2011年1月28日

1月30日2011年の週報に掲載

信仰の体験断である「証し」は、本当に恵まれますね。ただの理屈ではない、そこには「体験」という確かな事実があるので説得力があります。中川祐真兄の証しを通して、一人の若者が、主イエスに出会うことによって、真の自分を回復し立ち上がっていく。そればかりではなくこの主の愛を独り占めにしてはいけないと、今や伝道に燃える日々です。

私は、前もって原稿をもらいながら、本当に神の恵みに圧倒されました。ここまで苦しい所を通ってきたとは正直知りませんでした。ご両親も心を痛めたことでしょう。しかし、全てのことが益に変えられました。ハレルヤ!

一人の人が主のもとに導かれ、救われるまでに、無数の人々がその救いのドラマに登場します。お母様からの手紙、彼が教会に来てから、関わった全ての人、その一人一人の存在が、彼の救いのドラマを完成へと導いたのです。私たちは、キリストの体として一つの働きのために用いられているのです。天国の喜びの歓声が聞こえるようです。

「この愛を独り占めしてはいけない」本当にそうですね。この愛は、私たちの内で、満ち、溢れ、流れていくのです。この流れを留めることなど人間には出来ないのです。

今日も、この礼拝において、主に出会う人々が起こされてまいりますように、心より祈ります。      

関牧師



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