2020年12月29日

12月27日2020年の週報に掲載

 今年最後の礼拝を捧げることが出来たことを心から感謝いたします。

 会堂に行けなくても、オンラインを見れなくても、主を礼拝する自分がいれば、礼拝はできることを教えられました。
と同時には、会堂があることの恵み、顔と顔を合わせて一緒に礼拝できることの恵みも知りました。

 どんな状況の中にあって、神の恵みは、目の前にあります。

 その恵みに気づくか、気づかないかということです。

 この一年間の恵みに気づかせていただいて、心からの感謝を主に捧げましょう。

 主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。

 新しい一年に向かって、希望の一歩を踏み出していきましょう。

関真士牧師

2020年12月22日

12月20日2020年の週報に掲載

聖フランシスコの平和の祈り

神よ、
わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。

憎しみのあるところに愛を、
いさかいのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を、
疑惑のあるところに信仰を、
誤っているところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
闇に光を、
悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。

慰められるよりは慰めることを、
理解されるよりは理解することを、
愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。

わたしたちは、与えるから受け、ゆるすからからゆるされ、
自分を捨てて死に、
永遠のいのちをいただくのですから。

関真士牧師

2020年12月14日

12月13日2020年の週報に掲載

 待降節(アドベント)第3週目を迎えました。 街ではクリスマスのミュージックが流れ、至るところにクリスマスツリーやイルミネーションが飾られ、どこか心も陽気になります。

 そして、年末間近のクリスマスが近づくと、一年の終わりも感じ始めるのが、例年のことと思います。 しかし実は、教会暦では待降節とクリスマスとは一年の初めです。
 ですから、教会を生きる私たち(神の民)にとって、救い主イエス様を待ち望むこの期間は、新しい年(新しい時代)に向かって希望を馳せる時だと、私は思います。

   2020年は、忘れもしない年となりました。 どのようなことが、皆さんの心には思い浮かんでくるでしょうか? 教会にとっても、私たち個人にとっても、予期せぬコロナ禍で数々のチャレンジがあったのが、この2020年だったと思います。
 未だ、チャレンジはあります。

   しかし、このような希望を見失いやすい時だからこそ、まことの希望(救い主イエス様)に心を向けて、新しい年を待ち望みたい、と切に願います。

高木牧人牧師

12月6日2020年の週報に掲載

 私たちは、待降節(アドベント)のシーズンを迎えています。

 イエスを信じて初めてのクリスマスを迎える方もいれば、もう何十回と迎えている方もいるでしょう。 しかし、何度目のクリスマスであったとしても、その年ごとに神は新しい恵みをくださいます。

 今年は、コロナ下にあって、例年のキャンドルライトサービスは持たれません。 しかし、私たちが主を礼拝するのに必要なのは、プログラムではありません。 救い主の誕生を心から喜ぶ「私」と、礼拝を受けてくださる「主」がおられれば、それで十分です。

 今年のクリスマスは、どんな新しい発見があるでしょうか。 楽しみに求めていきましょう。

関真士牧師

2020年12月4日

11月29日2020年の週報に掲載

 ヨハネ15章のぶどうの木のたとえ話からのシリーズも、今日で最後となります。

 ユーチューブから視聴できるので、ぜひとも何度も聞いて欲しいものです。イエスは「まことのぶどう木」です。
 私たちは枝です。枝が木につながっているように、私たちがイエスの愛にとどまっているとき、豊かな実を結びま す。そこには喜びが満ちあふれ、主の栄光が現わされていくのです。そのために私たちは、選ばれて、任命されたの です。

 互いに愛し合うという実が、いつまでも残るために、私たちは、愛し合い続けるのです。それが私たちのミニスト リーなのです。

 痛んだこの世界に、愛の実を撒きつづけていきましょう。神の国を拡げていくのです。イエスは「目あげて、畑 を見なさい」と言われました。私たちは、もう十分に愛されていますから、目を外に向けて、種を撒き続けましょ う。

関真士牧師

11月22日2020年の週報に掲載

 今年の年末は、静かだ。例年だと感謝祭の準備や、クリスマスに向けての準備で忙しくしていることだろう。

 今年は、すべてのイベントがキャンセルということで、よいお休みにもなっている。これまでは、あまりの忙しさに、年が明けても、メリークリスマス!と挨拶してしまうこともあった。

 このように普段あるイベントがない、礼拝では声を出して賛美できないなど、当たり前のことが当たり前でなくなるケースが多々ある。
 しかし、だからこそ本当に大切なものは何か、物事の本質が見えてくる。感謝祭って何なんだ、クリスマスって何なんだ、礼拝で賛美することって何なんだ…。

 この状況は、物事の本質を考える良いきっかけになっているようだ。
 せっかくだから、主の御前に静まって、感謝と喜びの時を過ごそうではありませんか。

関真士牧師

2020年11月18日

11月15日2020年の週報に掲載

 会堂礼拝が再再開して3回目の礼拝となりました。 しかし今回から、市当局の規制に則って、会衆は歌唱ができないことになりました。

 賛美奉仕者は、10ftの距離を取ることで歌唱が許可されますが、会衆同士は、そこまでの距離を確保できません。 歌唱が禁止ですから、話すことはできます。 ですから話すくらいの感じで賛美をすることになります。
 これを聞いた時、少なからずショックを受けました。 もちろん賛美は、歌だけではありません。 賛美する心があれば、歌以外にも様々な賛美表現があります。
 しかし、それしても、賛美を歌えないというのは、かなりのフラストレーションです。 この状況の中でも自分たちにとって、最高に礼拝を捧げることが出来るのか。 いや、それは出来るはずです。 改めて、礼拝とは何か、賛美とは何か、その本質が問われているように思えます。

 会衆賛美が出来なくても、心からの賛美と礼拝を主に捧げましょう。

関真士牧師

2020年11月12日

11月8日2020年の週報に掲載

 この国の大統領が、選挙によって選ばれました。 関先生からの「大統領選挙に際して」の手紙を私も読み、教えられたことがあります。 それは、私たちに与えられている「祈り」とは、なんと力ある神の賜物なのだろう!ということです。

 私たちが、まことの神に訴え祈る、祈り自体は、どのような状況にあっても、神の民の私たちから取り上げられることのない神の賜物です。
 しかも私たちには、コロナ禍でなかなか集まれなくても、ただひとりの神に心を向けて、祈りを通して全世界の神の家族と一つにつながり続ける祝福がすでに与えられています。
 だから今こそ、すべての人のために、この国の選ばれしリーダーのために、そして私たちお互いのために、心を一つに祈りをささげる時です。

高木牧人牧師

私の祈りが 御前への香として
手を上げる祈りが 夕べのささげ物として
立ち上りますように。
詩篇141篇2節

2020年11月6日

11月1日2020年の週報に掲載

 放蕩息子が「我に返った」とあります。 ということは、彼には、返ることのできる「我」がまだあったということです。
 私たちがどれだけ偽りの自分を生きてしまっていたとしても、本当の自分は、まだ存在しているのです。

