫人のご奉仕に心から感謝を申し上げます。


私たちは、過去の聖徒たちの残した恵みの上に立っています。数え切れない聖徒たちが、福音の種を蒔き、捧げ、会堂を建て、今に至ります。
これから私たちは、どのような歴史を造り、未来の聖徒たちに何を残していけるでしょうか? 教会は「生きています」。常に成長の中にあります。成長とは変化です。今の新しい皮袋も、やがて古くなるでしょう。しかし、何十年、何百年たっても変わらないものがあります。それこそ、私たちが残すべきものでありましょう。


50年後のホノルル教会のメンバーが「これがあったから教会が支えられている」と言っていただけるものとは何でしょうか?
共に、ホノルル教会の明日に向かって労してきましょう。






関牧師


2011年7月13日

7月17日2011年の週報に掲載

「風の吹くまま」でなく「思いのおもむくまま」に書いてみます。


私が30歳で洗礼を受けてから、今年で50年になりました。 過去に色々なことが有りました。その出来事は、全ては勉強だと言うことです。 色々な出来事を勉強と受け取れるのは、救いの平安が心に有るためだと思います。
もし心に平安が無かったとしたら、失敗が悔しく、楽しかったことが懐かしく、現実が淋しくなるでしょう。
泣いても笑っても過去は決して返りません。人は一人で生まれて一人で死にます。しかし、感謝すべきかな、イエスはその私たちを憐れんで、神の国に入れてくださいました。皆さん地上の神の国、教会で楽しく生きましょう。


人にしてもらいたいことを、人にして上げましょう。人はその時、生きがいを感じるものです。
嘘だと思ったら試してみましょう。 これが50年の結論です。








石井真空




2011年7月8日

7月10日2011年の週報に掲載

先日、ハワイ聖会が郷家一二三先生を招いて行われました。本当にわかりやすく説明してくださいました。ごく当たり前の事なのですが、その当たり前の事が生活に生かされていない事を改めて考えさせられました。

現在、あまりにも世の中の流れが速いので、人間にとって本当に大事な事が激動の時代と忙しさの中でおろそかにされようとしています。
少し前までは、目に見える形で私たちの前に立ちはだかっていた問題に対して人は戦っていきました。 しかし、今は何が悪なのかの区別がつかなくなりつつあります。 世の中では人の愛が冷えています。 人の愛が冷えれば冷えるほど、見えない形で違うものとなって現れて来ます。
一体何故でしょうか? 目に見えない愛の心があれば見えていないものが見えてくるから不思議なのです。

目に見えない神と人との関係が崩れ始めますと、社会や会社関係、友人関係、人間関係、家族関係まで幅広く広がってきます。

確かにあそこが悪い、ここが悪いというので、悪い部分を直そうとしましても愛が無いので、他の部分がまた違う形で飛び出してくるのです。 小さな問題は直すことが出来るのですが、人の心に愛が無ければいつまでも同じ誤りを繰り返し続けるのです。 自分の心に愛が無いことに気付く事が本当に大事なのです。 自分と神さまの間にある十字架の愛が私にも、世界の人々にも必要だと思います。


松田従旨







2011年7月4日

7月3日2011年の週報に掲載

今日はハワイ聖会の最終日です。この文章は聖会前に書いていますが、感謝を先取りして「素晴らしい聖会でした」と報告させていただきます。


郷家先生ご夫妻は、水曜日からの教団修養会でもご奉仕されます。どうぞ覚えてお祈りください。
私は、6日(水)~16日(土)まで、LAにおける修養会、総会と参加する予定です。10日の主日は、サンディエゴ北のノースカウンティ教会でご奉仕する予定です。


最近すこぶる体調が良好です。血液検査の数値が大変悪く、一発念起でダイエットを敢行、一ヵ月半で7キロ落としました。あまり急に落としたので、締まったというより、やつれたという感じもありますが、元気です。
ダイエット講演会でも開こうかなと、これは冗談ですが、皆さんが牧師の健康をとても気にかけてくださり、体調管理の大切さを痛感しています。
それにしても、マノアの谷を散歩しながら、山から吹き降ろす貿易風をお腹一杯に吸い込みながらの散歩は格別です。


信仰も、シンプルがいいですね。信仰も身体もぜい肉をなくして、すっきりといきましょう。


関牧師



2011年6月28日

フラ (ビア・ドロローサ)

イースター(復活祭)にシャロン・フラチームがフラをしました。

涙そうそう (Reiko Nakano)

6月26日にLAからバイオリニストのReiko Nakanoさんがホノルル教会へ来られてバイオリンを弾いてくださいました。 感謝!

