tag:blogger.com,1999:blog-67546634619054399472024-02-21T18:29:26.858-10:00風の吹くままに (ハワイより)ホノルル教会からお送りしますハワイの風、少しでもその風を感じて欲しいと思っています。 風を感じたらぜひ、教会へお越し下さい。
お待ちしております。風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.comBlogger746125tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-46043215016688613892020-12-29T13:04:00.008-10:002020-12-29T13:04:59.443-10:0012月27日2020年の週報に掲載 今年最後の礼拝を捧げることが出来たことを心から感謝いたします。<p>
会堂に行けなくても、オンラインを見れなくても、主を礼拝する自分がいれば、礼拝はできることを教えられました。<br>
と同時には、会堂があることの恵み、顔と顔を合わせて一緒に礼拝できることの恵みも知りました。<p>
どんな状況の中にあって、神の恵みは、目の前にあります。<p>
その恵みに気づくか、気づかないかということです。<p>
この一年間の恵みに気づかせていただいて、心からの感謝を主に捧げましょう。<p>
主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。<p>
新しい一年に向かって、希望の一歩を踏み出していきましょう。
<div align="right">関真士牧師</div>
風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-61287592634613114182020-12-22T12:33:00.001-10:002020-12-23T12:44:27.870-10:0012月20日2020年の週報に掲載<div align="center"><b>聖フランシスコの平和の祈り</b></div><p>
神よ、<br>
わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。<p>
憎しみのあるところに愛を、<br>
いさかいのあるところにゆるしを、<br>
分裂のあるところに一致を、<br>
疑惑のあるところに信仰を、<br>
誤っているところに真理を、<br>
絶望のあるところに希望を、<br>
闇に光を、<br>
悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。<p>
慰められるよりは慰めることを、<br>
理解されるよりは理解することを、<br>
愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。<p>
わたしたちは、与えるから受け、ゆるすからからゆるされ、<br>
自分を捨てて死に、<br>
永遠のいのちをいただくのですから。
<div align="right">関真士牧師</div>
風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-7825271392300299372020-12-14T09:03:00.002-10:002020-12-14T09:03:08.556-10:0012月13日2020年の週報に掲載 待降節(アドベント)第3週目を迎えました。 街ではクリスマスのミュージックが流れ、至るところにクリスマスツリーやイルミネーションが飾られ、どこか心も陽気になります。<p>
そして、年末間近のクリスマスが近づくと、一年の終わりも感じ始めるのが、例年のことと思います。 しかし実は、教会暦では待降節とクリスマスとは一年の初めです。<br>
ですから、教会を生きる私たち(神の民)にとって、救い主イエス様を待ち望むこの期間は、新しい年(新しい時代)に向かって希望を馳せる時だと、私は思います。<p>
2020年は、忘れもしない年となりました。 どのようなことが、皆さんの心には思い浮かんでくるでしょうか? 教会にとっても、私たち個人にとっても、予期せぬコロナ禍で数々のチャレンジがあったのが、この2020年だったと思います。<br>
未だ、チャレンジはあります。<p>
しかし、このような希望を見失いやすい時だからこそ、まことの希望(救い主イエス様)に心を向けて、新しい年を待ち望みたい、と切に願います。
<div align="right">高木牧人牧師</div>
風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-53342577180785729682020-12-14T09:00:00.003-10:002020-12-14T09:00:11.838-10:0012月6日2020年の週報に掲載 私たちは、待降節(アドベント)のシーズンを迎えています。<p>
イエスを信じて初めてのクリスマスを迎える方もいれば、もう何十回と迎えている方もいるでしょう。 しかし、何度目のクリスマスであったとしても、その年ごとに神は新しい恵みをくださいます。<p>
