2008年2月29日

3月2日週報に掲載


 「ああ気持ちい!!」 マノアの谷を吹き抜ける貿易風。毎日、毎日、感動しています。太平洋の大海原を通り、コオラウ山脈でたっぷりと緑の息を取り入れた、最高に新鮮な空気を吸わせてもらって、こんなリッチな神の恵みはないでしょう。感謝、感謝の日々です。
 ところで最近、「古きを知り、新しき夢を見る」というフレーズが頭から離れません。私たちの教会は、すでに天に凱旋された多くの聖徒たちによって築かれ、支えられて来ました。1926年、3名の結核患者が癒しを求めて決死の祈りを捧げるため、タンタラスの山に登りました。三日間の断食祈祷の結果、癒されて下山した3名を見て、多くの人がクリスチャンになったそうです。これがホノルル教会の萌芽となりました。以来、今日までどれだけ多くの神の恵みが注がれて来たでしょうか。数え切れない証しがそこにあることでしょう。そんな証しを信仰の先輩からお聴きして、私たちの立ち続けるべき信仰を確認したいですね。
 また、主の再び来られるその日まで、主の教会は歩き続けます。私たちの子供たち、孫たち、次の世代に信仰のバトンを渡して行かなければなりません。私たちは、彼らに何を残していけるでしょうか。教会の将来を展望し、夢を描いて行きたいですね。10年後、20年後、私たちの教会はどうなっているでしょうか? 私たちが今祈っているこの祈りが、この信仰が、この証しが、きっと何十年先の教会を支えているのでしょう。そうでありたいですね。
 教会のプログラムは忙しいですが、いつか「古きを知り、新しき夢を見る」そんな集いが持てれば素晴らしいですね。

関 牧師


2008年2月24日

2月24日週報に掲載

 数年前に日本にいた時、いつものようにれいに髪の毛を切ってもらっていました。バリカンで刈り上げてもらっていたのですが、突然れいが無口になり、ただならぬ緊張感が頭の上に感じられました。どうやら手がすべったらしく、どうしたらいいのか、大変な事態に頭が真っ白になってしまったのでした。
 ある程度の覚悟を決めて鏡を見ると、そこにはさっぱりとスポーツ刈にされた自分がいました。呆然としていると、すかさずれいが、「似合ってる、最高!」と必死に励ましてくれます。妻の励ましに弱い私は、その気になって、以来スポーツ刈で通して来ました。
 その事件がきっかけであるのは確かですが、もう一つスポーツ刈を受け入れた理由は、頭のてっぺんが寂しくなってきたからでした。また、何と言っても手入れが簡単で、暑いハワイにはぴったりの髪型でした。しかし、いよいよ髪の毛の数が寂しくなってくると、夢よもう一度ではないですが、何かむしょうに髪の毛を伸ばしたくなるものです。そんなわけで、最近髪の毛を伸ばしているのですが。それには、これほど深い? わけがあったのでした。
 それにしても、どれだけ多くの方が牧師の髪型に関心を持っておられるのか、よく分かりました。今の髪型に対して賛否両論が激しく、どちらかと言うと賛成派が優勢のような気もしますが、反対派も巻き返してきます。
 まあ、とにかく私の好きなようにさせてもらおうと思っています。髪の毛のある人も、ない人も、長い人も、短い人も、髪の毛の数まで知っておられる神を、今日も共に礼拝しましょう。

関牧師




2008年2月16日

2月17日週報に掲載


 先週の礼拝では、クライブ宣教師のメッセージがありました。「赦し」というテーマで、とても考えさせられる内容でした。クライブ&マーヤ宣教師夫妻は、以前福岡で宣教師活動をされ、現在は再び日本に宣教に行くための準備をしています。受け入れ先教会や、経済的なサポートなど、様々な準備が必要です。
 日本から見て海外で働く者にとって、日本宣教に重荷を負ってくださるということは、本当に感謝で一杯です。日本は「宣教師の墓場」と言われるほどに宣教困難な地です。私も以前に牧会していた教会では、ドイツ人の宣教師と一緒に働いていました。彼の同僚は、アフリカに宣教に行っていました。彼らの属する宣教団体には毎年活動レポートが送られるわけですが、アフリカからは何十、何百人と洗礼を受けた、教会堂が建った、神学校が出来たとレポートされます。しかし、私の同僚は、受洗者ゼロ、今年もゼロ、経済的なサポートの要請も変わらず、何年経っても自立できない。
 宣教師にとって、ジャングルの奥地や、イスラムの国へ伝道に行くことも困難ですが、日本もまた最も困難な宣教地の一つです。そんな国に、誰が好んで行くでしょうか。それをあえて、日本を愛し、日本のために人生を捧げてくださる。ただ感謝です。
 私が高校生の頃、喧嘩に明け暮れ、とうとう袋叩きで全身打撲で入院しました。そのベッドに一人の宣教師がやってきて祈りを捧げました。嫌で嫌でしかたなかったのを覚えています。そんな若者が、やがて牧師になりました。確かに困難です。しかし主は生きておられます。日本も愛されています。必ず日本にもリバイバルが起こります。

関師


2008年2月10日

2月10日週報に掲載

「受難節を迎えて」

 さて、先週の2/6(水)より、教会暦によると受難節(Lent)が始まっています。これは、復活の日からさかのぼって46日前より始まるものです。この期間は、イエスの十字架の受難に思いを向けていくための期間になります。2/6の水曜日を「灰の水曜日」と呼び、「灰」とは悔い改めを意味しています。3/16の日曜日は「棕櫚の主日」と呼ばれ、イエスが子ロバに乗ってエルサレムに入城した日を思う時となります。その時に群集が、棕櫚の葉を道に敷いてイエスを迎えたからです。
 そして棕櫚の主日(3/16)から3/22(土)の一週間を受難週と呼びます。その週の3/21(金)がグッドフライデーと呼ばれ、イエスが十字架にかかった日を思う時となります。3/23(日)は復活祭です。グッドフライデーの日は、毎年ホノルル教会で特別集会を持っています。今年は、7:30PMよりサービスを行います。是非ご参加ください。
 受難節の過ごし方は、教会によって様々ですが、断食をしたり、肉類や好物を断ったりする事もあります。ちなみにカーニバル(謝肉祭)とは、受難節の前にたくさん食べて楽しんでおこうというのが始まりです。ホノルル教会では、特に受難節の過ごし方を決めていませんが、いずれにしても、イエスの十字架への道を黙想し、より深い十字架理解、体験へと導かれることが、受難節を設ける目的です。そのために各自が、それぞれの方法でイエスの十字架に近づいていきましょう。 最後の受難週には、黙想のテキストを配布します。共にイエスの十字架への道程を辿りましょう。そして復活祭には、歓喜にあふれて、復活の主を礼拝しましょう。

関牧師




2008年2月1日

2月3日週報に掲載

 先週は、牧師リトリートのためにLAのパサデナに行ってきました。カトリックのリトリートセンターで持たれたもので、教団所属の日英の牧師が一同に集まりました。普段はメールでのやりとりですが、やはり顔を見合わせての交わりは恵まれます。無事にハワイに戻ってきました。皆さんのお祈りを感謝いたします。
 今回のリトリートでは、文字通りのリトリート、神の御前に静まることが出来ました。その施設の広い庭には、イエスが十字架にかかるまでの受難の行程に合わせて、14箇所のレリーフがあります。それを1番から順番に、祈りつつ廻りました。今回は、イエスの十字架の意味を、また新たに知り、体験することが出来ました。教会暦の上では、受難週が近づいてきましたが、共にイエスの十字架をさらに体験させていただきましょう。
 今回のリトリートには、アーネスト・キルボルン師が参加されていました。現在88歳です。ホノルル教会の英語部の初代牧師として1950年に赴任されたと聞きました。キルボルン師が2度メッセージをされましたが、その魂は熱く燃え、聖霊に満たされている姿を見て、本当に感動しました。午後のブレイクの時には、なんと4時間に及ぶ山登りに行かれ、同行した若手の牧師たちが、その健脚ぶりに驚いていました。
 一年に一度のリトリートでしたが、神の御前に静まることの大切さを再認識しました。

静まって、わたしが神であること知りなさい

(詩篇46)

静まれば、神を知ることが出来ます。教会でもリトリートをしたいですね。

関牧師