2013年1月10日

1月13日2013年の週報に掲載

礼拝のメッセージに対して良く言われることは、「この先生はなぜ私の事を、こんなに知っているのか?」とか、「この先生は、私に対して語っている。」といった言葉です。

それは、老若男女、信仰のベテラン者から、初めてキリスト教会の礼拝に参加された方までが、同じ事を言われます。しかも同じ礼拝メッセージに対しての言葉です。

そもそもが、メッセンジャーが、ある特定の人に向けて、いわゆる「あてつけ」のメッセージをすることは有り得ないし、もしそれが行われたら、メッセンジャーとしの資格を問われるでしょう。

同じメッセージの中で、「私に対して語っている」と受け留められる方が、何人もおられる。しかも、その人たちは、みんな違う状況に置かれているのです。このような事はメッセンジャーが「メッセージを作って」できることはではありません。神の業としか言いようがありません。一番驚いているのは、メッセンジャー自身です。主を畏れます。

もし「私に対して語っている」と感じたら、それは本当に、主があなたに語っているのです。

関牧師

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