今年は、コロナ下にあって、例年のキャンドルライトサービスは持たれません。 しかし、私たちが主を礼拝するのに必要なのは、プログラムではありません。 救い主の誕生を心から喜ぶ「私」と、礼拝を受けてくださる「主」がおられれば、それで十分です。<p>
今年のクリスマスは、どんな新しい発見があるでしょうか。 楽しみに求めていきましょう。
<div align="right">関真士牧師</div>
風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-77068688359430665092020-12-04T10:57:00.002-10:002020-12-04T10:57:08.724-10:0011月29日2020年の週報に掲載 ヨハネ15章のぶどうの木のたとえ話からのシリーズも、今日で最後となります。<p>
ユーチューブから視聴できるので、ぜひとも何度も聞いて欲しいものです。イエスは「まことのぶどう木」です。<br>
私たちは枝です。枝が木につながっているように、私たちがイエスの愛にとどまっているとき、豊かな実を結びま
す。そこには喜びが満ちあふれ、主の栄光が現わされていくのです。そのために私たちは、選ばれて、任命されたの
です。<p>
互いに愛し合うという実が、いつまでも残るために、私たちは、愛し合い続けるのです。それが私たちのミニスト
リーなのです。<p>
痛んだこの世界に、愛の実を撒きつづけていきましょう。神の国を拡げていくのです。イエスは「目あげて、畑
を見なさい」と言われました。私たちは、もう十分に愛されていますから、目を外に向けて、種を撒き続けましょ
う。
<div align="right">関真士牧師</div>
風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-62449888695917007142020-12-04T10:48:00.007-10:002020-12-04T10:49:35.998-10:0011月22日2020年の週報に掲載 今年の年末は、静かだ。例年だと感謝祭の準備や、クリスマスに向けての準備で忙しくしていることだろう。<p>
今年は、すべてのイベントがキャンセルということで、よいお休みにもなっている。これまでは、あまりの忙しさに、年が明けても、メリークリスマス!と挨拶してしまうこともあった。<p>
このように普段あるイベントがない、礼拝では声を出して賛美できないなど、当たり前のことが当たり前でなくなるケースが多々ある。<br>
しかし、だからこそ本当に大切なものは何か、物事の本質が見えてくる。感謝祭って何なんだ、クリスマスって何なんだ、礼拝で賛美することって何なんだ…。<p>
この状況は、物事の本質を考える良いきっかけになっているようだ。<br>
せっかくだから、主の御前に静まって、感謝と喜びの時を過ごそうではありませんか。
<div align="right">関真士牧師</div>
風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-1726956614604802542020-11-18T11:42:00.001-10:002020-12-04T10:49:57.789-10:0011月15日2020年の週報に掲載 会堂礼拝が再再開して3回目の礼拝となりました。 しかし今回から、市当局の規制に則って、会衆は歌唱ができないことになりました。<p>
賛美奉仕者は、10ftの距離を取ることで歌唱が許可されますが、会衆同士は、そこまでの距離を確保できません。 歌唱が禁止ですから、話すことはできます。 ですから話すくらいの感じで賛美をすることになります。<br>
これを聞いた時、少なからずショックを受けました。 もちろん賛美は、歌だけではありません。 賛美する心があれば、歌以外にも様々な賛美表現があります。<br>
しかし、それしても、賛美を歌えないというのは、かなりのフラストレーションです。 この状況の中でも自分たちにとって、最高に礼拝を捧げることが出来るのか。 いや、それは出来るはずです。 改めて、礼拝とは何か、賛美とは何か、その本質が問われているように思えます。<p>
会衆賛美が出来なくても、心からの賛美と礼拝を主に捧げましょう。
<div align="right">関真士牧師</div>
風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-35037531331169728842020-11-12T10:21:00.009-10:002020-11-12T10:22:38.613-10:0011月8日2020年の週報に掲載 この国の大統領が、選挙によって選ばれました。 関先生からの「大統領選挙に際して」の手紙を私も読み、教えられたことがあります。 それは、私たちに与えられている「祈り」とは、なんと力ある神の賜物なのだろう!ということです。<p>
私たちが、まことの神に訴え祈る、祈り自体は、どのような状況にあっても、神の民の私たちから取り上げられることのない神の賜物です。<br>
しかも私たちには、コロナ禍でなかなか集まれなくても、ただひとりの神に心を向けて、祈りを通して全世界の神の家族と一つにつながり続ける祝福がすでに与えられています。<br>
だから今こそ、すべての人のために、この国の選ばれしリーダーのために、そして私たちお互いのために、心を一つに祈りをささげる時です。
<div align="right">高木牧人牧師</div><p>
<div align="center"><b>私の祈りが 御前への香として</b></div>
<div align="center"><b>手を上げる祈りが 夕べのささげ物として</b></div>
<div align="center"><b>立ち上りますように。</b></div>
<div align="center">詩篇141篇2節</div><br><p>
風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-90508987093487135232020-11-06T10:19:00.000-10:002020-11-06T10:19:02.789-10:0011月1日2020年の週報に掲載 放蕩息子が「我に返った」とあります。 ということは、彼には、返ることのできる「我」がまだあったということです。<br>
私たちがどれだけ偽りの自分を生きてしまっていたとしても、本当の自分は、まだ存在しているのです。<p>
本当の自分は「天の父に愛されている子供」です。 この自分に返り、生きるときに、私たち現代人が抱えている、4つの根本的な問題が解決するのです。<p>
自分には、価値にはない。自分は愛されていない。 自分はひとりぼっちだ。自分は不十分な人間だ。<br>
人の心を縛り、苦しめているこの4つの問題が、すべて解決するのです。<p>
私たちは、天の父にとって喜びの存在であり、愛されているのです。 どんなことがあっても共にいてくださるのです。 そして聖霊に満たしてくださるのです。<br>
イエスの十字架の福音は、まさに私たちにとっての希望です。
<div align="right">関真士牧師</div>
風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-35730456459465066722020-11-06T10:14:00.003-10:002020-11-06T10:14:32.187-10:0010月25日2020年の週報に掲載 コロナ下にあって、大変なことも当然たくさんがあるが、良かったことも多々ある。<p>
教会が閉鎖になってから、先例のない対応を迫られ、時間はあっても、なかなか落ち着けませんでしたが、私自身もだいぶ落ち着きを取り戻してきました。<br>
そんな中で、新しいクラスを二つスタートすることが出来ました。これもZOOMというアプリのおかげです。オンラインで礼拝を配信できるのも感謝です。<br>
そして、御言葉にじっくりと耳を傾ける中で、御言葉の深みに感動することがしばしばあります。それを伝えることが出来るのも大きな恵みです。<p>
朝夕と愛犬チョコを散歩に連れていきますが、新鮮な空気を一杯に吸い込んで、祈ったり、賛美を聞いたり、とても恵まれた時間になっています。<br>
与えられた今を、大切に生きる事を教えられています。そして、楽しむことを大事にしたいと思います。
<div align="right">関真士牧師</div>
風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-1181487904717482402020-10-21T08:34:00.002-10:002020-10-21T08:34:11.858-10:0010月18日2020年の週報に掲載 3月に教会が閉鎖となり、会堂礼拝も閉鎖となりましたが、オンラインを通して集会が継続され、教会の運営も守られていることを感謝いたします。<p>
この数か月にあった一つのテーマ「先行き不透明」ということです。<br>
コロナ下においての社会情勢も、教会の現在の運営を考えても、将来のことを考えても、常に、「先行きは不透明です」という一言が付け加えられます。<p>
加えて、牧人先生のビザの件も、今年に入ってから、常に「先のことは不透明です」と言い続けてきました。<br>
ある程度の目途がつくと、それに合わせて心も合わせていくのですが、「先行き不透明」なので、心の持って行き場がないのです。<p>
この状況にもご臨在される主に想いを向けるとき、主は、私に、私たちに何を語っておられるのでしょうか。<p>
私には、不透明であっても、主はご存知です。私には不確かであっても、主は確かなお方です。<br>
常に最善を計画し、摂理を持って導いてくださっている主に信頼すること、そこに尽きるのだろうと思います。
<div align="right">関真士牧師</div>