2011年6月24日

6月26日2011年の週報に掲載

さあ! いよいよハワイ聖会です。それにしても、なぜ聖会をお勧めするのでしょうか? まず、私自身が聖会で恵みをたくさん受けたからです。ですから単純に、聖会って素晴らしいなと思っています。


信仰には、転機というものがあります。ターニング・ポイントですね。「あ! 分かった!」というような体験。御言葉が文字ではなく、言葉として示される体験。心深くを、主に触れられる体験、などなど。


聖会とは、信仰の転機を体験する「チャンス」です。もちろん聖会でなければならないというものではありません。しかし、これは「チャンス」なのです。そのチャンスを活かすかどうかです。


私たちは、牧師でも誰でも、転機を与えることはできないし、それをコントロールすることは出来ません。人間が手を出せない領域です。それは神とあなたとの間のことですから。
しかし、そのためのチャンスを用意することは出来るのです。この聖会は、教会が祈って準備したチャンスの場です。講師の郷家先生も、祈り備えています。


詩篇42:2「いつ私は行って、神の御前に出ましょうか」とあります。いつ神の御前に出るのでしょうか? 「今」がチャンスです。このチャンスをものにしてください。そしてこれからの信仰生活を根底から支える信仰の転機を体験してください。


恵みの座が、あなたを待っています。


関牧師



2011年6月20日

6月19日2011年の週報に掲載

今日は、父の日でもあり、教会総会でもあり、安藤先生を特別ゲストにお招きしたり、盛りだくさんの日です。盛りだくさんと言えば、牧師館の庭のバナナが3房ぶら下がっています。熟すのが楽しみです。
特に本日は、教会総会が開催されますが、この時私たちが属する、この集団が、どのような集団であるかを考える良い機会であろうと思います。


教会は、企業のようで、学校のようで、病院のようで、施設のようで…、またある国、ある時代においては、軍隊にもなり、政府にもなりと様々です。しかし、教会とは教会であり、教会以外の何ものにも代わることは出来ません。教会とは「共同体」です。


「共同体」とは、同じ使命のために、等しく責任を持った者たちの集まりです。教会が維持、運営され、キリストを証しするという使命を実行するために、「等しく責任を負っている者たち」の集まりです。
つまり、お客さんではなく、それぞれが主体であるということです。だから聖書は「愛し合い、赦し合い、仕え合い、慰め合い」と「合い」と語るのです。どちらか一方が、「する人」で、一方が「される人」ではなく、お互いが「し合う」のです。これが共同体の姿です。


なすべきことは、みな違います。賜物が違うからです。大切なのは、与えられたタラント(賜物)を忠実に用いることです。それが教会への責任の一つです。あなたの存在と賜物に応じた働きが、教会には絶対に不可欠なものなのです。




関牧師






2011年6月12日

6月12日2011年の週報に掲載

今日は、教会暦における「ペンテコステの日」です。ペンテコステとは、ギリシャ語で50日目という意味で、過ぎ越しの祭りの50日後に行われる収穫祭のことを指しています。


そして、このペンテコステの祭りの時に、聖霊が降ったのです。使徒の働き2章1節以降に、その様子が記されています。


さて、私たちは、このペンテコステの出来事を「教会の誕生日」としています。それまでの時代は、母の胎内にいるかのようにして、その存在は隠されていましたが、聖霊が降った時に、教会が目に見える形でこの地上に出現したのです。


ハワイには結婚式用のチャペルがありますが、それは建物が教会風に建てられているだけで、真の意味では教会ではありません。教会とは建物でも、組織でもないのです。

  • 教会は、イエス・キリストを信じる者たちの集まりです。
  • 教会は、この世に、キリストを証しすることを使命しています。
  • 教会は、キリストのご臨在されるところです。




人が集まれば雨露を防ぐ「場所」が必要となり、人が多くなれば「ルール」が必要となり、活動が行われれば「役割分担」が必要となります。しかし、それれは後から付随してきたものであって、教会の本質ではありません。教会の本質は「イエス・キリスト」です。


