2014年4月10日

4月13日2014年の週報に掲載

 いよいよ今日から受難週に入る。英語ではPassion Weekと言います。Passionとは、情熱と訳されますが、同時に痛みとも訳されます。メル・ギブソンが制作した映画「Passion」は、痛みの意味で、主のイエスの十字架の痛みを表しています。

 情熱と痛み。意味として結びつかないようにも思えますが、イエスの十字架の痛みは、神の熱情の愛のゆえであることを考えると意味が結びつきます。 神の私たち人間への愛は、無条件、無代価、一方的、ただ与えるのみ。最後には、十字架で命まで捨ててくださった。

 私たちは、十字架を必要としているのでしょうか?十字架を必要とするのは、罪人だけです。正しい人、無関心な人は、必要としません。なぜなら、私たちの罪の刑罰を身代わりとなって受けてくださったのが、十字架の死だからです。

 イエスの十字架は、私のために、私の罪のために、と言える者でなければ、十字架とは無関係です。私たちは、十字架を見上げる者ででしょうか。それとも十字架に敵対する者でしょうか? 受難週の時、共に十字架の主の前に立たせていただきましょう。

関牧師

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