 本当の自分は「天の父に愛されている子供」です。 この自分に返り、生きるときに、私たち現代人が抱えている、4つの根本的な問題が解決するのです。

 自分には、価値にはない。自分は愛されていない。 自分はひとりぼっちだ。自分は不十分な人間だ。
 人の心を縛り、苦しめているこの4つの問題が、すべて解決するのです。

 私たちは、天の父にとって喜びの存在であり、愛されているのです。 どんなことがあっても共にいてくださるのです。 そして聖霊に満たしてくださるのです。
 イエスの十字架の福音は、まさに私たちにとっての希望です。

関真士牧師

10月25日2020年の週報に掲載

 コロナ下にあって、大変なことも当然たくさんがあるが、良かったことも多々ある。

 教会が閉鎖になってから、先例のない対応を迫られ、時間はあっても、なかなか落ち着けませんでしたが、私自身もだいぶ落ち着きを取り戻してきました。
 そんな中で、新しいクラスを二つスタートすることが出来ました。これもZOOMというアプリのおかげです。オンラインで礼拝を配信できるのも感謝です。
 そして、御言葉にじっくりと耳を傾ける中で、御言葉の深みに感動することがしばしばあります。それを伝えることが出来るのも大きな恵みです。

朝夕と愛犬チョコを散歩に連れていきますが、新鮮な空気を一杯に吸い込んで、祈ったり、賛美を聞いたり、とても恵まれた時間になっています。
 与えられた今を、大切に生きる事を教えられています。そして、楽しむことを大事にしたいと思います。

関真士牧師

2020年10月21日

10月18日2020年の週報に掲載

 3月に教会が閉鎖となり、会堂礼拝も閉鎖となりましたが、オンラインを通して集会が継続され、教会の運営も守られていることを感謝いたします。

 この数か月にあった一つのテーマ「先行き不透明」ということです。
 コロナ下においての社会情勢も、教会の現在の運営を考えても、将来のことを考えても、常に、「先行きは不透明です」という一言が付け加えられます。

 加えて、牧人先生のビザの件も、今年に入ってから、常に「先のことは不透明です」と言い続けてきました。
 ある程度の目途がつくと、それに合わせて心も合わせていくのですが、「先行き不透明」なので、心の持って行き場がないのです。

 この状況にもご臨在される主に想いを向けるとき、主は、私に、私たちに何を語っておられるのでしょうか。

 私には、不透明であっても、主はご存知です。私には不確かであっても、主は確かなお方です。
 常に最善を計画し、摂理を持って導いてくださっている主に信頼すること、そこに尽きるのだろうと思います。

関真士牧師

2020年10月15日

10月11日2020年の週報に掲載

 皆さまのお祈りを心から感謝いたします。 このようにホノルル・キリスト教会での働きに復帰し、皆さまと共に教会生活を送れる恵みを感謝いたします。

 この度、私はビザのことで多くのことを主から教えていただきました。 それはまず、私の思いよりも主の御思いははるかに大きい、という真実です。
 特にこの半年間、私はビザ問題で揺さぶられる中、それでも未来に様々な計画(仮説)を立てては、ことごとくそれらを崩されていく体験をしました。

 この約1ヶ月間も、失効期限の9/6までにビザが更新できることを祈り願いました。 しかし、とうとうその日は過ぎてしまいました。 そして、10月(今月)の帰国へ向けて動き出した矢先、誰も予期せぬタイミングでビザは降ってきました。

 未来を見据えて、心を固めては、その未来は覆される…、しかし、そのような体験の背後には多くの祈りがあり、その声を聞き届けてくださった主の御手は、主の時の中で動いている、と認めざるを得ません。
 私の心ではなく、主の心にすべてを明け渡して生きることを教えられています。 皆さまのお祈りがあって、この時、与えられたビザです。感謝いたします。

高木牧人牧師

2020年10月2日

10月4日2020年の週報に掲載

 教会隣の牧師館に住んで、4か月が経ちました。旧オバマ邸の売却が進まず、私たちの住まいが決まるのは、まだまだ先のようです。

 この牧師館は、風を通しがよく、マノアの谷から心地よい貿易風が吹いてきます。こんな大きな、快適な場所に住まわせていただき、感謝の一言です。
 朝、ラナイで持つデヴォーションのひと時は至福の時です。最近、呼吸の祈りを続けています。深く深呼吸しながら、主に想いを向けます。

 私たちの霊性とは、日常生活の中に主の臨在を見ていくことです。ついつい衝動的に反応してしまことが多いのですが、一呼吸おいて、主に想いを向けると、そこに新しい発見があります。

 今週も、主を求めていきましょう。

関真士牧師

2020年9月28日

9月27日2020年の週報に掲載

 高木牧人先生の、宗教ビザの更新が降りました。 なんと、期限を過ぎてから降りました。 皆様のお祈りを心から感謝いたします。 すでに、働きの引継ぎを終え、日本に帰国する準備も始めている中での出来事でした。 9月22日付で働きに復帰いたしました。

 ビザが降りるのが遅れたのは、コロナの影響で移民局の働きが停滞したのが一番の原因です。 しかし、その中にも、主の計り知れない計画があることを私たちは知っています。 このことの意味は、もしかしたら数年先、数十年先に分かるのかもしれません。 しかし、きっと、「ああ、そういうことだったんだ」と驚き、主をあがめることでしょう。

主は、良いお方です。 God is Good All the Time

 また高木先生の将来について、すでにお知らせがされていますが、今後の高木先生、千恵夫人の歩みのために、またホノルル教会における働き人の必要のために、お祈りをお願いいたします。

関真士牧師

2020年9月21日

9月20日2020年の週報に掲載

 ぶどうの木のたとえ話から、シリーズでメッセージを語っています。

 そのテーマを全体として学ぶこともいいですし、今回のように御言葉を一語一語じっくり学ぶのもいいですね。
 ホノルル教会版の日々のデヴォーションページが開かれています。 一日一章、数名の方が担当してくれています。 ホームページの会員ページから、どなたでも御覧いただけます。

 紙で読みたい方のためには、教会図書にファイルがありますので、どうぞご利用ください。 また字のサイズをとても大きくしたコピーも用意してありますので、視力の弱い方も見やすくなっています。
 私も、これを読んでいると、本当に恵まれます。他の人の視点や感じ方を通して、御言葉の世界が広く豊かになります。 自分一人だけでは、本当に一部しか分からないのだと思わされます。

 また書く側としては、書くことで自分の考えを整理することが出来ますし、表現することで、もっと自分のものになります。 書き手も募集していますので、チャレンジしてみてください。