風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-68968630756091777562020-10-15T08:59:00.004-10:002020-10-15T09:07:09.238-10:0010月11日2020年の週報に掲載 皆さまのお祈りを心から感謝いたします。 このようにホノルル・キリスト教会での働きに復帰し、皆さまと共に教会生活を送れる恵みを感謝いたします。<p>
この度、私はビザのことで多くのことを主から教えていただきました。 それはまず、私の思いよりも主の御思いははるかに大きい、という真実です。<br>
特にこの半年間、私はビザ問題で揺さぶられる中、それでも未来に様々な計画(仮説)を立てては、ことごとくそれらを崩されていく体験をしました。<p>
この約1ヶ月間も、失効期限の9/6までにビザが更新できることを祈り願いました。 しかし、とうとうその日は過ぎてしまいました。 そして、10月(今月)の帰国へ向けて動き出した矢先、誰も予期せぬタイミングでビザは降ってきました。<p>
未来を見据えて、心を固めては、その未来は覆される…、しかし、そのような体験の背後には多くの祈りがあり、その声を聞き届けてくださった主の御手は、主の時の中で動いている、と認めざるを得ません。<br>
私の心ではなく、主の心にすべてを明け渡して生きることを教えられています。 皆さまのお祈りがあって、この時、与えられたビザです。感謝いたします。
<div align="right">高木牧人牧師</div>
風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-84854519247727414142020-10-02T11:35:00.005-10:002020-10-02T11:35:35.690-10:0010月4日2020年の週報に掲載 教会隣の牧師館に住んで、4か月が経ちました。旧オバマ邸の売却が進まず、私たちの住まいが決まるのは、まだまだ先のようです。<p>
この牧師館は、風を通しがよく、マノアの谷から心地よい貿易風が吹いてきます。こんな大きな、快適な場所に住まわせていただき、感謝の一言です。<br>
朝、ラナイで持つデヴォーションのひと時は至福の時です。最近、呼吸の祈りを続けています。深く深呼吸しながら、主に想いを向けます。<p>
私たちの霊性とは、日常生活の中に主の臨在を見ていくことです。ついつい衝動的に反応してしまことが多いのですが、一呼吸おいて、主に想いを向けると、そこに新しい発見があります。<p>
今週も、主を求めていきましょう。
<div align="right">関真士牧師</div>
風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-15034683910561063082020-09-28T09:18:00.004-10:002020-09-28T09:19:50.218-10:009月27日2020年の週報に掲載 高木牧人先生の、宗教ビザの更新が降りました。 なんと、期限を過ぎてから降りました。 皆様のお祈りを心から感謝いたします。 すでに、働きの引継ぎを終え、日本に帰国する準備も始めている中での出来事でした。 9月22日付で働きに復帰いたしました。<p>
ビザが降りるのが遅れたのは、コロナの影響で移民局の働きが停滞したのが一番の原因です。 しかし、その中にも、主の計り知れない計画があることを私たちは知っています。 このことの意味は、もしかしたら数年先、数十年先に分かるのかもしれません。 しかし、きっと、「ああ、そういうことだったんだ」と驚き、主をあがめることでしょう。<p>
<div align="center">主は、良いお方です。 God is Good All the Time</div><p>
また高木先生の将来について、すでにお知らせがされていますが、今後の高木先生、千恵夫人の歩みのために、またホノルル教会における働き人の必要のために、お祈りをお願いいたします。
<div align="right">関真士牧師</div>
風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-59754321042425628592020-09-21T08:05:00.002-10:002020-09-21T08:05:17.961-10:009月20日2020年の週報に掲載 ぶどうの木のたとえ話から、シリーズでメッセージを語っています。<p>
そのテーマを全体として学ぶこともいいですし、今回のように御言葉を一語一語じっくり学ぶのもいいですね。<br>
ホノルル教会版の日々のデヴォーションページが開かれています。 一日一章、数名の方が担当してくれています。 ホームページの会員ページから、どなたでも御覧いただけます。<p>
紙で読みたい方のためには、教会図書にファイルがありますので、どうぞご利用ください。 また字のサイズをとても大きくしたコピーも用意してありますので、視力の弱い方も見やすくなっています。<br>
私も、これを読んでいると、本当に恵まれます。他の人の視点や感じ方を通して、御言葉の世界が広く豊かになります。 自分一人だけでは、本当に一部しか分からないのだと思わされます。<p>
