2020年7月28日

7月26日2020年の週報に掲載

 今週から、ヨハネ15章の「ブドウの木」の話からメッセージを語って行きます。
 一回で終わらせることも出来る箇所ですが、今回は、10回くらい? かけてじっくりと御言葉を掘り下げたいと思います。

 また、今私は、礼拝における「間」(スペース)について考えています。 「間」とは、聖霊の働きに想いを向けるための「間」です。

 新しい試みとして、特にメッセージの中に「間」を設けたいと思います。 私は、どちらかと言うと、言葉多く、畳みかけるような話をする方だと思います。 そこで、メッセージの中で、何度か黙想の時を持ちます。 語られたことを思い巡らして整理して、次のポイントに進んでいきたいと思います。

 教会の歩みにおいても、個人の歩みにおいても、聖霊の働かれる「間」(スぺース)を、人の思いが奪ってしまことがあります。 「間」を大事にすることを意識していきたいと思っています。

関真士牧師

2020年7月21日

7月19日2020年の週報に掲載

 12日から少人数による会堂での礼拝が再開し、教会の歩みにも変化があります。 振り返れば3月中旬に、教会の建物が一時閉鎖になり、約4ヶ月が経とうとしています。 今も緊張と隣り合わせの中、教会は日英で話し合いを重ねつつ、慎重に前進を続けています。

 将来が見えにくいこの状況は、きょうを歩む私たちにとって不安や恐れを抱かせます。 コロナ前のあの安心できる日常が、いかに恵みであったかを痛感させられます。

 この4ヶ月間で、教会の働き、その形も今までとは変えざるを得ない中を通されて、今日があります。 オンライン礼拝、Zoomによる祈祷会や学び、電話連絡網を通してなされる対話、その他にも、閉鎖と同時に完成した教会ホームページを見ると、いかにこの期間で新しいことがなされたか、その一つ一つに教会のたくましさを思います。

 かつての安心できる恵みの日常を待ち望みつつ、今、私たち教会はどのように在るべきか? そのことを互いに問いつつ、ともに歩み続けていきたく願います。

高木牧人牧師

2020年7月16日

7月12日2020年の週報に掲載

 今日から会堂礼拝が再開されます。 半数以上の方が依然として自宅でのオンライン礼拝による参加となります。

 会堂で礼拝できるのも恵み、またオンラインで礼拝に参加できるのも恵み。どちらも感謝です。
 すべてが初めての試みで、思考錯誤の中にありますが、この経験は、今後の教会の歩みにとって大きな益となるでしょう。

 確かに、試練は人を、教会を成長させます。 コロナパンデミックによってもたらされている危機は、あらゆる領域に及んでいます。 もちろん、そのような現実から目をそらしてはならないでしょう。 しっかりと現実を直視していきましょう。
 しかし、危機だけが現実ではありません。 この状況の中にも、たくさんの恵みが注がれているというのは、また確かな現実です。

 改めて信仰を考え、教会、礼拝、宣教を考えるチャンスとなっています。 時間がある事で、以前には出来なかった聖書の学びが出来たり、インターネットを活用して、以前には参加できなかった集会に参加できたり、愛を実践することに力を発揮して賜物が光を放ち始めたりしています。

 今ここにも注がれている恵みを想いましょう。

関真士牧師

2020年7月6日

7月5日2020年の週報に掲載

 いよいよ7月12日の礼拝再開に向けて様々な準備が成されています。

 正確には、礼拝堂における礼拝の再開です。 私たちは、礼拝堂を使用した礼拝が出来ないだけで、礼拝がなくなったわけではありません。

 さて、人の危機は神の好機と言われますが、このコロナ危機を好機に変えるために、私たちは主に想いを向けていきたいと思います。

 これまでの会堂を中心として教会の在り方から、地域の集まりを中心として教会の在り方が考えられています。

 教会は、2207 Oahu Avenueにある建物ではありません。 「主に呼び集められた者たちの集まり」です。
 集まるためには場所が必要です。 その場所は、2207 Oahu Avenue以外でも有り得るのです。 主を中心として、主に集められた者たちが集まる場所に、確かに教会が存在しているのです。

 私たちは、この危機を好機として、新しい教会の在り方を考えるチャンスとしたいと思います。 一緒に考えていきましょう。

関真士牧師

6月28日2020年の週報に掲載

 7月12日の礼拝再開に向けて様々な準備が成されています。
 アンケートによれば、メンバーの半数以上は、礼拝に参加できない状況です。

 コロナ後の事に関しては、様々なことが言われています。 元に戻るのには2,3年かかるだろう、あるいは、もう元には戻らないだろうという意見もあります。

 そこで、ニューノーマルという言葉が出てきました。 今までの普通ではなく、新しい普通になっていくということです。 私たちが当然だと思っていたことが当然ではなくなり。 違うと思っていたことが普通になっていくというのです。
 礼拝をオンラインで参加するということが普通になるかもしれません。 会堂で礼拝することが普通ではなくなるかもしれません。 確かなことは誰にも分かりませんが。
 しかし、私たちが主に信頼し、聖書に記されている、教会とは、礼拝とは、交わりとは、宣教とは、それらの本質をしっかりと見て行くなら、この危機は、好機に変わるでしょう。

 私たちは、一緒に考えていきましょう。 数年間、礼拝参加者が半数に減ると考えるなら、教会の体制をどのように変えていくべきか、その変化は、決してマイナスではなく、プラスになることでしょう。

関真士牧師