2011年7月29日

7月31日2011年の週報に掲載

昨日は、大きな入道雲が見えました。何か懐かしいような、入道雲に、蝉の声、麦わら帽子に、蚊取り線香…と日本の夏が思い出されます。


道端のシャワーツリーも満開で、夏の到来を感じさせます。最近は、サウナスーツを着て、マノアの谷をウォーキングしています。汗をたっぷりかいて、リバウンドしないように心がけています。


ホノルル教会の礼拝で、いつも前の方に座っているご高齢の夫妻をご存知でしょう。チェスブロー・エドワードさん、貴子さんです。
ご夫妻は、このたび息子さんのいるシアトルに移住されました。貴子さんは、礼拝の中で、両手を挙げて「ハレルヤ!」と叫んでいる、あの「ハレルヤおばさん」です。メッセージの最中でも、実に絶妙のタイミングで「ハレルヤ!」を叫んでくださり、私もずいぶんと励まされました。


息子さんの所に行かれるのは良い事ですが、教会にとっては寂しくなります。新しい地でも、夫妻が主の平安の中に過ごすことが出来ますように、心から祈ります。
そこで、どうでしょうか? 2代目「ハレルヤおばさん」を襲名する人はいないでしょうか? ハレルヤおじさんでもいいですね。どうぞ貴子さんの後を継いでください。


静まった礼拝もいいですが、神への思いを表現するのも、また素晴らしいことです。ご一緒にハレルヤと叫びましょう。






関牧師





7月24日2011年の週報に掲載

私たちの敬愛する中野雄一郎牧師が、72歳となり教団の定年を迎えました。引退という言葉がまったく似合わない先生ですが、教団の教職としての肩書きが引退牧師と変わるだけで、先生の働きはこれからも変わらずに継続されます。これからも明子先生と一つになって、世界中を福音伝道のために駆け巡ることでしょう。


中野先生は1981年から96年までホノルル教会を牧会してくだいました。その実は今でも豊かに残っています。改めて、中野雄一郎牧師の教団牧師としてのご奉仕、同労者である明子夫人のご奉仕に心から感謝を申し上げます。


私たちは、過去の聖徒たちの残した恵みの上に立っています。数え切れない聖徒たちが、福音の種を蒔き、捧げ、会堂を建て、今に至ります。
これから私たちは、どのような歴史を造り、未来の聖徒たちに何を残していけるでしょうか? 教会は「生きています」。常に成長の中にあります。成長とは変化です。今の新しい皮袋も、やがて古くなるでしょう。しかし、何十年、何百年たっても変わらないものがあります。それこそ、私たちが残すべきものでありましょう。


50年後のホノルル教会のメンバーが「これがあったから教会が支えられている」と言っていただけるものとは何でしょうか?
共に、ホノルル教会の明日に向かって労してきましょう。






関牧師


2011年7月13日

7月17日2011年の週報に掲載

「風の吹くまま」でなく「思いのおもむくまま」に書いてみます。


私が30歳で洗礼を受けてから、今年で50年になりました。 過去に色々なことが有りました。その出来事は、全ては勉強だと言うことです。 色々な出来事を勉強と受け取れるのは、救いの平安が心に有るためだと思います。
もし心に平安が無かったとしたら、失敗が悔しく、楽しかったことが懐かしく、現実が淋しくなるでしょう。
泣いても笑っても過去は決して返りません。人は一人で生まれて一人で死にます。しかし、感謝すべきかな、イエスはその私たちを憐れんで、神の国に入れてくださいました。皆さん地上の神の国、教会で楽しく生きましょう。


人にしてもらいたいことを、人にして上げましょう。人はその時、生きがいを感じるものです。
嘘だと思ったら試してみましょう。 これが50年の結論です。








石井真空




2011年7月8日

7月10日2011年の週報に掲載

先日、ハワイ聖会が郷家一二三先生を招いて行われました。本当にわかりやすく説明してくださいました。ごく当たり前の事なのですが、その当たり前の事が生活に生かされていない事を改めて考えさせられました。

現在、あまりにも世の中の流れが速いので、人間にとって本当に大事な事が激動の時代と忙しさの中でおろそかにされようとしています。
少し前までは、目に見える形で私たちの前に立ちはだかっていた問題に対して人は戦っていきました。 しかし、今は何が悪なのかの区別がつかなくなりつつあります。 世の中では人の愛が冷えています。 人の愛が冷えれば冷えるほど、見えない形で違うものとなって現れて来ます。
一体何故でしょうか? 目に見えない愛の心があれば見えていないものが見えてくるから不思議なのです。

目に見えない神と人との関係が崩れ始めますと、社会や会社関係、友人関係、人間関係、家族関係まで幅広く広がってきます。

確かにあそこが悪い、ここが悪いというので、悪い部分を直そうとしましても愛が無いので、他の部分がまた違う形で飛び出してくるのです。 小さな問題は直すことが出来るのですが、人の心に愛が無ければいつまでも同じ誤りを繰り返し続けるのです。 自分の心に愛が無いことに気付く事が本当に大事なのです。 自分と神さまの間にある十字架の愛が私にも、世界の人々にも必要だと思います。


松田従旨







2011年7月4日

7月3日2011年の週報に掲載

今日はハワイ聖会の最終日です。この文章は聖会前に書いていますが、感謝を先取りして「素晴らしい聖会でした」と報告させていただきます。


郷家先生ご夫妻は、水曜日からの教団修養会でもご奉仕されます。どうぞ覚えてお祈りください。
私は、6日(水)~16日(土)まで、LAにおける修養会、総会と参加する予定です。10日の主日は、サンディエゴ北のノースカウンティ教会でご奉仕する予定です。


最近すこぶる体調が良好です。血液検査の数値が大変悪く、一発念起でダイエットを敢行、一ヵ月半で7キロ落としました。あまり急に落としたので、締まったというより、やつれたという感じもありますが、元気です。
ダイエット講演会でも開こうかなと、これは冗談ですが、皆さんが牧師の健康をとても気にかけてくださり、体調管理の大切さを痛感しています。
それにしても、マノアの谷を散歩しながら、山から吹き降ろす貿易風をお腹一杯に吸い込みながらの散歩は格別です。


信仰も、シンプルがいいですね。信仰も身体もぜい肉をなくして、すっきりといきましょう。


関牧師