2012年5月31日

6月3日2012年の週報に掲載

「マルモのおきて」というドラマを見てしまいました。ドラマがヒットする条件に、子供、ペットという要素があるそうですが、まさにお決まりの筋書きなのですが…、分かっていても涙している自分です。

「マルモ」の親友が亡くなり、その親友の双子を引き取って育てるという物語ですが、この双子が「愛菜ちゃんと福ちゃん」で、大人気となったわけです。マルモと双子がぶつかりながら、試行錯誤しながら家族になっていくのですが、その中で「おきて」を作っていくのです。「遠慮は無用」「子供は子供らしく」「離れ離れでも家族」などなど。それが「マルモのおきて」なのですが、その「おきて」は、愛情から出たもので、幸福を願ってのものです。

本日から「十戒」をテーマにメッセージを語っていく予定です。ですから最低でも10回は続きます。「十戒」というと何か重たい、怖いイメージがあるでしょうか? しかし、これこそ「神のおきて」であり、そこには天の父の愛情と、神の子たちに幸福になってほしいという願いが込められているのです。

タイトルを「幸福への道 10のことば」としました。十戒の始まりには「わたしは、あなたの神である」という言葉が枕言葉のようにしてあります。(出エジプト記20章を参照) ご一緒に「神のおきて」を学び、真の幸福を手にしましょう。

関 真士牧師

2012年5月28日

5月27日2012年の週報に掲載

今日はメモリアルデイでもあり、ペンテコステでもあります。聖霊降臨の出来事と、メモリアルデイと、何かつながりはないのでしょうか? 今日の礼拝で語らせていただくエペソ書1章13、14節では、聖霊とは、御国を受け継ぐ保証であるとあります。

聖霊が内に宿ると、天国が意識されるようになります。そして希望がもたらされます。

聖霊とは、精霊ではありません。聖とは、神の御性質を現す言葉です。聖霊とは、聖なる神の霊 という意味です。ですから、人格(神格?)があります。感情があります。好き嫌いがあります。聖霊は、得体の知れない諸霊ではなく、何かのパワーもありません。天地万物を創造された神の霊なのです。

創世記2章7節「神である主は、土地の塵で人を形造り、その鼻に命の息を吹き込まれた」とあります。実際に、この土の中には、人間の肉体の形成に必要な要素、成分はすべて含まれているそうです。しかし、「命の息」が吹き込まれて、初めて人間は生きる者になりました。この「命の息」こそが、「聖霊」なのです。イエス・キリストを信じるとき、私たちの内に聖霊が宿ります。その時に、私たちは本来の神に造られた人間としての姿を取り戻すことが出来るのです。

関真士牧師

2012年5月18日

5月20日2012年の週報に掲載

全世界で8億人が登録していると言われるフェイスブック。
ホノルル教会のフェイスブックhttp://www.facebook.com/hccjapan

 一昔前は、伝道というと、まずトラクト配布から始まったものです。学校の前や、駅前や、家々のポストに入れたり、ひたすらトラクト配布していた思い出があります。何とか、一人でも多くの人に福音を伝えたいという一心で、ある時は新宿の路傍で、福音を叫んだこともありました。

しかしインターネットの出現で、伝道方法も劇的に変わりました。ホームページから始まって、ブログがあり、フェイスブック、ツィッターと拡がります。次は何が来るのでしょうか?

正直、この状況が いつまで? どこまで? 続くのか懐疑的になる面もあります。リスクもあります。しかし、一人でも多くの人に、このキリストの福音を伝えたいという一心で、フェイスブックに登録しました。その道に詳しい方にヘルプしてもらいながら、より効果的な利用が出来たらと思っています。

全世界に出て行って全ての造られた者に福音を伝えよ、と主イエスは語られました。オフィスにいながら、まさに世界中に福音を伝えられるという、ある意味で夢のようです。

「伝道」これが教会の使命であり、存在意義です。

関牧師

2012年5月11日

5月13日2012年の週報に掲載

母の日の由来をご存知でしょうか。1908年ウェストバージニア州のメソジスト教会にミセス・ジャービスという教会学校の先生がいました。彼女は26年間、教会学校で教えたそうです。ミセス・ジャービスが召された時、娘のアンナは、葬儀の時にカーネイションを飾り、参列者にも配ったそうです。これがきっけとなり、教会で5月の第二主日に「母の日礼拝」が捧げられるようになりました。

日本で初めて母の日の行事が行われたのは明治の末期頃で、大正四年に教会で祝われ始め、徐々に一般に広まっていきました。一般に広く知れ渡ったのは、昭和12年(1937年)森永製菓が広告を始めたことがきっかけであったそうです。森永製菓の創業者である森永太一郎は熱心なクリスチャンで、チョコレートやキャンディを屋台に積んで行商しましたが、その屋台には「キリスト・イエス罪人を救わんために世に来たりたまえり」という看板が掲げれていました。彼は「ヤソの菓子屋さん」として有名になったそうです。

母の愛とは、この地上で最も神の愛に近いものだと言われます。どこまでも深く、広く、暖かい、受容の愛です。しかし、その母性愛というものが、「母とはこうあるべきだ」という神話を作り出し、それが逆に「母」を追い詰めているという事も指摘されます。

私たちは「母の日」の今日、母への感謝の思いを持ちたいと願いますが、同時に、母の愛にまさる「神の愛」の思いを向けていきたいと思います。

関師

2012年5月3日

5月6日2012年の週報に掲載

アロハタワー
最近の日本からの報道によると、成人男女の4人に一人が、本気で自殺を考えたことがあるとのことでした。大変な数字です。

その内の約半数が、人に相談したり、助けを求めることにためらいを感じています。それは、家族に、友人に、職場に迷惑がかかるというのです。

まさに「日本人的」です。自分が死ぬほど追い詰められているのに、それでも廻りの人のことを考えているのです。しかし、それは、優しさからくる配慮ではなく、「人に迷惑をかけてはいけない」という言葉の呪縛に縛られているのです。

「人に迷惑をかけてはいけない」 子供を育てる上で、大切な躾けの一つとして多用されるセリフです。 しかし、その「迷惑」とは何か? が問題です。私たちは、多くの他者と共に生きている存在です。困った時にはお世話になったり、助けられたり、また時には、する側になったり、そのようにお互いに助け合いながら生きているものです。それが「迷惑」をかけることになるのでしょうか?

本当の迷惑とは、相手を傷つけることでしょう。偽り、悪意、憎しみ、妬み…、これらは人に与えていけないものです。

お互いに助け合い、思い合うこと、いいではないですか。中には、神さまに迷惑をかけてはいけないと思って、自分の重荷を降ろせない人がいるでしょうか? 人にもそうですが、神様にはもっともっと「ご迷惑をお掛けして」いいのではないでしょうか?

関師

HCCディサイポーズ

ホノルル教会のヤングアダルトのブログです。