2012年8月23日

8月26日2012年の週報に掲載

 調子に乗ってダンベルを使って筋トレをしていたら、手首を傷めてしまった。どうも47歳の身体の現実に、意識がついて行っていない。教会の多くの方々に、若い若いと言われるのでつい、その気になってしまいます。よく考えれば、お互いに年を取るわけで、私がどれだけ年を重ねても、その方にとって私は常に若いのです。ということで、今の身体に合ったトレーニングをしなければと考えている今日この頃です。

 最近、色々なところから、礼拝メッセージを聴いていますよ、というレスポンスをいただくことがあります。日本の、全く知らない方からも連絡をいただくこともあります。自分の語ったメッセージで、主の恵みに預かっている方がいることは、本当に嬉しいことですし、大いに励まされます。ある方は、数年前にホノルル教会に来られて、そこで語られたメッセージが「深く心に刺さり」、日本に帰ってから洗礼を受けられたとの、お便りをいただきました。とても嬉しいです。

 しかし、教会成長ということを考える時に、メッセージが良い、という事だけでは成長できないのです。そのメッセージにおいて明らかにされた「御言葉の真理」が、一人一人の聴き手の内側に種のようにして植え付けられ、根を張り、実を結ばなければ、ただ一時の満足で終わってしまいます。そして、容易に忘れられてしまうものなのです。

 そこで、教会にどうしても必要なのが、「御言葉を分かち合う」交わりなのです。「今日のメッセージは良かった」と言ってくださるなら、どこが、どのように良かったのか。「今日のメッセージは分からなかった」と言ってくださるなら、どこが分からなかったのか? 御言葉を中心にして、それぞれの応答を分かち合うのです。その時に、御言葉が個人的な恵みから、教会の恵みへと拡がっていくのです。 そんな場があったら素晴らしいと思います。

関牧師

0 件のコメント: