2015年7月31日

8月2日2015年の週報に掲載

 先週の第二礼拝の後、まさにサプライズでした。私とれいのために、歓迎パーティを開いてくださり、皆様からの一言をいただき、レイとメッセージ、子供たちからも素敵なペアのマグカップ、そしてラブオファリングまでいただき、まるで結婚式のカップルのように、皆に祝福していただきました。お休みをいただいた上に、なおかつ、このように迎えてくださり、世界で一番幸せな牧師夫妻だと思います。

 どのような言葉をもっても、私たちの感謝の気持ちを十分に現すことはできません。ただただ、ありがとうございます。足りない所の多々ある牧師夫婦ですが、皆様の寛容と忍耐のゆえに、今日まで歩むことができました。

 ホノルル教会の愛の絆は、確実に強く、太く、しなやかになって来ていると思います。この教会なら、自分の大切な人を連れて来たくなる。ここに来たら愛が分かる、そう言える教会であることを誇りに思い、主の恵みに感謝をいたします。

 この祝福のすべては、イエス様の恵みです。イエス様が全てです。このイエス・キリストを、これからも全身全霊をもってお伝えしていきたと、夫婦ともども献身を新たにしています。 天の父と皆様の愛に心から感謝をいたします。

関真士&れい

2015年7月24日

7月26日2015年の週報に掲載

 サバティカル休暇を終えて、無事に戻りました。皆様のお祈りに心から感謝いたします。

 途中、修養会、教団総会も挟まったので、全部6回の主日を留守にしました。こんなに長く留守にしたのは、初めてだと思います。

 日本に2週間の旅行に行けました。家族にとっては5年ぶりの日本となり、とてもエキサイティングな旅となりました。九州、熊本で吉田文人先生にお会いし、福岡では安藤秀世先生夫妻、そして佐賀で松永さんのお母様にお会いすることができました。れいの実家の岡山、そして京都で日本に帰国した若者たちと会い、群馬のファミリーキャンプでは63名の参加が集まり、井下ファミリーも参加してくれました。そして東京聖書学院の施設に宿泊をし、角田ファミリー、愛架ちゃんが可愛くて連れて帰りたくなりました。中川祐真兄とも再会を喜びと…、書いたら切りがありません。その後カリフォルニアに2週間滞在と、盛りだくさんのサバティカルとなりました。

 改めて、牧会の務めから離れてみて、気づかされることが沢山ありました。教会が、キリストの体であり、キリストがその体の頭であることの意味を、深く考えさせられました。

また、新しい心を持って牧会に励んでいきます。感謝いたします。

関真士牧師

2015年7月17日

7月19日2015年の週報に掲載

 サンタバーバラでの夏の修養会にホノルル教会から22名の参加で出発した。北米ホーリネスの各教会からの参加をあわせて総勢200名余り。

 会場はウエストモント・クリスチャン大学内で、広大なキャンパスはうっそうと静まり返った森の中にある。私たちが使わせていただく宿泊の学生寮、教室、ホール、キャフェテリヤなどの建物は広々と緑の中に点在している。日頃の忙しさから解放されて、3度3度の美味しい食事も用意され、この開放された環境の中でプログラムはスタートした。今回のメイン講師は日本からの藤本満先生で、初回大好評であったため今回は2度目の招き。

ガラテヤ人2:20 (私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです)

 このところから4回にわたり藤本牧師はある時は笑いあり、熱く語ってくださった。この特別な聖霊充満の中で、一人ひとりにどのように神様が語ってくださったのでしょうか。今回は初めての参加者が沢山おられ、特別恵み多い修養会であったのではないでしょうか。“キリスト者はどのように生きるのか?それは神の愛に応えて生きているのだ”これが私に迫ってきました。

真柴香姉

2015年7月10日

7月12日2015年の週報に掲載

 先週、夏期修養会へ参加してきましたので、その恵みをシェアします。 ホーリネスの福音は新生、聖化、神癒、栄化(再臨)ですが、現実問題として、信仰の成長がこのように起こらないという事なのです。 実際、成長しているクリスチャンが、アブラハムがイサクを捧げた時のように、どん底へ落とされるような体験をすることがあります。なぜかわかりません。

 しかし、その中にあって、聖めの深みをもっと体験しようとする人たちと、聖めは無いと言って諦める人たちがあります。 もし、私たちが信じるキリスト教がご利益宗教でしたら、聖めは無いと言った方が良いでしょう。

 十字架の贖いによって私たちは、完全に赦され救われ、聖霊を戴いたのです。 その結果、私たちの心の中にイエス・キリストが住んで下さり、聖霊の働きに身を委ね生活するのですから、私たちは何も心配する必要はないのです。

 私自身、このメッセージを受け取った時に非常に悩みました。 自分の中にイエスさまのような強さが無く、弱さがたくさんあるからです。

 聖霊に身を委ねるという事は一体どういうことなのか? 自分が無理して、一生懸命生きる事だろうか? そこには聖霊に身を委ねていない自分の姿があります。 その事に気が付き、祈って御霊に従って生きることが大事なようです。

松田従旨

2015年7月4日

7月5日2015年の週報に掲載

「その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストを知ることです。」
(ヨハネの福音書十七章三節)
十字架のナザレ人イエス。

両手両足を釘でつらぬかれ、わき腹を槍で突き刺され、
ののしられ、あざけられ、罪もないのに罪人とされ、
なにも言わず息を引き取ったその姿。

あまりにもみじめ。

HOPE?どこに?
ナザレ人イエスの墓。

誰もいない。なにもない。

悩みも、苦しみも、悲しみも、恐れも、
そして死も、ない。そこにはなにもない。

なにもない、もうなにもない。

そう思えるときにもあるHOPE。

ナザレ人イエス、
この世を歩いて下さったイエス・キリスト。

玉川トーマス