2013年7月26日

7月28日2013年の週報に掲載

私たちの信仰は、「神のことばを聴く」ことから始まります。「はじめにことばがあった」とあるように、すべてに優先して「神のことば」があります。

私たちの人生に起こるすべての出来事を、また私たちの思考を、常に神のことばに結ぶ付けて考えるのです。「私はこう思う、こうする」の前に、まず神のことばに結び付けるのです。それはすなわち、神の御心を悟ることなのです。

よく「人のことばに振り回される」ことがあります。人のことばに影響され過ぎて自分を見失ってしまったり、人のことばが心に刺さってしまうこともあります。確かに、人のことばに影響を受けないことはないでしょう。しかし、神のことばにしっかり繋がっていると、振り回されることはなくなります。

まず神のことばを聴き、神のことばに導かれていくなら、私たちの歩みは揺るぎないものになるでしょう。

まだ神のことばを聴くことがよく分からない方は、どうぞ霊の心と耳が開かれるように求めていきましょう。これは修行した特別な者だけが得られるものではありません。信仰によって得られるものです。幼子のような素直な心で、ありのままに心を開いて、「主よ語ってください」と求めていきましょう。「神のことばを聴く」ことから、すべてが始まるのです。

関真士牧師

2013年7月17日

7月21日2013年の週報に掲載

 今年に入って「わたしは、この岩に上に教会を建てます」(マタイ16:18)の御言葉に導かれて「On This Rock」シリーズとして礼拝メッセージを語ってきました。さらにシリーズは続きます。今朝から「5つの鍵とキーホルダー」を元にして、聖書と祈りをキーホルダーとして、5つの鍵、礼拝、交わり、奉仕、伝道、献金のテーマでメッセージを語る予定です。

 すべては、ホノルル教会が「癒しの教会」としての使命を果たすことは出来るようになるためです。

 「癒し」とは、「神の意図した生き方が出来るために、それを妨げる全ての傷が取り除かれる」ことです。それは、聖化そのものです。神の意図した生き方とは、「神を愛し、自分を愛するように隣人を愛することです。」人の罪によって、傷つけられ、傷つけ、その結果私たちは愛することが出来なくなってしまうのです。 癒しとは、その罪と、罪の結果である傷が取り除かれて「愛する」という生き方を取り戻すことです。それを実現してくださるのが、聖霊の働きであり、十字架の救いなのです。
 教会が、愛において、赦しにおいて、成長しますように。愛することが出来る者へと変えられていきますように。

関真士牧師

2013年7月12日

7月14日2013年の週報に掲載

 このたび、角田利光兄が献身することになりました。献身とは、クリスチャンが、神に全生涯を捧げることを意味します。また同時に、フルタイムで牧師、伝道者、宣教師などになることを意味しています。

 ただし、これはなりたくてなれるものではありません。神様からの召命が必要です。神様が御心によって、ある者を牧師や伝道者に任命するのです。

 角田兄は、その神からの召命を受けたので、それに従い、これから神の働き人になるべく神学校での学びと訓練を始めます。

 特に、夫婦で献身する場合、夫婦が同じ心を持って歩むことがとても大切になります。入学するのは角田兄だけですが、夫婦が一緒に居ることがとても大切になります。幸いに聖書学院には、同じ敷地内に夫婦寮がありますので、そこで共に良き訓練を受けることが出来るでしょう。

 聖書学院は全寮制で学びに集中することになっています。ですから皆さん教会の支援を受けて入学します。ホノルル教会も、これまで井下牧師、吉田牧師、中川神学生をサポートしています。角田兄にも学びに専念していただくために、教会が経済的な支援をすることになりました。これは、角田兄からの要請ではなく、教会が、献身者を生み出すという大きな喜びのゆえに、サポートをさせていただくものです。詳しい角田兄の証、また支援の概要は、後日お知らせいたします。
 どうぞ、覚えてお祈りください。

関真士牧師

2013年7月5日

7月7日2013年の週報に掲載

 私たちに与えられている聖霊の賜物を、発見し、訓練し、用いていきましょう。考えただけでもエキサイティングですね。自分に主イエス様の働きの一部が任されているのです。

 自分は、主イエス様の口かな、手かなと考えるとワクワクしますね。賜物が与えられていない人は、一人もいません。必ず何かの賜物が与えられています。
 コリントの教会にあった混乱は、「私はあの人のような賜物がないから駄目だ」とか、「あの人は、私と同じことが出来ないから駄目だ」と、賜物を比較して、優劣をつけて、ダメを出し合っている状況でした。

 そんな状況の教会にパウロは、賜物はキリストの体の一器官であって、賜物には色々な種類があるが、体は一つ、御霊は一つと言ったのです。そして全ての人が求めるべき賜物として、「愛の賜物」について語るのです。

 どんなに賜物があっても、愛がないなら何の値打ちもないのです。まず愛の賜物を求めて、そしてそれぞれの賜物を活かしていきましょう。
 また「賜物発見テスト」をやってみたいですね。以前受けた方も、また変わっていることもあります。そして、それぞれの賜物が活かされるような、愛の教会として成長していましょう。

関真士牧師