しかし、聖書は明確にキリストが再臨されると語っています。(使徒の働き1章11節)そして再臨への備えとして、有名な10人の乙女やタラントの譬話があるのです。そして再臨とは、私たちにとっては、精算の時となります。マタイ25章32節からの譬話には、今日語った、「生ける者と死にたる者とを審く」ということが書かれています。
初代教会の人々の祈りは「主よ来たりませ(マラナタ)」(Ⅰコリント16章22節)でした。教会はその歴史の中で、常に「主よ来たりませ」と祈ってきました。再臨を待ち望むという生き方は、クリスチャンの生き方の重要な一つです。
私たちの属するホーリネス教団は、四重の福音と言って、新生、聖化、神癒、再臨の4つを強調してきました。もちろん福音は4つだけではありませんが、再臨を福音として理解をしてきたのです。つまり主を信じて、神の裁きから免れた私たちにとって、再臨とは福音なのです。
これまで「私は再臨のキリスト」だと名乗った者は数え切れません。もちろん全て偽者です。そして再臨の日は誰も知らないのです。私たちの生き方は、再臨を待ち望む生き方なのです。
関牧師