関師

2011年6月3日

6月5日2011年の週報に掲載

日本では梅雨入りが宣言されました。ハワイでは6月はジューンブライドの季節、今年もたくさんのカップルが訪れることでしょう。


梅雨と言えば、表紙の写真にもあるように、紫陽花の季節です。紫陽花のグラデーションのかかった色合いは素敵ですね。大好きです。ハワイでも紫陽花の鉢植え売っていたので買ったことがありましたが、土に植え替えたら枯れてしまいました。ハワイの気候には合わないのでしょうか。


私も2005年に、それまで日本に植わっていたのに、予想もしなかったハワイに植え替えれました。自分にとってハワイの土と水と空気は合っているようです。しっかりと、ハワイに根づいています。


私たちは、同じように、この世から、神の国へと植え替えられました。神の国の土と水と空気は、あなたに合っていますか? ここに植えられると、どんな人でも成長します。神の愛と恵みの養分を十分にいただいて、それぞれの花が咲き、豊かな実を結ぶのです。


「その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える」詩篇1:3


さあ、根をおろしましょう。人知をはるかに超えたキリストの愛に、根を深くおろしましょう。      
関牧師

5月29日2011年の週報に掲載

ハワイでは卒業式のシーズンです。今年は、我が家の長男と長女がそれぞれ高校、中学を卒業しました。
というわけで卒業式に出たわけですが、日本の卒業式との違いに、まさにカルチャーショックです。


日本だったら、「静かにしなさい!」の連発で、大変なことになると思うのですが、こちらでは、ダンスして、大声で叫んで、思ったこと感じたことをそのまま表現するのです。本当に、いいなと思いました。一方で、日本の「あおげば尊し」も、それもまた良いと思います。


曽野綾子さんが、その著書の中で「列を作って並ぶことの出来る民族は少ない」と述べていました。その中でも特に、日本は列を作って並ぶことの出来る民族です。この震災でも、そこに世界が驚嘆しました。実は、列を作って並ぶという概念そのものがない民族も多くあるということです。


どちらが良い悪いではなく、文化、歴史の違いです。それぞれの違いを知ることによって、お互いを理解する心の豊かさを持ちたいものです。


明日はメモリアルデーです。人生の卒業式を終えた先輩たちのことを想います。人生の卒業式も、人それぞれみんな違います。でもクリスチャンの「その時は」、厳粛さの中にも、喜びがあふれる、ハワイでも、日本でもなく、それは神の国なのでしょう。 






関牧師



2011年5月20日

5月22日2011年の週報に掲載

先週からスタートした新しいクラスの名前は、始まる寸前の15分前に決まりました。「ガリラヤ聖書クラス」としました。


マタイ28章10節「ガリラヤに行くように伝えなさい。そこでわたしに会えるのです。」と復活の主は語られました。「そこで主に会える」場所として、ガリラヤという名前を付けました。


これは3ヶ月間を一つの区切りとして行っていきます。今回様々な都合で来れない方々は、次回があります。また3名以上が集まればクラスを持てますので、日時などご相談ください。


今回、身体に不調があったことを通して、改めて限界というものを意識しました。体力、時間、能力、それぞれに限界があり、それを知ることによって、優先順位をもうけ、効率よく動くことが出来ることを学びました。


そこで、自分が一番を力を入れるべき事柄は何かを吟味した結果、それは当たり前のことなのですが、御言葉と祈りの奉仕なのだと確認しました。


ガリラヤ聖書クラスも、そのような中で確信が与えられスタートすることになりました。鍵語は「神のことば、人格的関係、聴き従う、本当の弟子」です。すでに、かなりの手ごたえを感じています。一人でも多くの方が、天の父との素晴らしい関係の中に導かれていきますようにと、心から願い、祈ります。       
関牧師



2011年5月13日

5月15日2011年の週報に掲載

以前に人生に「・ピリオッドを打つ」というお話をしました。人生のメリハリといいましょうか、どこかでピリオッドを打って、また新たなスタートを切ることは、とても大切なことです。