関真士牧師

2020年9月14日

9月13日2020年の週報に掲載

 先週のメッセージでは、身内のことを褒めるようなことを話しました。 日本では、身内をほめることは、恥ずかしい事と思われます。

 例えば、愚息とか、愚妻と言ったりします。身内を褒められると、逆に、そんな褒められるような者ではないことを話し始めます。 「お宅の息子さん、**が出来て素晴らしいですね」と褒められたら、「いえいえ、家の中では、全然そんなことなくて、あれも出来なくて困ってますよ。」などと言い始めますが、顔は満面の笑みです。

 身内を褒められると、反射的に首を振って、そんなことありませんと否定したくなります。

 日本では、家族と自分は一心同体という考え方があります。 結婚も両家の結婚と言うくらいです。 ですから、子供や夫、妻を褒めることは、自分を褒めることと同じなのです。 なので、自分を褒めることを恥ずかしいと感じさせる文化の中では、身内を褒めることを恥ずかしいと思うのです。

 対して米国は、個々の人格が別ものとして尊重されますから、子供が褒められても、自分が褒められているとは、あまり思わないので、身内でも思いっきり褒めるのです。 ここは、ハワイですから、身内でも褒めさせていただきました。

関真士牧師

2020年9月10日

9月6日2020年の週報に掲載

 「神の摂理」という言葉があります。 摂理とは、運命とは意味が違います。 計画とも似ていますが、厳密には違います。
人間の考えを超えた、神の意志です。 ですから、人間の知識で納得できるものではありません。

 私たちは、主に願い事をします。 しかし、私たちの信仰とは、願い事が叶うことを信じることではありません。 願い事を訴えている相手、天の父なる神を信じることです。
 ですから、願い事をしながら、願い事が叶わない場合を想定して準備することは、決して不信仰な事ではありません。

 今回は、この文を書いている時点では、高木先生のビザがどうなったか分かってません。 5日にビザが降りるかもしれません。 降りないかもしれません。 降りたら奇跡、でも降りなかったら? いえ、降りなくても奇跡なのです。
 通常では2月に降りているビザが降りないというのも、普通のことではありません。

私は、心のから高木先生と千恵夫人がハワイに居てくれることを願っています。 「しかし、私の願いではなく、天の父の御心がなりますように」と祈ります。

 私には、神の計り知れない計画の全貌は分かるはずもありません。 まさに神の摂理なのです。 ここまで最善に導いてくださった主は、これからも最善をしてくださると信じることは、難しいことではりません。 神の摂理です。

関真士牧師

2020年8月31日

8月30日2020年の週報に掲載

 私たちの住むオアフ島は、感染が拡大し、またロックダウンになってしまいました。 新型コロナウイルスによって、ひっくり返された私たちの日常は、一体いつになったら戻ってくるのでしょう?

 皆さんに会いたいです。 あの風薫るマノアの会堂で、笑顔で朝の挨拶を交わした日常…、
 ソーシャルホールに細長い白テーブルを並べて、一緒に美味しくいただいたランチ…、
 賛美の歌声を響かせて、ともに御言葉を聞き、膝を交えて祈る楽しい祈祷会…、
 日常を取り去られた教会にとって、半年前のあの賑やかな情景は、今、私の心に夢のように映っています。

 教会(呼び集められた者たち)の日常を待ち望みつつ(夢見つつ)、今日も私たちは、天のお父様に心を一つに祈りたいと思います。
 どうか主よ、この試練にあっても、一人ひとりをあなたの御手で守ってください。
 どうか主よ、私たちが安心して集まることのできる、その日を早めてください。
 どうか主よ、この島と、ここに住む私たちを憐んでください。

高木牧人牧師

8月23日2020年の週報に掲載

 高木牧人先生のビザが、現時点まで降りていない。 9月6日までに降りなければ、一切の働きができなくなる。 今のところ、日本に帰国する予定だが、その後の歩みについては、何も分かっていない。

 今回のケースは、トランプ政権による移民排斥の動き、COVID19によるビザ発給業務の遅延などにより、移民の専門弁護士でも、先がまったく読めない状況にある。
 しかし、ここまで分からないと、逆に信仰によって歩むことの意味を教えられる。

 もともと人生とは、先の見えない旅路である。 その中で予測をし、予定を立てていく。 しかし、厳密に確かなことは何もない。 予測が外れ、予定が変わることは普通のことだ。

 しかし、私たちには不確かでも、神にとっては、すべてが確かなことだ。 神はすべてを知っておられる。 ここに、神の摂理がある。
 神に信頼し、従っていく道は、なんと幸いな旅路だろう。 何年が後に今のことを振り返り、神の絶妙な導き、計画に、きっと感嘆し、主を賛美していることだろう。
 この旅路に、主は共にいてくださるのだ。

関真士牧師

2020年8月20日

8月16日2020年の週報に掲載

 世界中が未だコロナ渦にあって、私たちの住むオアフ島も毎日の感染者数を見ていると、まだまだ緊張が走ります。 十分に気をつけて、生活をしていきましょう。

   この数ヶ月で、私たちの生活は一変しました。 教会の働きも変えざるを得ない中を、今日も通されています。 しかし、変わらないものがあります。 それは、神のことば、主イエス・キリストです。
 永遠に立つ神のことばは、いつも私たちの近くにあります。 いつでも、私たちはその御声に耳を傾けることができます。 このような何が起こるか分からない時期だからこそ、日々みことばの糧をいただき、その力の源を心に蓄えていきたく願います。

 多くの方々からディボーションの分かち合いが寄せられ、私自身、大きな励ましを頂いています。
(HCCディボーションブログ→ https://www.honoluluchristian.church/blog

 神のことばが、私たちを守ります。
みことばをともに聞き、ともに養われ、ともに成長する喜びを今後もさらに体験していきましょう。

高木牧人牧師

2020年8月13日

8月9日2020年の週報に掲載

 上村功子先生は、現在ホスピスに入っています。主のもとに帰る日が近づいています。

 私と功子先生の出会いは、1984年サンノゼにあるサンタクララ教会においてでした。功子先生は、ご主人のKC先生と、当時は教会の役員として、聖歌隊の指導者として、夫婦で主と仕えておられました。
 私は当時19歳でした。私のことをしんちゃんと呼んで、いつもほっぺたに手をぺんぺんして、可愛がっていただきました。

 それは、今でも変わりません。先日も病院でお会いしました時も、しんちゃんと呼んで、手を伸ばしてほっぺたをぺんぺんしくれました。

 私が1988年に聖書学院に入学した時には、その一年前に聖書学院に入学したKC先生と一緒に夫婦寮におられました。
 その時に、私の一学年先輩のれいに、「今度入ってくる関君は、れいと合っているよ」みたいなことを言っていたということです。

 私たちが、誰でも必ず迎える、最も自然で、最も荘厳なひと時を功子先生は迎えています。
 主の栄光の臨在が功子先生を包み、平安と希望に満たしてくださいますように祈ります。

