今日は、「ペンテコステの日」であると同時に「母の日」でもあります。「母の日」に対して「父の日」もあるわけですが、女性と男性という異なる二つの性が一つとなるときに、神のイメージが浮かんできます。
母なる存在とは、母なる河とか、母なる大地という言い方をするように、無条件に全てを包み込んでいく「無償の愛」を象徴しています。それは受容であり、赦しであり、包含です。
対して父なる存在の特徴は「断ち切り」です。善と悪を分け、正義と不義を明らかにし、そこに自立をもたらします。
誰かが何か失敗したとします。女性的な人は、まず励まして、赦して、支えようとします。男性的な人は、何が悪かったのかを明らかにし、次に同じ失敗をしないように教えます。そしてぺネルティを与えます。
もし、どちらか一方だけのアプローチしかなければ、それは甘えか、拒絶か、いずれにしても偏ったものになってしまいます。私たちは、励ましと赦しを必要としますが、物事の正しい道筋を知ることや、責任を刈り取ることも必要です。
男性も女性も、母も父も、異なった性質を持っています。それが衝突したり、一方が否定されるのではなく、お互いが補い合うことが出来れば、それは人生に素晴らしい祝福をもたらします。
母なる存在、それは父なる存在に支えられた存在です。逆もしかりです。聖霊の助けによって、母にも父にも祝福がありますように。