2011年10月20日

10月23日2011年の週報に掲載

古池や蛙飛び込む水の音
これは芭蕉による有名な俳句ですね。これは、古い池に、カエルが飛び込んで、水の音がした。ということなのですが、私などは、この句に何とも表現しがたい、心の落ち着きと郷愁のような感覚を持つのですが、皆さんはいかがでしょうか?

芭蕉はここで「水の音」と表現していますが、実はここで思いが向けられているのは「音」ではなく「静寂」です。小さな蛙が池に飛び込む「チャポン」という小さなを音。その音が聞こえるほどの静寂がここにあるのです。

そこから、一気に心の風景が拡がっていくのです。この句をただの情報として捉えてしまうと、ただカエルが飛び込んだら水の音がした、そんなの当たり前のことじゃないかと、それで終わってしまうでしょう。あるいは、古池や、蛙や、そのような光景を見たことがない人にとっては、心の風景が拡がるのは難しいかもしれません。

芭蕉がこの句を通して何を表現しようとしているのか? それはこの句を、情報としてではなく語りかけとして聴き、さらにはその表現の実際を経験していなければ、理解できないことでしょう。

聖書のことばもそうです。聖書のことばは、私たちへの神の語りかけです。私たちは、そのことばの中にある、風景、人々の声、風の音、空気の匂い、足裏に伝わる大地の感触まで感じ取るものでありたいと願いします。今日から詩篇23編の連続メッセージを語ります。「主は私の羊飼い」このことばから何が拡がるでしょうか。

関牧師

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