2015年3月26日

3月29日2015年の週報に掲載

 今年の受難節は、「十字架上の七つの言葉」をテーマに語ってきました。いよいよ今日は、その七つ目の言葉になります。もし礼拝をミスした方おられましたら、是非教会のホームページからメッセージを聴いてください。

 最初に、イエスの十字架の意味を知り、その恵みを自分のものとするためなら、どんな犠牲を払ってでも求める価値があると言いました。全力で、この十字架に対して行こうと呼びかけました。

 皆様は、どのように応えてくださったでしょうか? 十字架の恵みを、自分のものとされたでしょうか? 新しい恵みの発見があったでしょうか? この呼びかけは受難節に限りません。これからも常に呼びかけ続けます。すべての答えは、あなたが、どのようにイエスの十字架を体験するかにあるからです。

 今週は、受難週です。パッションウィークです。金曜日はグッドフライデー7PMより日英合同の礼拝です。それに先立ち、5PMからソーシャルホールで『JESUS』の映画を上映します。世界で最も多く上映されている、不朽の名作です。内容はルカの福音書を忠実に再現したものです。どちらも、是非、ご参加ください。

関真士牧師

2015年3月20日

3月22日2015年の週報に掲載

 十字架の七言の一つ一つに、心の深くを探られ、触れられます。今日は6つ目の言葉「完了した」です。

救いは、完了したのです。誰もこれに付けたすことも、差し引くことも出来ません。完了しているのですから、私たちはそれを受け取るだけしかできません。信じるだけで救われるのです。

 信仰とは、信念とは違います。自分の意志の力で煩悩を振り切って獲得するものではありません。信仰とは、神の救いを受け入れることです。

 日本では「イワシの頭も信心から」と言います。信じる心が大切で、何を信じているかはあまり関係がないようです。

 しかし、私たちは何を信じているのか? それは信じるに値するものか、信じて大丈夫なのか、それらを納得した上で信じるのです。

 イエス様が十字架で命を捨てられた。自分のためにイエス様は神の罪に対する裁きを受けてくださったのです。だから、私たちの罪は赦されました。罪が赦されたので、永遠の命をいただき、神の子とされ、神と共に生きる者にされたのです。この事を信じますか? これは信じるしかないことです。

関真士牧師

2015年3月13日

3月15日2015年の週報に掲載

 北村美餘子姉が、3月11日夕刻、ご自宅にから天父の御許に召されました。90歳でした。ご家族の上に、主の慰めが豊かにありますように、お祈りいたします。

 北村姉は、長年に亘りKZOOラジオの名アナウンサーとして活躍されました。そして1981年に「心に光を」放送を始められ、現在34年目を迎えています。

 北村姉は、1978年10月1日にホノルル教会において洗礼を受けられました。以来、執事を始めとして教会のリーダーとしても、長年ご奉仕くださいました。

 近年は、パーキンソン病を患い、ご自宅で娘さん夫婦と3人の孫たちに囲まれて療養していました。肉体の限界を超えてるように見えても、なお主日礼拝に参加され、家庭集会を持ち続けました。

 北村姉は、伝道の人でした。キリストの福音を伝えるために生涯を捧げた人でした。北村姉の召天を通して、これまで撒かれて来た福音の種が一斉に芽を出すことを祈ります。

 一つの時代の節目を感じます。

関真士牧師

2015年3月6日

3月8日2015年の週報に掲載

 今週は3月11日を迎えます。東日本大震災を覚えます。次週の15日の礼拝後は合同クラスです。森宗孝さん、サンディさん夫妻の岩手県釜石における宣教活動の報告があります。

 被災地においては、キリスト教会による息の長い被災地支援が継続されています。ホノルル教会では、特に南三陸における支援活動をされている中澤竜夫牧師の「架け橋」の活動を定期的に支援しています。

 私たちの祖国日本のことを想う時に、心が痛みます。被災地の事はもちろん、原発、教育、政治、家族、とんでもない事件が後を絶ちません。

 祈りましょう。そして教会がこの時代にある意味を悟り、世の光として、地の塩としての使命を果たしてまいりましょう。

 受難節の時期です。イエスの十字架のもとで、神の家族として、キリストの愛で結ばれていきましょう。

関牧師