6月に教会総会が持たれることから、この月は年度代わりとして、教会の歩みにおいてもピリオッドを打つ、良い機会であろうと思います。
別紙にご案内いたしましたが、今年は、すべての奉仕活動、ミニストリーに一度ピリオッドを打っていただきます。そして、これまでの歩みを振り返り、感謝、反省、展望を新たにしていただき、新しい年度に踏み出そうというものです。

特に、働きの目的は何か? 意外と漠然としていることもあります。「何のために?」それをもう一度再確認しましょう。


エネルギーが有り余り、次から次へとビジョンが生まれるようなミニストリーもあるでしょうし、疲れがたまったり、マンネリ化、惰性になっている所もあるかもしれません。それぞれです。

いずれにしても、一度ピリオッドを打って、また新たなスタートをする時をもちましょう。


すべての働きは、キリストの証人として、宣教、伝道につながるものです。教会は愛を循環させるポンプです。この共通する目的をしっかりと確認して、それぞれが独自の目的を確認しましょう。
関牧師





2011年5月6日

5月8日2011年の週報に掲載

もし、あなたがたが、わたしの言葉に留まるなら、あなたがたは本当にわたしの弟子です。」ヨハネ8章31節。



この御言葉に導かれて新しい聖書クラスをスタートします。毎金曜日10AMです。

「あなたはイエス様の弟子ですか? 本当に弟子ですか?」 一人一人がイエス様の弟子になりましょう。どうしたらなれるのですか?
このクラスでは、メッセージはしません。聖書の研究会でもありません。御言葉に聴き従うことを求める会です。それこそが御言葉に留まることであり、イエス様の本当の弟子になることだからです。
語られた御言葉が、実際の生活の中で、どのように実を結んでいくか、イエス様の弟子になる醍醐味を体験しましょう。

クラスでは、課題となる聖書箇所の意味や背景を説明します。自分勝手な解釈にならないように、正しい聖書解釈は大切です。その土台の上に、御言葉に聴き従うことを実践していきます。百聞は一見にしかず、どなたでも是非お集いください。

御言葉は、いのちのパンです。このパンは幸いに食べ過ぎるということはありません。御言葉ではない、私たちの肉なるものは、その心にぜい肉を付けます。私は今身体のダイエットに励んでいますが、信仰のダイエットもいいものです。御言葉のパンをしっかりといただいて、御言葉でお腹を一杯にしていただきましょう。

関牧師




2011年5月1日

5月1日2011年の週報に掲載

不整脈など、自分には縁のないものと思い込んでいました。四年ほど前に、一度不整脈になったことはあるのですが、それは数時間で終わり、それ以来何もありませんでした。しかし、今回は時間が長く、自分でもこれはまずいと思ってドクターに行った次第です。


皆さんにご心配をお掛けして申し訳ありませんでした。またお祈りを感謝いたします。


原因は分かりすぎるくらい明確で、コレステロール、運動不足、ストレス、疲労です。対策も明確です。適切な食事、適度な運動、ストレスを溜めない、過労を避ける、など。


さっそく食事も考えて取り組みを始めています、特に腹8分目を心がけています。火曜日のオフには、庭の手入れで汗を流しました。


「牧師のストレス」に関する書物を読む中で、ストレスの原因として「実現不可能な要求に応えようとすること」という一文が特に心に留まりました。時間的、体力的、賜物的に要求に応えることが無理なことがあります。出来ないことは出来ないと、自分を制することが大切なことです。決してやり過ぎない。


結局、キリストの体としての教会の成長を妨げているのは、牧師である自分の「やり過ぎ」にあるのだと自戒しています。まず、そこを悔い改めて、教会の主であるイエス様と、愛する兄弟姉妹の存在に、もっと頼らせていただきたいと思っています。




関牧師




2011年4月22日

4月24日2011年の週報に掲載

主イエス・キリストの復活を心から喜びます!

今年の受難節は、「黙想のしおり」を用いながら、共に御言葉に導かれてまいりました。また一歩、主の十字架に近づくことが出来ましたか? 「自分にとって、キリストの十字架とは?」 確かな答えを頂きましたか?


さて、今日は復活祭です。主は今も生きておられる、これが私たちの信仰です。しかし、主が生きておられても、遠く離れた雲の上か、一年に一度おいでくださるような、そんな離れたお方であるなら、私たちと何の関係があるのでしょうか?