関 真士牧師

2020年8月7日

8月2日2020年の週報に掲載

 ハリケーンが逸れ、大きな被害もなく守られたことを感謝します。

 ハワイ、特にオアフ島にハリケーンが直撃することは、滅多にありません。 おそらく、避難したり、準備しても、空振りになることが、これから多くあるでしょう。
 しかし、東日本大震災の時に被災した牧師の言葉が今も心に残ります。 「100回、警報が外れても、100回逃げてください。」と言われました。
 私たちは、今回も大丈夫だろうと思いつつも、常に避難、準備を怠らないことです。

 今回は、私が赴任して以来、ハリケーンで会堂礼拝がクローズされたのは初めてです。 すでにオンラインでの礼拝配信のシステムが機能していたので、それもクローズすることを後押ししました。

 このオンライン礼拝というものが、今後、どのように進むのか、とても興味深い所です。 ホノルル教会のユーチューブ登録がコロナ以降200人以上増えています。 このような現象も踏まえながら、アフターコロナの教会のあり方を考えていきたいと思わされています。

関 真士牧師

2020年7月28日

7月26日2020年の週報に掲載

 今週から、ヨハネ15章の「ブドウの木」の話からメッセージを語って行きます。
 一回で終わらせることも出来る箇所ですが、今回は、10回くらい? かけてじっくりと御言葉を掘り下げたいと思います。

 また、今私は、礼拝における「間」(スペース)について考えています。 「間」とは、聖霊の働きに想いを向けるための「間」です。

 新しい試みとして、特にメッセージの中に「間」を設けたいと思います。 私は、どちらかと言うと、言葉多く、畳みかけるような話をする方だと思います。 そこで、メッセージの中で、何度か黙想の時を持ちます。 語られたことを思い巡らして整理して、次のポイントに進んでいきたいと思います。

 教会の歩みにおいても、個人の歩みにおいても、聖霊の働かれる「間」(スぺース)を、人の思いが奪ってしまことがあります。 「間」を大事にすることを意識していきたいと思っています。

関真士牧師

2020年7月21日

7月19日2020年の週報に掲載

 12日から少人数による会堂での礼拝が再開し、教会の歩みにも変化があります。 振り返れば3月中旬に、教会の建物が一時閉鎖になり、約4ヶ月が経とうとしています。 今も緊張と隣り合わせの中、教会は日英で話し合いを重ねつつ、慎重に前進を続けています。

 将来が見えにくいこの状況は、きょうを歩む私たちにとって不安や恐れを抱かせます。 コロナ前のあの安心できる日常が、いかに恵みであったかを痛感させられます。

 この4ヶ月間で、教会の働き、その形も今までとは変えざるを得ない中を通されて、今日があります。 オンライン礼拝、Zoomによる祈祷会や学び、電話連絡網を通してなされる対話、その他にも、閉鎖と同時に完成した教会ホームページを見ると、いかにこの期間で新しいことがなされたか、その一つ一つに教会のたくましさを思います。

 かつての安心できる恵みの日常を待ち望みつつ、今、私たち教会はどのように在るべきか? そのことを互いに問いつつ、ともに歩み続けていきたく願います。

高木牧人牧師

2020年7月16日

7月12日2020年の週報に掲載

 今日から会堂礼拝が再開されます。 半数以上の方が依然として自宅でのオンライン礼拝による参加となります。

 会堂で礼拝できるのも恵み、またオンラインで礼拝に参加できるのも恵み。どちらも感謝です。
 すべてが初めての試みで、思考錯誤の中にありますが、この経験は、今後の教会の歩みにとって大きな益となるでしょう。

 確かに、試練は人を、教会を成長させます。 コロナパンデミックによってもたらされている危機は、あらゆる領域に及んでいます。 もちろん、そのような現実から目をそらしてはならないでしょう。 しっかりと現実を直視していきましょう。
 しかし、危機だけが現実ではありません。 この状況の中にも、たくさんの恵みが注がれているというのは、また確かな現実です。

 改めて信仰を考え、教会、礼拝、宣教を考えるチャンスとなっています。 時間がある事で、以前には出来なかった聖書の学びが出来たり、インターネットを活用して、以前には参加できなかった集会に参加できたり、愛を実践することに力を発揮して賜物が光を放ち始めたりしています。

 今ここにも注がれている恵みを想いましょう。

関真士牧師

2020年7月6日

7月5日2020年の週報に掲載

 いよいよ7月12日の礼拝再開に向けて様々な準備が成されています。

 正確には、礼拝堂における礼拝の再開です。 私たちは、礼拝堂を使用した礼拝が出来ないだけで、礼拝がなくなったわけではありません。

 さて、人の危機は神の好機と言われますが、このコロナ危機を好機に変えるために、私たちは主に想いを向けていきたいと思います。

 これまでの会堂を中心として教会の在り方から、地域の集まりを中心として教会の在り方が考えられています。

 教会は、2207 Oahu Avenueにある建物ではありません。 「主に呼び集められた者たちの集まり」です。
 集まるためには場所が必要です。 その場所は、2207 Oahu Avenue以外でも有り得るのです。 主を中心として、主に集められた者たちが集まる場所に、確かに教会が存在しているのです。

 私たちは、この危機を好機として、新しい教会の在り方を考えるチャンスとしたいと思います。 一緒に考えていきましょう。

関真士牧師

6月28日2020年の週報に掲載

 7月12日の礼拝再開に向けて様々な準備が成されています。
 アンケートによれば、メンバーの半数以上は、礼拝に参加できない状況です。

 コロナ後の事に関しては、様々なことが言われています。 元に戻るのには2,3年かかるだろう、あるいは、もう元には戻らないだろうという意見もあります。

 そこで、ニューノーマルという言葉が出てきました。 今までの普通ではなく、新しい普通になっていくということです。 私たちが当然だと思っていたことが当然ではなくなり。 違うと思っていたことが普通になっていくというのです。
 礼拝をオンラインで参加するということが普通になるかもしれません。 会堂で礼拝することが普通ではなくなるかもしれません。 確かなことは誰にも分かりませんが。
 しかし、私たちが主に信頼し、聖書に記されている、教会とは、礼拝とは、交わりとは、宣教とは、それらの本質をしっかりと見て行くなら、この危機は、好機に変わるでしょう。

 私たちは、一緒に考えていきましょう。 数年間、礼拝参加者が半数に減ると考えるなら、教会の体制をどのように変えていくべきか、その変化は、決してマイナスではなく、プラスになることでしょう。

