2013年5月31日

6月2日2013年の週報に掲載

 この時期になると、日本に一時帰国される方、また日本から来られる方もあり、新しい出会いが多くあります。それにしても、教会とは、まさに「出会いの場」です。ある哲学者は「人生とは出会いで決まる」と言いましたが、その通りと思います。

 教会は、ありとあらゆる方々が集まる場です。今までの自分では、まったく接点がなかったであろう人達と出会います、年齢も職業も性格にしても様々です。 教会の原語は「エクレシア」というギリシャ語です。日本の最初のプロテスタント教会は、今も現存する「横浜海岸教会」ですが、明治の当時は教会ではなく「公会」と名乗っていました。教える会よりは、公会の方がいいかもしれませんね。

 もともとのエクレシアの意味は、「呼び集められた者たちの集まり」です。ですから、呼び集める方の名前が、その集まりに付けられます。教会とは、キリストが呼び集めるお方なので、キリスト教会と名乗ります。

 私たちは、誰一人として例外なく、キリストに「呼ばれて」ここに来たのです。ですから、教会での出会いは、すべてに意味と必然があります。この出会いを大切にしましょう。そして何よりも、まずイエス・キリストご自身との出会いを感謝しましょう。

関真士牧師

2013年5月24日

5月26日2013年の週報に掲載

 今「On This Rock この岩の上に」というシリーズでメッセージを語っています。先回からしばらく「聖霊」という言葉をキーワードに語っていく予定です。

 聖霊は、精霊ではありません。天使でも、何かのパワーでもありません。聖霊は「聖なる神の霊」です。よく礼拝の最初に読まれる聖句で「神は霊ですから、礼拝する者も霊と真によって礼拝しなければなりません」(ヨハネ4:24)とあります。聖霊は、人格(神格)を持った神の霊なのです。

 私たちが信じている真理は、神は三位一体の神であることです。父なる神、御子なるイエス、聖霊なる神、3つの神ではなく、現れにおいて違うが、唯一の神です。氷と水と蒸気のように、固体、液体、気体と、現れは違いますが、H2Oであることに変わりありません。

 私たちは、自分には「出来ない」、自分には「分からない」と言うことがありますが、出来ない者を出来るように、分からない者に悟りを与えてくれるのが、聖霊の働きです。もし私たちが、神の御心を行うことを願うなら、聖霊はそれが出来るように力を与えてくださいます。

 聖霊が働かれている、この「聖霊の現実」を、私たちはもっともっと体験していきたと、思わされます。

関真士牧師

2013年5月17日

5月19日2013年の週報に掲載

 今朝は喜びの洗礼式がありました。洗礼を受けられた皆さん、おめでとうございます。洗礼式とは、イエス・キリストを救い主として信じたことを、公に告白する儀式です。

 洗礼を受けるには、テストなどはありません。あなたが心からイエス様を救い主として信じているかを確認するだけです。救いは恵みです。人の努力や功績によるものではありません。

 もちろん聖書を学ぶことも大切です。しかし、それは救われるために学ぶのではなく、私を救ってくれた神をもっと知るために学ぶのです。
 確かに私たちは「恵みにより、信仰によって救われたのです。」(エペソ2:8) 老若男女に関わらず、どんな人でも信じるだけで救われるのです。そのためには、神がしてくださったことは何でしょうか? 御子イエス・キリストが十字架で命を捨ててくださったのです。その尊い犠牲の上にあって、初めて信じるだけで救われると言えるのです。

 私は1984年12月に洗礼を受けました。以来、神の真実によって今日まで歩むことが出来ました。どちらかというと、日記を書いても三日続かない性格ですが、信仰生活は、神の恵みで始まり、恵みで導かれ、恵みで完成するのです。だから今日までこれました。救いも、洗礼も神の恵みなのです。

関真士牧師

2013年5月10日

5月12日2013年の週報に掲載

 ハワイも五月晴れの気持ちの良い日が続きます。先日、マカプウ岬を歩いていたら、季節はずれのクジラが見えました。みんなと一緒に行動するのが苦手なクジラなのか、迷子になったのか、でも今までで一番近くに来て、その姿を見せてくれました。

 だいたい集団ができると、その中には必ず一人は周りと歩調を合わせることが出来ないタイプの人がいるものです。私も若い頃はそのようなタイプの子で、いわゆる「落ちこぼれ」と呼ばれる者でした。自分では落ちこぼれている自覚はないのですが、周りの価値観からすると、そうだったのでしょう。

 イエス様は、100匹の羊がいて、その内の一匹が迷子になると「見つかるまで」探してくださると言うのです。そして、迷子の羊を見つけると大喜びするのです。
 その一匹は、よほど周りから見たら問題です。その一匹のおかげで99匹が迷惑を受けることになります。一匹くらいいいじゃないか先に進もう、と言われても仕方ないでしょう。

 しかし、イエス様は、その一匹を大切にされるのです。私も、まさに迷える羊でした。しかし、イエス様に見いだされたのです。

 今日は、母の日です。決してあきらめない愛、探し続ける愛、受け入れ続ける愛、母の愛とは、神の愛に最も近いものです。

関真士牧師

5月5日2013年の週報に掲載

 教会とは何でしょう?学校のような、企業のような、病院のような、福祉施設のような、カルチャセンターのような、相談所のような、家族のような、などなど、**のようなと言ったらキリがありませんね。答え、それは「教会は教会」です。

 教会とは、教会以外の何ものでもありません。欧米では、歴史の中で、教会が村の中心にあって街が形成されてきました。ですから、教会は社会の中心として、様々な機能を果たすようになりました。それはそれで素晴らしいことですが、もし教会が本来の姿を失ってしまったら、元も子もありません。

 19日の聖霊降臨記念日(ペンテコステ)は、教会の誕生日と呼ばれます。今一度、教会と何であって、何でないのかを考えてみましょう。

 シェパード委員会の発足を目指して、準備作業が進められています。その目的は、単に組織の効率化のためだけではなく、教会を「キリストの体としての教会」として整えることにあります。
 当然のことながら、その根拠は、すべて聖書にあります。聖書的な教会かどうか、それが全てです。その上に立って、ホノルル教会の特色、個性があります。それらを引き出し、活かすことが真の教会の活性化となります。

関真士牧師