2016年8月26日

8月28日2016年の週報に掲載

 この夏は、角田利光兄、愛美姉、愛架ちゃんファミリー、高木牧人兄(東京聖書学院3年生)、西潟証兄(オハイオ聖書学校)の伝道チームを迎えました。

 それぞれが三者三様の賜物を活かして、全力でご奉仕くださいました。ホノルル教会にとっても大きな祝福となりました。心から主に感謝を捧げます。

 それぞれが、これから、どこで、どのように用いられていくのか楽しみです。しかし、もし皆さんがこのままホノルル教会に居てくださったら…と想像すると、教会はさらに大きく伸びるだろうなと思わされます。

 ハワイの宣教は、まさに「打てば響く」です。福音を伝えれば伝えるほど、イエスを信じる者が起こされます。ホノルル教会は、まだまだ与えられたチャンスと賜物を生かし切っているは言えません。

 私たちが神の家族として成長し、働き人が起こされるなら、さらなる成長が期待されます。必要な人材が起こされるように祈りましょう。そして、その人材とは、あなた自身のことかもしれません。自分に与えられている賜物をどのように活かすか、祈り求めていきましょう。

関牧師

2016年8月19日

8月21日2016年の週報に掲載

 先週は、3名の方が洗礼を受けられました。おめでとうございます!

 洗礼とは、英語ではバプテスマと言いますが、言葉の意味としては、沈潜、合一という意味があります。つまり父、子、聖霊の御名によって洗礼を受けるということは、三位一体の神のものとされるということです。

 また、水の中に入るということは、葬りと蘇りを現しています。水の中に沈んだとき、それは古い自分は死んだことを現し、水から出てきた時は、新しく生まれ変わったことを現しています。

 洗礼は、誰が受けるのかというと、イエスを神の子救い主として信じた者が受けます。洗礼を受けたから救われるのではなく、救われた人が、その信仰の表明として受けるものです。

 さらに、なぜ洗礼を受ける必要があるのか? と言えば、その答えはただ一つ、イエスがそのように命じられたからです。イエスが天に昇るその時、この地上での最後の言葉として「それゆえ、あなたがたは行って、すべての人を弟子としなさい。そして父、子、聖霊の御名によって洗礼を授け…」(マタイ28章19節)とあるからです。このイエスの言葉に従って、教会はイエスを信じる者に洗礼を授けてきました。洗礼は神の子供として始める最初の一歩です。終わりではなく、始まりです。

関牧師

2016年8月12日

8月14日2016年の週報に掲載

 明日は8月15日、日本にとっての終戦記念日です。今年で戦後71年目です。

 かつて、日本軍による真珠湾攻撃から大戦の火ぶたが切られました。この穏やかな島から、東に西に、世界に争い、憎しみ、痛みが拡がっていきました。

 しかし、日本軍の攻撃隊長であった淵田美津雄大佐は、戦後クリスチャンとなり伝道者になります。また日本本土を爆撃した、爆撃手のジェイコブ・ディシーザーも戦後、宣教師となって日本にやってきます。

 かつて敵同士であった2人が出会い、神の愛と赦しを伝える者に変えられました。
この2人の物語が、「2人の贖罪 ~日本とアメリカ・憎しみを越えて~」というタイトルで、NHKスペシャル、日本時間の15日午前1時から放送されるそうです。

 「キリストこそ私たちの平和です。」 私たちは、この島から東に西に、全世界にキリストの福音を拡げていきましょう。

 「心に光を」放送 AM1210 KZOOラジオ。月~金 2:45PM、この放送を通しても福音は拡がります。お祈りと献金のご協力をお願いいたします。   

関牧師

2016年8月5日

8月7日2016年の週報に掲載

 この夏は、伝道チームをお迎えして教会も活気づいています。 ユースの活動、祈祷会のメッセージ、家庭集会、そして本日は、合同サンデースクールのセミナー、今週土曜日に開催される伝道セミナー、などなど、意欲的に奉仕をしてくださっています。
 西潟証兄は8月22日まで、角田利光兄、高木牧人兄は、9月1日までの予定です。どうぞ祈りに覚えてください。

 ホノルル教会は、「開かれた神の家族」として、前進しています。

 家族とは、閉鎖的で、排他的な一面を持っています。その家族が仲が良ければ良いほど、外の人は入りづらくなる事もあります。しかし、神の家族はそうではありません。神の家族の門は、いつも開かれています。教会堂には、残念ながら鍵がかかっていますが、神の家族の門には、鍵はありません。

 イエスは、いつでも、その食卓にすべての人を招いてくださっています。

 機能不全家族が多くなっている現代において、神の家族が、家族として機能することは、この世の希望となります。ご一緒に、神の家族として成長していきましょう。

関牧師