2011年10月30日

10月30日2011年の週報に掲載

牧師館に開墾した「カナン農場」、とは言っても畳2枚くらいの、「猫の額」ほどなのですが。それでも、きゅうり、苦瓜、オクラ、小松菜、ズッキーニ、モロヘイヤ、パッションフルーツとそれなりににぎわっています。

それにしても、雑草が次から次へときりなく生えてきます。雑草と言っても芝生の根の取り残しのようです。困ったことですが、意外にこの雑草とりが、私にとって「無心」の時となっています。
雑草を抜きはじめると、何か無の境地に入るというか、没頭、熱中してしまうのです。牧師館の前を車かなにかで通る人は、背中を丸めて雑草とりに励んでいる私の姿を見るかもしれませんが、どうぞそのままにしてやってください。

何事も新しいことを始めるには、古いものは根こそぎ取らねばなりません。根が残っていると、しつこくまた生えてきます。これも信仰生活の要点ですね。農場の先輩が、私は一年かかったけれども、ついに生えなくなったと言ってくれました。粘り強く抜き続けたら、必ず根絶やしになります。根を抜き続けましょう。


話は変わりますが、11月の会報が出ています。年末に向けて行事が多くあります。どうぞ整理してご参加ください。今年の12月25日は主日です。洗礼、転会希望者は、どうぞ関牧師までお知らせください。

関牧師

2011年10月20日

10月23日2011年の週報に掲載

古池や蛙飛び込む水の音
これは芭蕉による有名な俳句ですね。これは、古い池に、カエルが飛び込んで、水の音がした。ということなのですが、私などは、この句に何とも表現しがたい、心の落ち着きと郷愁のような感覚を持つのですが、皆さんはいかがでしょうか?

芭蕉はここで「水の音」と表現していますが、実はここで思いが向けられているのは「音」ではなく「静寂」です。小さな蛙が池に飛び込む「チャポン」という小さなを音。その音が聞こえるほどの静寂がここにあるのです。

そこから、一気に心の風景が拡がっていくのです。この句をただの情報として捉えてしまうと、ただカエルが飛び込んだら水の音がした、そんなの当たり前のことじゃないかと、それで終わってしまうでしょう。あるいは、古池や、蛙や、そのような光景を見たことがない人にとっては、心の風景が拡がるのは難しいかもしれません。

芭蕉がこの句を通して何を表現しようとしているのか? それはこの句を、情報としてではなく語りかけとして聴き、さらにはその表現の実際を経験していなければ、理解できないことでしょう。

聖書のことばもそうです。聖書のことばは、私たちへの神の語りかけです。私たちは、そのことばの中にある、風景、人々の声、風の音、空気の匂い、足裏に伝わる大地の感触まで感じ取るものでありたいと願いします。今日から詩篇23編の連続メッセージを語ります。「主は私の羊飼い」このことばから何が拡がるでしょうか。

関牧師

2011年10月14日

10月16日2011年の週報に掲載

最近ひょんなことから、テレビで大学のバレーボールの試合が見れることを知りました。女子のリーグですが、ハワイ大学のRAINBOW WAHINEチームはダントツの強さです。まだ負けた所を見たことがないです。聞くところによると全米で9位だそうです。英語部の方の娘さんも試合に登場していて、応援にも熱が入ります。

実は、私は中学生時代に、バレーボールに青春をかけたことがありました。バレー部に入った動機は、ジャンプすると背が伸びると聞いたことです。実際にはセッターになったので、ほとんど背は伸びなかったのですが…。
しかし、毎日毎日、学校から帰っても一人で特訓して、一年生の時からレギュラーになることが出来ました。そんなんでバレーボールには胸がときめくものがあります。

バレーボールと言えば真ん中にネットがあります。ものすごく強引に話しを結び付けますが、ホノルル教会は、どれだけ人が集まっても、どんな人
が集まっても、「網は破れない」教会として成長していきたいと願っています。
網(ネット)は縦糸と横糸の組み合わせです。天の父との関係(縦糸)と他者との関係(横糸)この両者が結び合わされて網ができます。縦糸も横糸も強くなって、決して破れない網となりたいものです。その強さとは? 天の父なる神との関係は? 他者との関係は? どのくらい強いですか? その強さとは、やはり愛すること、赦すことにおける強さだと思います。

関牧師

2011年10月7日

10月9日2011年の週報に掲載

HE>i 最近、車のステッカーなどに、このマークを良く見かけるようなりました。何の意味かご存知でしょうか?ヨハネ3章30節の御言葉です。
He must become greater and greater; I must become less and less.
He greater than i という意味で、あえて "I" を小文字の "i" にしているところがポイントです。
HEとは、もちろん主イエスのことで、このマークは、ノースショアのハレイワに店を持つ一人のクリスチャンに与えられたアイディアです。
「彼は私よりも偉大だ」 この言葉はストレートで、はっきりしたメッセージですね。自分が優れていることをいかにアピールするかがこの世のテーマです。そこに、たった4文字で真っ向から切り込み、真の価値観を提示していく…、なんともスカッとします。
このような方法で、真理をシンプルに表現していくこと、これも、キリストの証人としての働きだと思います。
それにしても、「私よりも」というこの言葉、よく考えてみると、本当に言いきれることが出来るでしょうか? 主イエスは真の神なのだから当然ではあるのですが、改めて考えてみると、なんと偉大な方が、自分の神なのでしょうか! 大きな安心感を覚えました。
このHE>i が生き方の中に定着していくなら、この文字の通りに、神の偉大さを自らが体験することになるでしょう。

関牧師