しかし幸いに、主は私たちと共にいてくださるのです。最も近くにいてくださるのです。ですから私たちは、この主と人格的関係を持つことが出来るのです。この主との生きた関係こそが、私たちの成長の力であり、支えになります。


一人一人が、主との人格的関係を、より強く、親しく持つために、近々、新しいクラスをスタートいたします。それはメッセージを聴くものではなく、御言葉に聴くこと、それによって主との人格的関係を構築するのを助けるものです。


自分自身が、主の御声を聴き分け、受け入れ。従う。さらには自分のことばで、主に語りかける。この人格的関係こそが、私たちの信仰の土台となります。共に求めていきましょう。




関牧師




2011年4月15日

4月17日2011年の週報に掲載

いよいよ受難週に入ります。金曜日はグッドフライデーです。共に、主の十字架に、もう一歩近づきましょう。

「あなたにとって、イエスの十字架とは?」この問を投げかけています。それぞれに答えが与えられましたか? この問への答えが、自身の信仰の内実です。そして、十字架をどう理解して、どのように応答するか? これが私たちの信仰生活を決定的に左右することになります。

十字架の前に出た時、私たちは二つの言葉しか出てこないと言われます。一つは「ごめんなさい」。これは悔い改めの言葉です。神から離れていた「罪」というものが、どれほどの「罪」であるか、その重さに気づかされます。

もう一つは「ありがとう」です。そんな罪人である自分のために、イエスは十字架で命を捨ててくださった。無条件の愛、敵を愛する愛、永遠に変わらない愛、十字架を通して私たちは本当の愛を知ります。 よく人生において「ごめんさい」と「ありがとう」、この二つの言葉が言えたら大丈夫と言いますが。信仰生活も同じです。神の御前で、この二つの言葉を持つこが出来たら、それで十分なのです。

「わたしに近づくために、命をかける者はいった誰なのか?」エレミヤ30:21 さあ、共に主の十字架を仰ぎ見ましょう。

関牧師


2011年4月14日

Hawaii Love Japan (O Happy Day)



日時:4月16日2011年(土)夜6-8時

場所:アロハタワー1階ステージ


東日本大震災を励ます為の義援金を集めるためのコンサートをゴスペルチーム「虹組」とシャロン・フラチームと他のシンガー(Sister Shelia & Brother David)が行います。


虹組はまだ1年足らずのグループですが、ぜひ励ましとお祈りのサポートをお願します。

2011年4月7日

4月10日2011年の週報に掲載

「こんな時だからこそ」最近、このセリフをよく耳にします。日本のプロ野球が「こんな時だからこそ」試合をする、しない、で意見が割れました。両者の言い分はどちらにも一理あります。この時期にハワイに来られる方も、「こんな時だからこそ来ました」「こんな時だからこそキャンセルしました」。あるいは「こんな時にハワイに来て申し訳ない」というのもありました。 それぞれに考えがあって「こんな時だからこそ」することを決断したり、しなかったり。どれも、その理由が大切なのだと思います。

イエス様は「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい」と語られました。相手の心に寄り添おうとする気持ちが大切なのだと思います。それは隣人への愛です。



自分がしたいか、したくないか、ではなくて、それが相手の益になることなのかどうか。 この動機から始まった「こんな時だからこそ」の判断は、決して誤ることはないでしょう。



私たち教会は「こんな時だからこそ」何をするのでしょうか? 何をしないのでしょうか? 本当に大切なものは何でしょうか?「大切」という言葉は「大いに切迫する」という所から来ています。


つまり緊急事態にこそ、本当に大切なものが見えてくるということです。 今、私たち教会にとって、本当に大切なもの、優先順位というものを考えさせられる機会であろうと思います。

関牧師


2011年4月1日

4月3日2011年の週報に掲載

WALUプロパティの銀行がローン(約1.5ミリオン)が完済されました。これで、また一歩リニューアルに近づきました。


WALUプロパティの取得の意義は少なくとも2つありました。一つは駐車場の確保のためです。しかし、ここがオバマ大領領の住居であったことが分かったこと、また近隣住民の反対もあり、いまだ駐車場にはなっていません。もう一つの意義は、この敷地が、教会の敷地面積に加えることが出来るということです。それによって増改築が法的に可能になります。日本語では建蔽率と言いますが、その率が上がったということです。


