2008年4月5日

4月6日プログラムに掲載


 ゴールデン・シャワーツリーの鮮やかな黄色が、街を華やかにしている。毎年、この燃えるような黄色の花を見ると、皆さんに出迎えられてホノルル空港に降り立った時のことを思い出します。ちょうど3年前にハワイに赴任した時に、初めて目に映った花でした。
 今自分たちがここにいることの不思議、そして神の計り知れない導きに感謝するばかりです。この3年間の間で、主任牧師としての就任、そして現在の新会堂の建築計画と、大きな出来事が続きます。教会という所は単なる建物でもなく、ただの集団ではありません。それはキリストの体です。ですから命があります。命のある所には躍動があり、成長があります。成長には変化が伴います。教会は常に、躍動し、成長し、変化し続けるものです。私たちは、教会の営みの中で、いつも気づかされること、いや常に知るべきこと、それは教会のかしらはキリストである、ということです。
 ちょうど教会の聖書通読でヨハネの第三の手紙を読みました。そこには、教会の中でかしらになりたがっている人物がトラブルを起こしていることが書かれていました。教会の歩みの中で、最も大切なことは、誰がかしらなのか? ということです。牧師ではありません。役員でもありません。かしらはキリストです。キリストを差し置いて、自らがかしらになろうとすると、必ずトラブルになります。
だからこそ、教会のメンバーの一人一人が、このかしらであるキリストに結びついて、そこに人格的な関係を持っていくことが大切です。そして、いつでもかしらなるキリストの御心を求めて、従っていくのです。教会はキリストの体であり、かしらはキリストです。

関牧師



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