関真士牧師

2020年6月22日

6月21日2020年の週報に掲載

 God Bless You のリモート賛美が出来ました。 感動して涙が出てきました。 一人でも多くの人々に、神の祝福を届けることができますように。

 ホノルル教会は、7月12日の礼拝再開に向けて準備を進めています。
 市政府から出された、礼拝再開に向けての注意事項を遵守しながらの再開です。

 まだまだ元通りというわけにはいきませんが、最初の一歩を踏み出します。
 このような状況ですから、変更の可能性もありますが、準備の方は進めていきます。
 それは、参加条件のガイドラインの作成、検温、消毒、ソーシャルディスタンスなどがあります。
 しかし、感染防止を考える時に完全な防止はできません。 参加される方は、それぞれの体調、持病、体力などを考慮して、各自の判断で礼拝に参加することになります。

 多くの方々が「コロナ後」のことを考えています。 社会の仕組みや、教会のあり方が、どのように変わるかを予想しています。
 ホノルル教会は、どのような変化が訪れるでしょうか。 いずれにしても、変化はチャンスです。このチャンスを活かすことができるようにと願っています。

関真士牧師

2020年6月17日

6月14日2020年の週報に掲載

 ハワイも少しずつレストランがオープンし、今まで眠っていた街が生き返るように、以前の日常へと回復しつつあります。 その光景を見るだけで、何だかとても嬉しくなります。

 教会も以前の日常を目指して、日英両語部でミーティングを重ね、確かに一足一足前進しています。 今までみたいには、すぐに集まれなくても、今日も私たちは主にあって結ばれている家族であることを感謝します。

 本日の特別賛美(リモート賛美)を通して、皆さんの姿を見るだけで、こんなにも励まされるのはなぜでしょう? それは私たちが、それだけ主にあって深い絆で今も結ばれているからだと思います。

 私たち教会は、以前とは異なる歩みの中を今日も辿らされています。しかし、 それは歩む道が変わっただけで、主イエス様も私たち教会も変わらずに生きています。

 この道もともに歩まれる主の御手に支えられて、互いに祈り進み行きましょう。

高木牧人牧師

2020年6月8日

6月7日2020年の週報に掲載

 今年度の教会テーマ、年度聖句が決まりました。

 テーマ「希望に生きる神の教会」

 年度聖句 ローマ書5章13節
「どうか、希望の神が、信仰によるすべての喜びと平安であなたがたを満たし、聖霊の力によって希望にあふれさせてくださいますように。」

 今回は、8名のから御言葉が寄せられましたが、鍵語は「希望」です。

   私たちの神は「希望の神」です。

 私たちは、この時代にあって、希望に生き、希望を伝えていくのです。
 先行き不透明な、不安が全地を覆うような中にあって、教会は、希望の光を灯し続けるのです。

   新しい年度においても、希望の神を仰ぎ見つつ、共に歩んで行きましょう。

関真士師

2020年6月1日

5月31日2020年の週報に掲載

 先日、インターネットのズームを通して、日本の教会、また海外各地で宣教の働きをされている先生方のお話を伺う機会がありました。

 COVID-19による影響は、国や地域それぞれ異なり、分かち合われる先生方も全員がその地で奮闘されているのが、よくわかりました。 しかし、それでも広い地球の至るところに、神と人とに仕える働き人と主の教会が存在している事実に、私は大きな励ましを頂きました。

 世界中の多くの教会が今も閉鎖している中、5月最後の日を私たちは迎えました。 本日5/31は、教会暦ではペンテコステ(聖霊降臨日)です。 使徒たちをはじめ、人々に聖霊が降ったペンテコステの日に、教会は始まりました。

 2020年のペンテコステは、誰しも予期しなかった形で、この日を迎えています。 しかし、私自身思うことがあります。
 それは約2000年前に、聖霊が降り注いで誕生した主の教会は確かに今も生きている、ということです。 COVID-19に負けない力で、聖霊なる神は今日も私たちを通して働いておられます。

 その神の真実を、ホノルル教会を見ても感じますし、世界各地におられる先生方のお話を聞いても、強く感じました。
聖霊の新しい力を受けて、新しい1週間も、主の臨在と祝福のうちを歩ませていただきましょう。 

高木牧人牧師

2020年5月22日

5月24日2020年の週報に掲載

 ハワイのロックダウンがさらに一か月延長され、6月一杯までとなりました。 段階的に解除していくということですが、社会が元の状態に戻るためには、さらに日数が必要となるでしょう。

 教会の再開も、不透明な状況です。 7月から再開されたとしても、ソーシャルディスタンスや、消毒などを考えると、一気に元の状態には戻せないでしょう。 フルマラソンを走り出しました。 短距離走と長距離走では、使う筋肉の質は、まるで違うらしいです。 短距離の筋肉は堅く、長距離は柔らかいのだそうです。
 どちらも、必要ですが、長距離走に入った私たちは、特に柔らかさが必要とされます。

 これまで教会が使わなかった筋肉かもしれません。 使い慣れていない筋肉ですから、最初は筋肉痛になるかもしれませんが、運動を続けると慣れてきます。

 この問題が終わったとき、これまでとは違った、新しい教会の姿が出来ているでしょう。 それは、教会がキリストの体として、また一歩キリストのお姿に近づくチャンスです。 多くの教会にとって変化することは困難です。 しかし、今は変われるチャンスです。筋肉の質が変わる、つまり教会の質が変わるということです。
 主の成されることに期待していきましょう。

関真士牧師

2020年5月18日

5月17日2020年の週報に掲載

 今から約2000年前、使徒パウロはローマの人々に手紙を書きました。 彼は、その手紙の冒頭とも言える1章で、このようなメッセージを伝えます。

「私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでも分け与えて、あなたがたを強くしたいからです。 というより、あなたがたの間にあって、あなたがたと私の互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。」 (ローマ人への手紙1章11、12節)

 使徒パウロはローマの人々に「会いたい」と切に望みました。直接会って、信仰による励ましを互いに受けたい、と切に願いました。 当時、彼はその願いを手紙に綴って、ローマの人々に伝えたのです。

 私自身、この状況にあって、使徒パウロの「会いたい」という思い、直に信仰による励ましを互いに交わしたい、という主にある交わりに対する飢え渇きに、強い共感を覚えます。皆さんは、どうでしょうか?

 使徒パウロの時代とは違って、現在は電話やメール、インターネットが普及し、まるで直に会っているかの如く感じることのできる環境が整いました。 これは本当に感謝なことです。
 でも、やっぱり1ヶ月半前までは当たり前だった教会という「主に呼び集められた者たち」の温かい家族の情景を思い出すと、格別だったなぁ、と私は感じます。

 そのような特別な交わりを待ち望みつつ、この時を過ごしていきたく願います。

高木牧人牧師

5月10日2020年の週報に掲載

 このような状況ですが、現在、「コロナパンデミック後」ということが良く議論されます。

 この問題の後、社会はどうなっているのか? あるいは、教会は、どうなっているのか?

 歴史の中で、このような疫病の大流行の後には、社会の仕組みや、人との関わり方というものが変わってきました。
 教会は、どう変わるでしょうか?