現在、CITYから要求されているのは駐車場の数です。それがクリアーされると、具体的な建築内容についての認可に入ります。これまでのリニューアルへの献金はWALUプロパティの返済に優先的に使われていましたが、これからの献金はすべて建築費用のために蓄えられます。どうぞ、これからも献金の継続をよろしくお願いいたします。


今回の震災で、日本の耐震技術の高さに賞賛の声が世界で起こっていますが、それも津波に対しては、抵抗のしようがありませでした。
「神、そのまなかにいまし、その都は揺るがない」(詩篇46:5)
この時、私たちは決して揺るがないものに想いを向けます。教会のまなかに、何があるか? 主なる神をその真ん中の王座にお迎えできる教会として整えられていきましょう。

関牧師

2011年3月25日

3月27日2011年の週報に掲載

震災から15日が過ぎ、復興への歩みも始まっています。会報に3つの復興について書きました。物質的な復興、心の復興、霊的な復興。いずれの領域も大切です。それぞれに与えられた賜物、能力を活かして用いていきましょう。

先週、水曜日に、このような災害に直面する中で受けるトラウマについてのサポートグループの集まりを持ちました。ハワイにおいても映像を通してトラウマを受けてしまうことがあります。

TVやインターネットのニュースに入り込み過ぎないようにしましょう。特に映像は、想像以上に心を引き付けます。
今自分はハワイという土地にいることを確認しましょう。また日本からハワイに避難されて来る方がこれから増えて来るでしょう。

私たちの想像を超えた、恐怖、不安、痛みを経験されている方もいます。そのような方々にとって教会が「避けどころ」となりますように。「ほっと」一息つけるような場所でありますように。

迎える私たちは、その方々のありのままを受け留める者でありたいと思います。 この震災を通して、教会は目が覚まされています。
教会の運営、維持において大切なことは多くあります。しかし、教会が最も力を注ぐべきところ、その使命は何のか? もっとシンプルになりたい、そんな思いでいます。

関牧師


2011年3月17日

3月20日2011年の週報に掲載

ある方から、友人の未信者の方から「日本のために祈ってください」と言われたそうです。「祈ってください」この言葉は、教会の中では常に耳にする言葉です。

しかし、今回この言葉の重さを一際感じました。
おそらく友人の方は、政府に、企業に、自衛隊に「祈ってください」とは言わないのではないか、教会だから「祈ってください」と言うのだと思うのです。

教会に与えられている「祈り」という務めの重さを今更ながら痛感するのです。まさに、教会は今この時、祈るために存在しているのです。今全世界が、そして日本が、「祈ってほしい」と叫んでいます。

「祈り」は、私たちに与えられている特権です、力です。今こそ、心を合わせて神に祈りましょう。 祈りのしおりが配布されています。どうぞご利用ください。

一人一人の個人の祈りの中で、自然に集まった小さなグループで、また週日の定期祈祷会にも、この機会に是非ご参加ください。集まって祈ることにも大きな意味があります。

「主は、人のいないのを見、とりなす者のいないのに驚かれた。」                        イザヤ59:16

今こそ、教会が「とりなし手」として、神の御前で祈り、また人々に向かって福音を宣言する時です。   

関牧師


2011年3月11日

3月13日2011年の週報に掲載

ある方が、私の一番下の娘に「お父さん変わった?」と尋ねたところ、娘は一言「髪型が変わった」と答えたそうです。

劇的に変わると分かりやすのですが、いまだに工事中の身、変わり続けることが大切であろうと思います。大切なのは、「自分を見失わないこと」です。理想化された自分、あるいは卑下された自分、高すぎても、低すぎてもいけない。今の自分の本当の姿をしっかりと見つめることです。

それが出来るとするなら、どんな自分であっても決して裁かれない、受け入れられるという保障が必要です。天の父は、放蕩息子のような私たちのために、御子を十字架につけるほどに愛してくだいました。この天の父の愛の中で、私たちは本当の自分を取り戻すことが出来るのです。そして、本当の自分が、神の恵みによって取り扱われ、変えられていく、それが実として残っていくのです。

そして、その天の父の愛を体感させてくれるのが、真実な交わりです。「父の学校」の間中、どれだけのハグをしたでしょうか。もちろん男同士です。自分の弱さ、失敗の告白の中でもハグされることで、受け入れられている自分を確認しました。

