2015年6月23日

6月28日2015年の週報に掲載

 人の命は実にはかないものである。

 愛するクリスチャン姉妹が凱旋された。

 日曜日の教会の帰りに彼女の自宅にお見舞いに行った時は、あまり元気でなかったけれども、クリスチャンの姉妹と祈り終った時は、ものすごく力強い大きな声で「アーメン」と言われ、又、帰る時も何度も、「ありがとう。ありがとう。」って大きな声で言われていた。それが、最後の言葉になるなんて夢にも思わなかった。翌日の月曜日に、病院に駆けつけたときはすでにお医者さんからのご臨終の声を聞いたときは、自分の耳を疑ったくらいだった。

 クリスチャンの死は天国で永遠の命が約束されているので、大いなる喜びであることは確かなことだけど、私にとっては、喜びである反面、正直言って心の中は寂しさもつのる。

 彼女が2012年に受洗されてからずっと一緒に行動をしてきただけに彼女の好きだった食べ物や、日本食の売っている店、日本食のレストラン、大好きだった教会の幼子達を見ているとふと心の中に寂しさが湧いてくる。これほどまでに彼女との思い出が鮮明に浮かんでくるのは、ある姉妹が言われたように、やはり私と彼女は神の家族で横とのつながりがしっかりと結ばれていたのだと示されたとき、彼女の死を通して神の栄光を見させていただいた主に心から感謝の気持ちで一杯である。

 私達クリスチャンは、死ぬ前に神への大きなつとめが託されている。それは、神への悔い改めである。この悔い改めをすることによって、私達クリスチャンは天国で永遠の命が約束されている。クリスチャンだけに与えられた素晴らしい特権である。なんて感謝なことでしょうか。礼子さんは、見事それをなしとげられました。ハレルヤ!です。礼子さん、天国のイエス様の所でどうぞ私達を見守っていて下さいね。主に感謝です。アーメン!

バイヤース末子

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