また書く側としては、書くことで自分の考えを整理することが出来ますし、表現することで、もっと自分のものになります。 書き手も募集していますので、チャレンジしてみてください。
<div align="right">関真士牧師</div>
風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-57270145441341695792020-09-14T07:07:00.005-10:002020-09-14T07:09:17.442-10:009月13日2020年の週報に掲載 先週のメッセージでは、身内のことを褒めるようなことを話しました。 日本では、身内をほめることは、恥ずかしい事と思われます。<p>
例えば、愚息とか、愚妻と言ったりします。身内を褒められると、逆に、そんな褒められるような者ではないことを話し始めます。 「お宅の息子さん、**が出来て素晴らしいですね」と褒められたら、「いえいえ、家の中では、全然そんなことなくて、あれも出来なくて困ってますよ。」などと言い始めますが、顔は満面の笑みです。<p>
身内を褒められると、反射的に首を振って、そんなことありませんと否定したくなります。<p>
日本では、家族と自分は一心同体という考え方があります。 結婚も両家の結婚と言うくらいです。 ですから、子供や夫、妻を褒めることは、自分を褒めることと同じなのです。 なので、自分を褒めることを恥ずかしいと感じさせる文化の中では、身内を褒めることを恥ずかしいと思うのです。<p>
対して米国は、個々の人格が別ものとして尊重されますから、子供が褒められても、自分が褒められているとは、あまり思わないので、身内でも思いっきり褒めるのです。 ここは、ハワイですから、身内でも褒めさせていただきました。
<div align="right">関真士牧師</div>
風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-73782050611750471352020-09-10T11:09:00.005-10:002020-09-10T11:09:35.436-10:009月6日2020年の週報に掲載 「神の摂理」という言葉があります。 摂理とは、運命とは意味が違います。 計画とも似ていますが、厳密には違います。<br>
人間の考えを超えた、神の意志です。 ですから、人間の知識で納得できるものではありません。<p>
私たちは、主に願い事をします。 しかし、私たちの信仰とは、願い事が叶うことを信じることではありません。 願い事を訴えている相手、天の父なる神を信じることです。<br>
ですから、願い事をしながら、願い事が叶わない場合を想定して準備することは、決して不信仰な事ではありません。<p>
今回は、この文を書いている時点では、高木先生のビザがどうなったか分かってません。 5日にビザが降りるかもしれません。 降りないかもしれません。 降りたら奇跡、でも降りなかったら? いえ、降りなくても奇跡なのです。<br>
通常では2月に降りているビザが降りないというのも、普通のことではありません。<p>
私は、心のから高木先生と千恵夫人がハワイに居てくれることを願っています。 「しかし、私の願いではなく、天の父の御心がなりますように」と祈ります。<p>
私には、神の計り知れない計画の全貌は分かるはずもありません。 まさに神の摂理なのです。 ここまで最善に導いてくださった主は、これからも最善をしてくださると信じることは、難しいことではりません。 神の摂理です。
<div align="right">関真士牧師</div>
風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-11674557104875596882020-08-31T09:00:00.001-10:002020-08-31T09:00:24.282-10:008月30日2020年の週報に掲載 私たちの住むオアフ島は、感染が拡大し、またロックダウンになってしまいました。 新型コロナウイルスによって、ひっくり返された私たちの日常は、一体いつになったら戻ってくるのでしょう?<p>
皆さんに会いたいです。 あの風薫るマノアの会堂で、笑顔で朝の挨拶を交わした日常…、<br>
ソーシャルホールに細長い白テーブルを並べて、一緒に美味しくいただいたランチ…、<br>
賛美の歌声を響かせて、ともに御言葉を聞き、膝を交えて祈る楽しい祈祷会…、<br>
日常を取り去られた教会にとって、半年前のあの賑やかな情景は、今、私の心に夢のように映っています。<p>
教会(呼び集められた者たち)の日常を待ち望みつつ(夢見つつ)、今日も私たちは、天のお父様に心を一つに祈りたいと思います。<br>
どうか主よ、この試練にあっても、一人ひとりをあなたの御手で守ってください。<br>
どうか主よ、私たちが安心して集まることのできる、その日を早めてください。<br>
どうか主よ、この島と、ここに住む私たちを憐んでください。
<div align="right">高木牧人牧師</div>
