2013年4月26日

4月28日2013年の週報に掲載

 今日の礼拝のメッセージは「傷のいやし」です。特に心の傷について語るのですが、このテーマは、常に取り組み続けているものです。なぜなら、心の傷で、苦しめられている方、苦しめている方が、圧倒的に多いからです。

   心の傷とは何でしょうか? その原因は様々です。いやゆる災害や衝撃的な体験を通してもたらされるPTSD(心的外傷ストレス)や、人間関係の中で、その言葉や態度によってもたらされるものがあります。実際に加害者、被害者が存在する場合もあれば、自然災害のように一方的なものもあります。心の傷と言っても、その原因や状態は様々です。

 しかし、一つ定義することが出来るとすれば「心の傷とは、過去における個人的な体験であり、それによって、神が自分に求めている生き方を送ることを出来なくさせるものである。」と言えます。
 神が人に求めている生き方、それは神と自分と隣人を愛することです。これを出来なくさせる過去の体験が「心の傷」です。心の傷のゆえに、自分の価値が低くなる、人に攻撃的になる、あるいは依存する、神に信頼することが出来ないなどの状況がもたらされます。イエス・キリストの救いは、この心の傷にいやしをもたらすのです。

関真士牧師

2013年4月22日

4月21日2013年の週報に掲載

「わたしは、この岩の上に、わたしの教会を建てます。」マタイ16:18 毎週の礼拝メッセージは、この御言葉に導かれて「On This Rock」をテーマに連続して語っています。

 私たちが立つべき「岩」として、天地創造から、終末、再臨まで、聖書のエッセンスを語っていきます。
 これまで「神は天地の創造主である」から始まって、人間は神のかたち=人格的存在として造られたと続き、十字架について語り、復活について語ってきました。今後は、4回に亘って十字架と復活のもたらす「救い」の内容について語り、19日の聖霊降臨記念日を迎えます。そこで聖霊と教会、宣教、聖化へとテーマが進んでいきます。

 その時々に、別のテーマに飛ぶこともあると思いますが、基本的にはこの流れで語っていきます。
 私の願いとしては、このシリーズをまとめて本に出来たらと思っています。個人の学びにも、伝道用にも、ミニチャーチのテキストにも使用できるようなものをイメージしています。神から良き知恵が与えられ、実現できますように、お祈りください。

 また、毎回の礼拝で語られたメッセージの御言葉をテーマに、学び会があります。木10:30AM 金11AM どちらも同じ内容です。是非、どなたでもご参加ください。

関 牧師

2013年4月11日

4月14日2013年の週報に掲載

【吉田文人先生からのお手紙です。】

主の御名を賛美致します。

 先日は、母教会であるホノルル教会で礼拝を捧げられた恵みを心から感謝しております。たくさんの教会の兄姉と再会できた事はなんという喜びでしょうか。

 ホノルル教会に帰り、もう一つ神さまからの贈り物がありました。それはアバ父よ!! という私の信仰の原点にもどることができたことです。 私たちは神の僕であり、また弟子でもありますが、まず何よりも父なる神の子供、とされているのだと思いださせていただきました。心から感謝しております。

 昨日、熊本教会での初めての礼拝を捧げる事ができました。
牧師としての歩みが始まりました。どうぞ熊本キリスト教会のためにもお祈りください。神と教会と人々の僕として謙遜に歩めますようにお祈り下さい。

 来週から、私が講壇に立たせて頂き、御言を取り次がさせて頂きます。マタイの福音書のはじめから、連続講解説教をと祈っております。
どうぞお祈り下されば幸いです。宜しくお願い致します。

2013年4月5日

4月7日2013年の週報に掲載

 谷戸せん姉が95歳で天寿を全うし、主の御許に召されました。復活祭の朝、礼拝の真っ最中での召天です。なんというタイミングでしょうか。せんさんは、90歳で洗礼を受けました。堀内ふみさんといつも一緒に座って礼拝している姿は、本当に微笑ましものでした。

 その後、マルヒヤに入られ、主日の礼拝には参加できなきなりました。訪問に行きますと、駐車場をちょうど見おろせる部屋でしたので、いつも窓から手を振って 見送ってくれました。ずーと見えなくなるまで、手を振り続けいてくれた姿が心に残っています。
 まさに天命を全うしたと言える、平安なその時でした。ご家族の慰めを心からお祈りいたします。

 最近、誰の言葉か定かではないのですが、私の耳に入った言葉で「教会は、主日の礼拝に来れる人だけのための教会ですか? 礼拝に来れない人にとっては教会ではないのですか?」という問いかけでした。
 様々な理由で教会に来られない人がいます。教会とは、その人にとっても教会であるはずです。この事をどのように実際に現していくことが出来るのか、考えさせれています。

関 牧師