私たちの成長には、自分が自分でいられる愛と真実の交わりを持つこと。そして、神に変えられ続けることを求める心を持つこと。この両方が必要です。

関牧師

2011年3月3日

3月6日2011年の週報に掲載

三日間に亘って開催されていた「父の学校」も、今日が最終日です。 今日のテーマは「父親と家庭」。今日の午後に受講に向かうわけですが、前もって福澤師が「心に光を」放送で語ってくださった「男性は、HOUSEを建てることは出来るが、HOMEを建てることが出来ていない」という一言が心に留まります。

ある方の妻が家を出ました。 夫は当惑し私の所に来て訴えました。 「私は、妻のために家を建て、年に一度は家族旅行も計画し、酒もタバコもやらず真面目に働き、家族を養ってきた。妻は何が不満なのか?!」

その前に、妻の方は顔に青あざを作って尋ねて来ていました。 息子の家庭内暴力にあっていたのです。 しかし、夫は「気づかなかった」と言いました。

この夫を責めているのではありません。 本人は、分からないのです。 HOUSEを作ることは分かっても、HOMEを作ることを知らないのです。 なぜなら自分自身もHOMEを経験したことがないからです。

私自身もどこまで分かっているのか? 学びに行ってきます。
教会の牧師としても考えさせられます。 教会の建物を建てることと、キリストの体を建てること、その違いを分かっているだろうか。
そして私は本当にキリストの体を建てているだろうか? 今一度、天の父の御前で深く考えさせられます。

関牧師



2011年2月27日

2月27日2011年の週報に掲載

いよいよ金曜日から三日間に亘っての「父の学校」が始まります。私にとっては、待ちに待ったという感じです。「父が生きれば、家庭が生きる」このテーマのもと、父の本来の役割と、使命を取り戻そうという働きです。

セミナー形式ではありますが、ただ講義を聴くだけではなくて、実践的なプログラムもあり、心の深くを取り扱っていただけます。

私自身もよく証しをしていますが、父との関係の中に足りなさを覚え、その足りない部分を埋めるために、様々な思考錯誤をしてまいりました。

そして、ある時、この神が「私の父」であることを体験的に知り、それが私の人生にどれだけの祝福をもたらしたことでしょう。
しかし、もっともっと成長したい、もっと父の愛を知りたい、そして自分のまだ足りない所を教えていただきたいと願っています。

牧師が教会の父のような存在であるなら、「牧師が生きれば、教会が生きる」と言えるでしょう。
是非、この「父の学校」のためにお祈りください。日本から11名のスタッフが手弁当で奉仕に来てくださいます。また主講師の福澤師のために、特に参加者が、本当に心を開いて主の取り扱いを受けることが出来るように。経済的な必要も満たされますように。
男性のリバイバル(もちろん女性も)のために祈りましょう。

関師



2011年2月24日

2月20日2011年の週報に掲載

昨日の土曜日には、日本文化センター『星光庵』にて、表千家の「お茶会」がありました。松本師匠からご指導を受けてはや4年が過ぎ、今回は「濃茶」の亭主をさせていただきました。

茶の湯の作法を確立した千利休には、利休七哲と呼ばれる七人の高弟がいましたが、その内の五人が高山右近に代表されるキリシタンでした。それもあってのことでしょう、茶の湯の中には、キリスト教の影響がとても多く散りばめられています。

ですから日本文化の集約でもある茶の湯は、決してキリスト教と対立しない、それどころか隠れキリシタン達は、茶の湯の席を、礼拝の場とし、茶の湯を通して聖餐式を守ってきたのです。徳川幕府のもと200年以上に亘るキリシタン禁制の中で、茶の湯からキリスト教的なものは、消し去られように見られましたが、実際には、その作法の中に、また茶室の造りの中に、さらにその精神の中に、しっかりとキリスト教の真理が残っているのです。

「狭き門から入りなさい」「野の花を見よ」、また「もてなしの心」に見られる隣人のへの愛。そして前述した聖餐式。他にも随所にキリスト教を見ることができます。

たった一杯のお茶。しかし、その中に「もてなし」の全てを集約し、そこから永遠への想いを深めていくのです。茶の湯を通して、この世の流れから一時、わが身を離れさせ、一息つく、茶の湯とはいいものです。

関牧師