風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-71544254161600476212020-08-31T08:57:00.001-10:002020-08-31T08:57:16.196-10:008月23日2020年の週報に掲載 高木牧人先生のビザが、現時点まで降りていない。 9月6日までに降りなければ、一切の働きができなくなる。 今のところ、日本に帰国する予定だが、その後の歩みについては、何も分かっていない。<p>
今回のケースは、トランプ政権による移民排斥の動き、COVID19によるビザ発給業務の遅延などにより、移民の専門弁護士でも、先がまったく読めない状況にある。<br>
しかし、ここまで分からないと、逆に信仰によって歩むことの意味を教えられる。<p>
もともと人生とは、先の見えない旅路である。 その中で予測をし、予定を立てていく。 しかし、厳密に確かなことは何もない。 予測が外れ、予定が変わることは普通のことだ。<p>
しかし、私たちには不確かでも、神にとっては、すべてが確かなことだ。 神はすべてを知っておられる。 ここに、神の摂理がある。<br>
神に信頼し、従っていく道は、なんと幸いな旅路だろう。 何年が後に今のことを振り返り、神の絶妙な導き、計画に、きっと感嘆し、主を賛美していることだろう。<br>
この旅路に、主は共にいてくださるのだ。
<div align="right">関真士牧師</div>
風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-51676411906627767202020-08-20T07:54:00.007-10:002020-08-20T07:57:31.835-10:008月16日2020年の週報に掲載 世界中が未だコロナ渦にあって、私たちの住むオアフ島も毎日の感染者数を見ていると、まだまだ緊張が走ります。 十分に気をつけて、生活をしていきましょう。<p>
この数ヶ月で、私たちの生活は一変しました。 教会の働きも変えざるを得ない中を、今日も通されています。 しかし、変わらないものがあります。 それは、神のことば、主イエス・キリストです。<br>
永遠に立つ神のことばは、いつも私たちの近くにあります。 いつでも、私たちはその御声に耳を傾けることができます。 このような何が起こるか分からない時期だからこそ、日々みことばの糧をいただき、その力の源を心に蓄えていきたく願います。<p>
多くの方々からディボーションの分かち合いが寄せられ、私自身、大きな励ましを頂いています。<br>
(HCCディボーションブログ→ <a href="https://www.honoluluchristian.church/blog">https://www.honoluluchristian.church/blog</a> )<p>
神のことばが、私たちを守ります。<br>
みことばをともに聞き、ともに養われ、ともに成長する喜びを今後もさらに体験していきましょう。
<div align="right">高木牧人牧師</div>
風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-87929565174887160982020-08-13T11:58:00.003-10:002020-08-13T11:58:22.468-10:008月9日2020年の週報に掲載 上村功子先生は、現在ホスピスに入っています。主のもとに帰る日が近づいています。<p>
私と功子先生の出会いは、1984年サンノゼにあるサンタクララ教会においてでした。功子先生は、ご主人のKC先生と、当時は教会の役員として、聖歌隊の指導者として、夫婦で主と仕えておられました。<br>
私は当時19歳でした。私のことをしんちゃんと呼んで、いつもほっぺたに手をぺんぺんして、可愛がっていただきました。<p>
それは、今でも変わりません。先日も病院でお会いしました時も、しんちゃんと呼んで、手を伸ばしてほっぺたをぺんぺんしくれました。<p>
私が1988年に聖書学院に入学した時には、その一年前に聖書学院に入学したKC先生と一緒に夫婦寮におられました。<br>
その時に、私の一学年先輩のれいに、「今度入ってくる関君は、れいと合っているよ」みたいなことを言っていたということです。<p>
私たちが、誰でも必ず迎える、最も自然で、最も荘厳なひと時を功子先生は迎えています。<br>
主の栄光の臨在が功子先生を包み、平安と希望に満たしてくださいますように祈ります。
<div align="right">関 真士牧師</div>
風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-8089617325623570682020-08-07T11:31:00.003-10:002020-08-07T11:31:34.905-10:008月2日2020年の週報に掲載 ハリケーンが逸れ、大きな被害もなく守られたことを感謝します。<p>
ハワイ、特にオアフ島にハリケーンが直撃することは、滅多にありません。 おそらく、避難したり、準備しても、空振りになることが、これから多くあるでしょう。<br>
しかし、東日本大震災の時に被災した牧師の言葉が今も心に残ります。 「100回、警報が外れても、100回逃げてください。」と言われました。<br>
