2011年6月28日

フラ (ビア・ドロローサ)

イースター(復活祭)にシャロン・フラチームがフラをしました。

涙そうそう (Reiko Nakano)

6月26日にLAからバイオリニストのReiko Nakanoさんがホノルル教会へ来られてバイオリンを弾いてくださいました。 感謝!

2011年6月24日

6月26日2011年の週報に掲載

さあ! いよいよハワイ聖会です。それにしても、なぜ聖会をお勧めするのでしょうか? まず、私自身が聖会で恵みをたくさん受けたからです。ですから単純に、聖会って素晴らしいなと思っています。


信仰には、転機というものがあります。ターニング・ポイントですね。「あ! 分かった!」というような体験。御言葉が文字ではなく、言葉として示される体験。心深くを、主に触れられる体験、などなど。


聖会とは、信仰の転機を体験する「チャンス」です。もちろん聖会でなければならないというものではありません。しかし、これは「チャンス」なのです。そのチャンスを活かすかどうかです。


私たちは、牧師でも誰でも、転機を与えることはできないし、それをコントロールすることは出来ません。人間が手を出せない領域です。それは神とあなたとの間のことですから。
しかし、そのためのチャンスを用意することは出来るのです。この聖会は、教会が祈って準備したチャンスの場です。講師の郷家先生も、祈り備えています。


詩篇42:2「いつ私は行って、神の御前に出ましょうか」とあります。いつ神の御前に出るのでしょうか? 「今」がチャンスです。このチャンスをものにしてください。そしてこれからの信仰生活を根底から支える信仰の転機を体験してください。


恵みの座が、あなたを待っています。


関牧師



2011年6月20日

6月19日2011年の週報に掲載

今日は、父の日でもあり、教会総会でもあり、安藤先生を特別ゲストにお招きしたり、盛りだくさんの日です。盛りだくさんと言えば、牧師館の庭のバナナが3房ぶら下がっています。熟すのが楽しみです。
特に本日は、教会総会が開催されますが、この時私たちが属する、この集団が、どのような集団であるかを考える良い機会であろうと思います。


教会は、企業のようで、学校のようで、病院のようで、施設のようで…、またある国、ある時代においては、軍隊にもなり、政府にもなりと様々です。しかし、教会とは教会であり、教会以外の何ものにも代わることは出来ません。教会とは「共同体」です。


「共同体」とは、同じ使命のために、等しく責任を持った者たちの集まりです。教会が維持、運営され、キリストを証しするという使命を実行するために、「等しく責任を負っている者たち」の集まりです。
つまり、お客さんではなく、それぞれが主体であるということです。だから聖書は「愛し合い、赦し合い、仕え合い、慰め合い」と「合い」と語るのです。どちらか一方が、「する人」で、一方が「される人」ではなく、お互いが「し合う」のです。これが共同体の姿です。


なすべきことは、みな違います。賜物が違うからです。大切なのは、与えられたタラント(賜物)を忠実に用いることです。それが教会への責任の一つです。あなたの存在と賜物に応じた働きが、教会には絶対に不可欠なものなのです。




関牧師






2011年6月12日

6月12日2011年の週報に掲載

今日は、教会暦における「ペンテコステの日」です。ペンテコステとは、ギリシャ語で50日目という意味で、過ぎ越しの祭りの50日後に行われる収穫祭のことを指しています。


そして、このペンテコステの祭りの時に、聖霊が降ったのです。使徒の働き2章1節以降に、その様子が記されています。


さて、私たちは、このペンテコステの出来事を「教会の誕生日」としています。それまでの時代は、母の胎内にいるかのようにして、その存在は隠されていましたが、聖霊が降った時に、教会が目に見える形でこの地上に出現したのです。


ハワイには結婚式用のチャペルがありますが、それは建物が教会風に建てられているだけで、真の意味では教会ではありません。教会とは建物でも、組織でもないのです。

  • 教会は、イエス・キリストを信じる者たちの集まりです。
  • 教会は、この世に、キリストを証しすることを使命しています。
  • 教会は、キリストのご臨在されるところです。




人が集まれば雨露を防ぐ「場所」が必要となり、人が多くなれば「ルール」が必要となり、活動が行われれば「役割分担」が必要となります。しかし、それれは後から付随してきたものであって、教会の本質ではありません。教会の本質は「イエス・キリスト」です。


関師

2011年6月3日

6月5日2011年の週報に掲載

日本では梅雨入りが宣言されました。ハワイでは6月はジューンブライドの季節、今年もたくさんのカップルが訪れることでしょう。


梅雨と言えば、表紙の写真にもあるように、紫陽花の季節です。紫陽花のグラデーションのかかった色合いは素敵ですね。大好きです。ハワイでも紫陽花の鉢植え売っていたので買ったことがありましたが、土に植え替えたら枯れてしまいました。ハワイの気候には合わないのでしょうか。


私も2005年に、それまで日本に植わっていたのに、予想もしなかったハワイに植え替えれました。自分にとってハワイの土と水と空気は合っているようです。しっかりと、ハワイに根づいています。


私たちは、同じように、この世から、神の国へと植え替えられました。神の国の土と水と空気は、あなたに合っていますか? ここに植えられると、どんな人でも成長します。神の愛と恵みの養分を十分にいただいて、それぞれの花が咲き、豊かな実を結ぶのです。


「その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える」詩篇1:3


さあ、根をおろしましょう。人知をはるかに超えたキリストの愛に、根を深くおろしましょう。      
関牧師

5月29日2011年の週報に掲載

ハワイでは卒業式のシーズンです。今年は、我が家の長男と長女がそれぞれ高校、中学を卒業しました。
というわけで卒業式に出たわけですが、日本の卒業式との違いに、まさにカルチャーショックです。


日本だったら、「静かにしなさい!」の連発で、大変なことになると思うのですが、こちらでは、ダンスして、大声で叫んで、思ったこと感じたことをそのまま表現するのです。本当に、いいなと思いました。一方で、日本の「あおげば尊し」も、それもまた良いと思います。


曽野綾子さんが、その著書の中で「列を作って並ぶことの出来る民族は少ない」と述べていました。その中でも特に、日本は列を作って並ぶことの出来る民族です。この震災でも、そこに世界が驚嘆しました。実は、列を作って並ぶという概念そのものがない民族も多くあるということです。


どちらが良い悪いではなく、文化、歴史の違いです。それぞれの違いを知ることによって、お互いを理解する心の豊かさを持ちたいものです。


明日はメモリアルデーです。人生の卒業式を終えた先輩たちのことを想います。人生の卒業式も、人それぞれみんな違います。でもクリスチャンの「その時は」、厳粛さの中にも、喜びがあふれる、ハワイでも、日本でもなく、それは神の国なのでしょう。 






関牧師