 これを危機と取るか、好機と取るか?
 教会が物事を判断していくのに大切なのは、もちろん聖書です。 もっと具体的に言うと、聖書が教えている事で、特に、教会、礼拝、交わり、宣教ということが関わってきます。

 この機会を、好機とするためにも、聖書の真理に根差して、この時代の教会の在り方を模索していきましょう。

関真士牧師

2020年4月30日

5月3日2020年の週報に掲載

 Stay Homeのこの時、運動不足にならないようにと、散歩を心掛けています。

 マノアの街は、散歩には本当に良いところです。 風に吹かれ、道の花や木々にホッしながら、個性的な家を見ながら楽しく歩いています。

 世の中は、大変な事になっていますが、それとは対照的に、自然は何も変わらずにいます。 指先で簡単に折れてしまう一輪の花は弱そうで、しかし、強いなと感じる今日この頃です。

 このような危機的な状況にあって、私たちは普段から何に拠って立っているのかが問われます。 自然の強さとは、その存在が神に拠って立っている所にあるのだと思います。

 このコロナ騒動を通して、私たちが拠り頼んでいたものが、なんと不確実なものであるかが分かります。 今こそ、人間は、神に立ち返るときです。

関真士牧師

4月26日2020年の週報に掲載

 ハワイ州がロックダウンになって、1ヶ月が経ちました。 この1ヶ月は教会にとっても、また私たちにとっても、これまでの活動的な生活を止めた。 ある意味、非日常な期間を歩まされています。

 皆と集まりたくても集まることができません。 外に出かけて思いっきり羽を伸ばしたくても、それをすることができません。 今まで当然のようにしていたことができなくなってしまったのが今の状況です。

 多くの方が家にいること、家族と過ごすことがこれまでよりも格段に増えたことでしょう。 そのような「非日常」は、良く言えば、私たちを新しい生活へと導いてくれます。

 私自身も今まで味わったことのないこの「非日常」から、日々色々なことを語られ、教えられています。

 私たちの神は、私たちに語りかけ、大切なことを気づかせてくださるお方です。 この「非日常」にあっても、神様の御旨を悟らせていただく者でありたく願います。

高木牧人牧師

2020年4月23日

4月19日2020年の週報に掲載

 神を愛し、自分を愛するように隣人を愛する。 これが私たちの生き方であり、神の国のルールです。 愛の反対語は、恐れです。 愛のない所には、恐れがもたらされます。

 買い占めに走る人がいます。それを見て、買い占められると大変だと恐れて、買い占めに走る人がいます。 実際に、必要以上に買ってしまっている人の大半は、恐れによって行動しています。

 このウィルスは、人との接触がなければ、その感染はかなり抑えられます。 不要不急の外出を避けることを、人との接触を出来るだけ減らすことを皆が心がけることが大切です。

 今回のコロナ禍で、最も問われていることは、自分を愛するように隣人を愛することだと思います。 自分中心に物事を考え、行動してしまう時、このウィルスは拡がるのですから。

 私たちは、何を拡げるのでしょうか。 それは、ウィルスではなく、愛するという生き方です。 それが神の国を拡げることになります。 パウロは、ユダヤ人から「この男はまるで疫病(ペスト)のような人間」(使徒24:5)と訴えられました。
 それくらい彼の宣教は感染力を持っていたということです。 私たちが、拡げるのは、もちろん疫病ではなく、福音です。 コロナウィルス以上に、これを拡げていきましょう。 

関真士牧師

4月12日2020年の週報に掲載

 主の復活を心から喜びます!

 今最も試みられている事の一つは、教会の在り方でしょう。個人の信仰も振るわれていますが、それ以上に「集まれない」ということにおいて、教会が振るわれているのだと思います。なぜなら教会とは、まさに「呼び集められた者たちの集まり」だからです。集まりである教会が、集まれないのです。

 そこで改めて考えてみたいと思います。私たちは、どこに集まるのか? です。教会という集まりは、目に見える場所のことだけなのでしょうか。

 「どこに?」という問いかけに対して、2207 Oahu Avenueと答えるならば、私たちの集まりは無いことになります。
 でも、「イエス・キリスト」と答えるなら、今も集まりは有ることになります。

 私たちは、集まれないのではありません。私たちは、イエスのもとに、今も、集められているのです。私たちを一つにするのは、場所ではなく、イエスへの信仰なのです。

 確かに、ホノルル・キリスト教会は、今も有るのです。

関真士牧師

2020年4月6日

4月5日2020年の週報に掲載

 世界中が揺らされている中にあって、私たちは今日も何ものにも揺るがされない真理、主イエス・キリストに望みをおいて歩ませて頂きたい、と強く願います。

 ともに相集うことのできない状況にありますが、今日も私たちは神の家族、主の教会、「ひとつ」を生きています。

 電話やメール、インターネットのZOOMやLINEなどを用いつつ、神の家族としてのつながりを絶やさずに、この緊迫した状況をも乗り越えていきたく願います。

 今こそ、祈りあっていきましょう。支え合っていきましょう。

 この状況は必ず収束します。再び私たち教会が、「ひとつ」に集うその日を待ち望みつつ、新しい1週間も前進しましょう。

 特に今週は、受難週です。ZOOMでも金曜日まで毎日午前10時より黙想の時を持ちます。参加希望の方は、お知らせください。 (メールでも皆さんに告知いたします)

 皆さんの心と身体も守られて、私たちの救い主イエス様を、さらに深く知る1週間となりますように。

高木牧人牧師

2020年4月1日

3月29日2020年の週報に掲載

 ハワイに住む私たちの生活にも、大きな影響が出ています。 レイオフ、給与カット、解雇が始まり、通常の生活に困難が生じている方もおられるでしょう。

 こんな時、聖書のことばは、私たちにとって、どう響くのでしょうか。 私たちの信仰は、どのように働くのでしょうか。

 聖書の書かれた時代にも、このような疫病の流行は多々あったようです。 もちろん今のような医学のサポートはありません。 そんな中、人々を支えるのは信仰しかなかったのです。 信仰心が強いからではなく、状況によって恐れ、不安になるからこそ、主なる神に頼ったのです。

 ぜひ、詩篇91篇を読んでください。 一言一言声に出して、噛みしめように、味わうように、聴くように読んでみてください。

 今のこの道にも、主はおられます。主の臨在があります。「イエスは、真ん中に立って言われた、平安あれ」(ヨハネ20:19)

 この問題の真ん中にイエスが立たれています。 イエスのくださる平安をいただいて、共に歩んでいきましょう。

関真士牧師

2020年3月23日

3月22日2020年の週報に掲載

 過去17世紀にイタリヤでペストが流行した時に起こったことは次のことでした。

外国人への差別、当局間の激しい争い、感染者をヒステリックなまでに捜索し、専門家を軽視し、感染させた疑いのある者を狩り、デマに翻弄され、愚かな治療を試し、必需品を買い占め、医療現場の混乱が起こった。

