2013年12月18日

12月22日2013年の週報に掲載

 神は、私たちにご自身に対する絶対的信頼を持って欲しいと願っています。

 試練に合う時、それによって心が動揺する時、自分の力では解決が出来ない時、そんな状況に直面すると、ある人はいよいよ神に近づき、神に祈り求め、神への信頼を深めていきます。しかしある人は、いよいよ神につぶやき、神から離れ、神への不信を増していきます。

 その違いは、どこにあるのでしょうか? イザヤ書7章に登場するアハズ王は後者の人でした。神のことばに耳を傾けることをしませんでした。なぜでしょうか?

 両者の違いは、神への信頼があるかないかです。もっと言うと、神への信頼は、神が自分を愛していてくださるという確信から生まれます。自分は神に愛されているのだから「大丈夫だ」と言えるのです。私たちは、自分のことを愛していない、それは関心がない、守ってくれない、共にいないと同じことです。そんな相手は信頼できません。神への信頼とは、神に愛されている確信から生まれます。

 しかし、人はその確信と信頼を持てないことがあるのです。不信仰なのです。神は、その不信仰の民に対して諦めないのです。それでもなお、「わたしはあなたと共にいる」ことを知らせようとするのです。それが、クリスマスの出来事になるのです。

 クリスマスが、不信仰の民に対して、「大丈夫だ、確かにわたしはあなたと共にいる。わたしはあなたを愛している」というしるしなのです。

関真士師

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