私たちは、今回も大丈夫だろうと思いつつも、常に避難、準備を怠らないことです。<p>
今回は、私が赴任して以来、ハリケーンで会堂礼拝がクローズされたのは初めてです。 すでにオンラインでの礼拝配信のシステムが機能していたので、それもクローズすることを後押ししました。<p>
このオンライン礼拝というものが、今後、どのように進むのか、とても興味深い所です。 ホノルル教会のユーチューブ登録がコロナ以降200人以上増えています。 このような現象も踏まえながら、アフターコロナの教会のあり方を考えていきたいと思わされています。
<div align="right">関 真士牧師</div>
風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-91482214007976770462020-07-28T10:43:00.001-10:002020-07-28T10:43:18.421-10:007月26日2020年の週報に掲載 今週から、ヨハネ15章の「ブドウの木」の話からメッセージを語って行きます。<br>
一回で終わらせることも出来る箇所ですが、今回は、10回くらい? かけてじっくりと御言葉を掘り下げたいと思います。<p>
また、今私は、礼拝における「間」(スペース)について考えています。 「間」とは、聖霊の働きに想いを向けるための「間」です。<p>
新しい試みとして、特にメッセージの中に「間」を設けたいと思います。 私は、どちらかと言うと、言葉多く、畳みかけるような話をする方だと思います。 そこで、メッセージの中で、何度か黙想の時を持ちます。 語られたことを思い巡らして整理して、次のポイントに進んでいきたいと思います。<p>
教会の歩みにおいても、個人の歩みにおいても、聖霊の働かれる「間」(スぺース)を、人の思いが奪ってしまことがあります。 「間」を大事にすることを意識していきたいと思っています。
<div align="right">関真士牧師</div>
風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-25259606874745782972020-07-21T09:09:00.001-10:002020-07-21T09:09:24.132-10:007月19日2020年の週報に掲載 12日から少人数による会堂での礼拝が再開し、教会の歩みにも変化があります。 振り返れば3月中旬に、教会の建物が一時閉鎖になり、約4ヶ月が経とうとしています。 今も緊張と隣り合わせの中、教会は日英で話し合いを重ねつつ、慎重に前進を続けています。<p>
将来が見えにくいこの状況は、きょうを歩む私たちにとって不安や恐れを抱かせます。 コロナ前のあの安心できる日常が、いかに恵みであったかを痛感させられます。<p>
この4ヶ月間で、教会の働き、その形も今までとは変えざるを得ない中を通されて、今日があります。 オンライン礼拝、Zoomによる祈祷会や学び、電話連絡網を通してなされる対話、その他にも、閉鎖と同時に完成した教会ホームページを見ると、いかにこの期間で新しいことがなされたか、その一つ一つに教会のたくましさを思います。<p>
かつての安心できる恵みの日常を待ち望みつつ、今、私たち教会はどのように在るべきか? そのことを互いに問いつつ、ともに歩み続けていきたく願います。
<div align="right">高木牧人牧師</div>
風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-12130935268606920942020-07-16T09:54:00.000-10:002020-07-16T09:54:01.583-10:007月12日2020年の週報に掲載 今日から会堂礼拝が再開されます。 半数以上の方が依然として自宅でのオンライン礼拝による参加となります。<p>
会堂で礼拝できるのも恵み、またオンラインで礼拝に参加できるのも恵み。どちらも感謝です。<br>
すべてが初めての試みで、思考錯誤の中にありますが、この経験は、今後の教会の歩みにとって大きな益となるでしょう。<p>
確かに、試練は人を、教会を成長させます。 コロナパンデミックによってもたらされている危機は、あらゆる領域に及んでいます。 もちろん、そのような現実から目をそらしてはならないでしょう。 しっかりと現実を直視していきましょう。<br>
しかし、危機だけが現実ではありません。 この状況の中にも、たくさんの恵みが注がれているというのは、また確かな現実です。<p>
改めて信仰を考え、教会、礼拝、宣教を考えるチャンスとなっています。 時間がある事で、以前には出来なかった聖書の学びが出来たり、インターネットを活用して、以前には参加できなかった集会に参加できたり、愛を実践することに力を発揮して賜物が光を放ち始めたりしています。<p>
今ここにも注がれている恵みを想いましょう。
<div align="right">関真士牧師</div>
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