まるで現代のことを言っているようです。 病気自体の問題に、上記のような問題が上乗せされることで、苦しみが増していきます。

新型肺炎という目に見えないウィルスは、人の心に恐れをもたらし、社会全体に混乱と無秩序をもたらします。 私たちは、心を落ち着けて、集団パニックに巻き込まれないようにしましょう。 基本的な手洗いうがいなどを行い、日常生活を歩みましょう。

私たちの行動基準は、神を愛すること、隣人を愛することです。 この基準に則って考え、判断し、行動していきましょう。

今は受難節の時です。 「立ち止まり」自分を見つめ、主をみつめ、主からのメッセージを受け取っていきましょう。

関真士牧師

2020年3月13日

3月15日2020年の週報に掲載

 過去17世紀にイタリヤでペストが流行した時に起こったことは次のことでした。

 外国人への差別、当局間の激しい争い、感染者をヒステリックなまでに捜索し、専門家を軽視し、感染させた疑いのある者を狩り、デマに翻弄され、愚かな治療を試し、必需品を買い占め、医療現場の混乱が起こった。

 まるで現代のことを言っているようです。 病気自体の問題に、上記のような問題が上乗せされることで、苦しみが増していきます。

 新型肺炎という目に見えないウィルスは、人の心に恐れをもたらし、社会全体に混乱と無秩序をもたらします。 私たちは、心を落ち着けて、集団パニックに巻き込まれないようにしましょう。 基本的な手洗いうがいなどを行い、日常生活を歩みましょう。

 私たちの行動基準は、神を愛すること、隣人を愛することです。 この基準に則って考え、判断し、行動していきましょう。

 今は受難節の時です。 「立ち止まり」自分を見つめ、主をみつめ、主からのメッセージを受け取っていきましょう。 

関真士牧師

2020年3月6日

3月8日2020年の週報に掲載

ヴィア・ドロローサ

 この言葉はラテン語で「苦難の道」という意味です。 イエス様の十字架の道、その最期の道はヴィア・ドロローサと呼ばれ、今日もイスラエルの地に残されています。

 今年の受難節、私たちは救い主イエス様の「十字架の道行き」に焦点を当てて、ともに黙想をしています。

 第一の留は先週、関先生がメッセージを語ってくださった「ゲッセマネの祈り」という場面でした。 第二の留は「ユダの裏切りの逮捕」の場面、そして今日は第三の留「裁判にかけられるイエス」の場面です。 一足一足、救い主の足は十字架へと向かっていきます。 第四、第五…と確かにその御顔を十字架へと真っ直ぐに向けて。 そして、ヴィア・ドロローサ(苦難の道)という十字架の道が完成するのです。

 しかし、この苦難の道は苦難の道で終わりませんでした。 この主が歩まれた道の根底には、私たちへの主の計り知れない愛と勝利がありました。 この受難節、私たちはこのヴィア・ドロローサの背後にある主の愛と勝利を、ともに受け取りたく願います。

 皆様にお配りしました「黙想の手引き」を、ぜひ用いて頂けたら幸いです。 受付にもまだ置いてあります。

高木牧人牧師

2020年3月2日

3月1日2020年の週報に掲載

「受難節に入りました」

 この期間は、十字架の主に想いを向け、日々を過ごしましょう。 カトリックの教会に行きますと、十字架の上にイエスが架けられている像を見ることがあります。 対してプロテスタントは、十字架の上にイエスはおられません。

 それは、イエスはすでに復活されたので、十字架の上には居ないという理解から来ていると聴いたことがあります。
 もちろん、私たちは、十字架上のイエスと復活のイエスと、その両方を想うのですが、その両方を一つの目に見える像にするのは出来ないことです。 それが、神の真理を目に見える形にすることの限界です。

 いずれにしても私たちは、受難節の期間は、特に十字架の上のイエスに想いを向けますが、復活の時には、復活のイエスに想いを向けるのです。

 今年も、黙想の小冊子が配布されています。 まず一人で黙想しますが、友人と一緒に、分かち合いの時を持つこともお勧めします。 分かち合うことで、新しい気付きが与えられます。

 主の恵みは日々新しく、尽きることはありません。
 今年も、新しい恵みをいただきましょう。

関真士牧師

2020年2月21日

2月23日2020年の週報に掲載

 今週26日(灰の水曜日)から受難節(レント)の期間が始まります。 この期間は1年の中でも、特別にイエス様の十字架を黙想する期間として、教会の暦に与えられている期間です。

 今年の受難節は、先週と今週にお配りしている黙想の手引き『十字架の道行き』をご一緒に用います。 ローマ・カトリック教会の伝統では、このイエス様の十字架と復活までの道を、ともに一足一足踏みしめるように黙想していきます。

 私たちの主イエス様の十字架の道とは、どのような道だったのでしょうか? 40日間の受難節を通して、その道に刻まれている主の愛と憐れみを、ご一緒に体験していきましょう。

 黙想の手引きには、日ごとに開く聖書の箇所と黙想のポイントが書かれています。 お一人で黙想される時はもちろんですが、グループで分かち合う時にも、この手引きを用いていただけたら幸いです。 教会全体で同じ箇所(イエス様の十字架の道行き)を味わえることを感謝します。

 まだ、黙想の手引きがお手元にないという方は、受付までお申し出ください。

高木牧人牧師

2020年2月14日

2月16日2020年の週報に掲載

 ▲今日から、受難節のための「黙想の小冊子」が配布されます。 どうぞ、受け取ってください。 2月26日(水)から始まる受難節の期間、どうぞ、この小冊子を用いて黙想の時を持ってください。 数人で集まって分かち合いの時を持つならば、恵みが増すでしょう。

 ▲教会の財政健全化に向けて、皆さまにお祈りいただいています。 教会は、州政府に登録されたNPO団体として、健全な財政運営をする義務があります。 その点において、私たちは、実際的な改善策を考えていきます。

 しかし、それ以上に、教会は、キリストの体であり、キリストがその主権者です。 私たちは、個人個人の信仰においてもそうであるように、教会という一つの体としても、常に「神は」を主語に考えていきます。

 「神は、ホノルル教会に、今、どのように働き、何を求めているのか」を、まず第一に考えます。 それが、神を第一として歩む教会の姿勢です。

 神の御心は、ただ献金をもっとしてください、という事ではないでしょう。 神は、今ホノルル教会を、どのように成長させようとしているのか、何を求めているのか。 財政に限らず、すべての事の中で、神の御心を受け取っていくことが、本当の解決です。だからこそ、どうぞ祈ってください。

