2013年12月26日

12月29日2013年の週報に掲載

 2013年最後の主日礼拝となりました。この1年間も、共に主を礼拝できたことを心から感謝いたします。イブに持たれたキャンドルライトサービスは、光輝くイルミネーションの中、新しい方も大勢来会してくださり主のご降誕をお祝いしました。

 この1年間の出来事の一つ一つを結んで、神のご計画を悟る者でありたいと思います。そしてすべてのことを益としてくださることを「知っている」と告白する者でありたいと思います。さらに、来年もすべてが益になると信じて、神を賛美する者となりましょう。

 年末祈祷会が持たれます。31日6PM~ 皆で一年の感謝を分かち合いましょう。年越しそばもあります!

 節田八江子さんが、1月2日に100歳の誕生日をお迎えになります。その時は日本に滞在していますので、また元気にハワイに帰って来れますように、先に「おめでとうございます!」と言わせていただきます。

 6名の若者がECカンファランスへ旅立ました。中川祐真兄も、日本から参加の予定です。みんなが霊に燃え、確かな恵みの体験を持って帰って来れますように祈りましょう。

 私は、つかの間のバケーションです。ゆっくりしながら、今年一年を振り返りたいと思います。

過去には感謝、今は賛美、将来には希望
皆様、主にあって良いお年を! 関真士師

2013年12月18日

12月22日2013年の週報に掲載

 神は、私たちにご自身に対する絶対的信頼を持って欲しいと願っています。

 試練に合う時、それによって心が動揺する時、自分の力では解決が出来ない時、そんな状況に直面すると、ある人はいよいよ神に近づき、神に祈り求め、神への信頼を深めていきます。しかしある人は、いよいよ神につぶやき、神から離れ、神への不信を増していきます。

 その違いは、どこにあるのでしょうか? イザヤ書7章に登場するアハズ王は後者の人でした。神のことばに耳を傾けることをしませんでした。なぜでしょうか?

 両者の違いは、神への信頼があるかないかです。もっと言うと、神への信頼は、神が自分を愛していてくださるという確信から生まれます。自分は神に愛されているのだから「大丈夫だ」と言えるのです。私たちは、自分のことを愛していない、それは関心がない、守ってくれない、共にいないと同じことです。そんな相手は信頼できません。神への信頼とは、神に愛されている確信から生まれます。

 しかし、人はその確信と信頼を持てないことがあるのです。不信仰なのです。神は、その不信仰の民に対して諦めないのです。それでもなお、「わたしはあなたと共にいる」ことを知らせようとするのです。それが、クリスマスの出来事になるのです。

 クリスマスが、不信仰の民に対して、「大丈夫だ、確かにわたしはあなたと共にいる。わたしはあなたを愛している」というしるしなのです。

関真士師

2013年12月17日

12月15日2013年の週報に掲載

 南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領が天に召されました。95歳でした。度重なる脅迫、危険、27年間の獄中生活を乗り越え、大統領に就任し、アパルトヘイト(人種隔離政策)を撤廃しました。「和解のシンボル」と呼ばれたマンデラ氏は、大統領に就任し、権力を手中にしながらも、決して白人に対する報復をしませんでした。「共に座して、語り合う」ことをモットーとして、人種を超えた「和解」を実現したのです。

 マンデラ氏も、また「仕える」人でした。隣人の、国家の平和のために人生を捧げました。高い地位に就いた後も、「仕える」生き方は、変わりませんでした。

 私たちもまた「イエスの心を自らの心として」、「仕える」生き方を実践したいものです。「小さな事を大きな愛で行いましょう。」(マザー・テレサ)

 先週に続いて、今週も、チャレンジをします。この一週間、教会の中の名前を知らない人の中から最低一人を選び、名前を知り、その人のために毎日祈るのです。一言でいいです。「今日一日、**さんに平安がありますように」など。この小さな行為を大きな愛を込めて行いましょう。

 この事が実践されたら、どんなに素晴らしいことが起こるでしょうか? 仕えるという生き方を一つ実践する、このキリストの誕生の時に最もふさわしいチャレンジではないかと思うのです。

関真士師

2013年12月6日

12月8日2013年の週報に掲載

 今日は、ホノルルマラソンの日です。今頃、皆さん一生懸命に走っていることでしょう。教会の方も、ランナーとして、あるいはボランティアやアルバイトに駆り出され、朝の礼拝に来られない方が多いですが、夕礼拝には来られることでしょう。毎年、日本からのランナーの方が、足を引きづりながら、夕礼拝に来られます。やはり主日は、礼拝を守りたいですね。夕礼拝は7PMから行っていますが、毎週10名強の方々が礼拝を捧げています。お仕事などで昼間には来れない方や、静かな雰囲気を好む方が集まっています。

 今年のクリスマスのテーマは、「仕える」です。主イエスが人となったお生まれくださったのは、「仕えるため」です。(ピリピ2:6~8)この主イエスの「仕える姿」「仕える心」を私たちの生き方とさせていただきましょう。

 仕えるとは、一つ、「人の優れた所に目を留め、喜び、支援する」ことです。その逆は「自己中心と虚栄心」です。(2:3) 自分の中に虚栄心がどれほどあるかは、人の優れた所を見た時に、喜べるか、それとも心穏やかでなくなるかで分かります。

 主イエスは、私たちの中から虚栄心を取ってくださいます。そんなものを持たなくても良いように、心を主イエスの愛で満たしてくださいます。そして今度は、私たちが主イエスのように、対する相手から虚栄心を取ってあげられるようになりたいです。私たちが相手に仕える時、その相手から虚栄心が取り除かれるのです。まず自分から、そして自分がされたように隣人へ、仕えていきましょう。

関真士師