関真士牧師

2020年2月7日

2月9日2020年の週報に掲載

 新型肺炎が世界的に流行する中で、ハワイに住む私たちにも、大きな影響が出て来ています。 中国からの観光客を始めて、ハワイを訪れる人が減っています。 観光業に頼るハワイ州としては、大きな打撃です。

 犠牲者がこれ以上でることなく、一日も早い終息を願います。

 このような事が起こると、デマ情報がたくさん流れます。 明らかに悪意をもってデマを流す人がいます。 そこに、その情報がデマだと知らずに善意から拡散してしまい、結果的にデマの拡散に一役かってしまう人がいます。
 いずれにしても、私たちは、情報をよく吟味して、軽はずみな行動を控え、心を落ち着けて、祈り心を持って過ごしたいと思います。

 その情報がデマであるかどうかを判断することは大切なことです。 特に実際に見て自分で確かめることが出来ない場合は、その情報の発信者は誰なのか? その発信者は信用ができるのか? その発信者が根拠にしている情報は何なのか? 「~~のようです。」という表現は確証が取れていないということです。 特に映像では、ニュースとして絵になるために極端な光景を切り取る傾向があります。 実際には一人の人の極端な行動が、あたかも全員がそうであるかのような印象を与えます。

 情報に溢れる社会の中で、今回のことに限らず、情報の真偽を判別していく力は、ともて大切です。 情報は必要ですが、振り回されることはありません。

 私たちは、心を落ち着けて、すべてを支配している神に御前で平安でありましょう。

関真士牧師

2020年1月31日

2月2日2020年の週報に掲載

 2月に入りました。今年の受難節は2月26日(水)から始まります。 受難日礼拝は4月10日(金)、復活祭礼拝は12日(日)となります。
 今年も、受難節のための「黙想の小冊子」をお配りします。 今年のテーマは「十字架の道行き」です。ゲッセマネの祈りから始まって十字架、復活へと、イエスの歩んだ道を御言葉に導かれて辿っていきます。

 キリスト教の伝統にある、「15の留」を取り入れています。 「留」とは、英語ではStationです。静まる、留まる、立ち止まるという意味があります。 イエスの十字架への道、その一つ一つの場面に立ち止まり、黙想し、恵みをいただきたいと思います。

 今年も、さらに深く、豊かに、主の十字架と復活を知り、体験することができますように。 十字架と復活が、自分にとって何を意味するのか、それを自問しながら黙想していきます。

まだ、その意味が分からないという方もおられます。その方々は、どうぞ、この機会を活かして求めましょう。 この十字架と復活こそ、私たちのキリスト信仰の根幹です。

16日と23日の両日に亘って小冊子を配布しる予定です。 どうぞ、ご利用ください。

関真士牧師

2020年1月24日

1月26日2020年の週報に掲載

 2020年も年が明けたと思えば、あっという間に最後の週です。雨風の多い日が続いていましたが、最近は大分暖かくなりました。

 先日ビーチに沈む夕陽をボーッと眺める機会がありました。少しずつ沈み消えてゆく光は、美しさとともに、1日の終わりを告げるどこか切ない思いにも駆られました。

 聖書には天地創造の第一日目に、すでに「神は光を昼と名づけ、闇を夜と名づけられた。夕があり、朝があった。」(創世記1:5)と記されています。 それから夕があり、朝がある毎日が今日まで私たちの住む世界に与えられ続けているという事実は、当然ならぬ神の恵みです。

 “This is the day”「この日は 主イエスが造られた」という賛美があります。 まだ見ぬ明日に向かって生きる私たちに、主は日ごとに「新しく造られた日」を用意してくださっています。

 今日という特別な日は、もう今日以外にはありません。 2020年最後の今週1週間の日々も、喜びと感謝に溢れて「主イエスが造られた日」を味わい歩ませて頂きましょう。

高木牧人牧師

2020年1月17日

1月19日2020年の週報に掲載

 今回、3つの大切な報告があります。 この週報に、二つの手紙が入っています。

 一つは、旧杉原プロパティに関する現状報告です。 もう一つは、会計の現状報告です。

 次週26日11am より合同ミーティングの時を持ちますので、上記2つの事柄の報告と質疑応答の時を持ちます。 どなたでも是非、ご参加ください。

 「人は心に自分の道を思い巡らす。 しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である。」箴言16;9

 私たちは、精一杯の知識と経験に基づいて、考え、判断し、何だかの結論を出していかなければなりません。
 しかし、同時に、すべてをはるかに超えて主の計画が成されていることを私たちは知っています。 主に全く信頼して、今私たちは出来る事、するべきことを精一杯させていただきましょう。

関真士牧師

2020年1月10日

1月12日2020年の週報に掲載

 昨年末にロサンゼルスにてイクイッパー・カンファレンスが開催されました。皆さまのお祈りを心から感謝いたします。今回も祝福に溢れた5日間でした。

 今回、2年ぶりに開催されたカンファレンスは、約400名の参加者も大半が入れ替わっていました。理由は、参加者の多くが勉強や仕事など、一時的に海外にいる人たちだからです。
 神様が海外の地で日本人を救い出し、母国日本へ送り出している現実を少しでも助けたい!その願いをもって継続されているのが、このイクイッパー・カンファレンスです。
 多くの帰国者(いずれ帰国する人たち)がいたのと同時に、日本から帰国者を受け入れるために参加した日本在住の人たち、また帰国者を送り出す側として召されている永住者の人たちでカンファレンスは成り立っています。

 そして、この3つの「帰国者」 「受け入れる側」 「送り出す側」という神の召しは、現在ハワイにいる私たちにも確かに当てはまる召しだと感じました。

 この主の宣教の現実と、確かにその主の働きに組み込まれている事実に、私たち(神の民)の宣教の網(ネットワーク)をさらに強固にしていきたく願います。

高木牧人牧師

2020年1月3日

1月5日2020年の週報に掲載

新年あけましておめでとうございます。

 昔、中国に塞翁という男がいました。 ある日のこと、一頭の馬が逃げてしまい、しかも敵の国に入ってしまったので、連れ戻すこともできません。 これは災いです。
 数日後、その馬が戻って来たのですが、なんと数匹の馬を引き連れて来ました。これは幸いです。

 ある日のこと、その馬に乗っていた息子が馬から落ちて怪我をしてしまいました。 これは災いです。
 しかし、その怪我のために、兵士に徴兵された戦争に行かなくて済みました。 これは幸いです。

 「万事、塞翁が馬」という、ことわざの物語です。

 「災い転じて福となる」とも言います。 また聖書は「万事が共に働いて益となる」(ローマ8:28)と言います。

 出来事、物事、人を、どう受け止めるかは、考え方ひとつで、幸いにも、災いにもなります。

 「神の国マインド」という言葉があります。 神の国の王である、イエスのように考え、判断していくということです。 イエスなら、どう考えるか、どうするか、そのマインドを身に着けると、すべてが幸いに変わってきます。

関真士牧師