2009年3月4日

3月8日2009年の週報に掲載

 すでに教会の暦では、先週から受難節に入っています。今年は4月10日がグッドフライデー、12日が復活祭となります。毎年、この時期は、特に十字架の主を想う期間としてアピールしています。 

 この期間、ある教会では肉類を断ったり、お酒を控え、あるいは祈りに集中するために断食の時をもったりと、それぞれの過ごし方があります。私たちの教会では、特別な規定を設けてはいませんので、過ごし方は各自の自由です。しかし、大切なのは、十字架の主を想う、ということです。

 何もこの時期だけのことではありません。十字架の主は、常に私たちの信仰の中心です。十字架のキリストに対して、自分自身がどのように相対するかが全てです。そこで、何を聴き、何を見て、何を感じ、何を決めるか、それが私たちにとって最も重要な体験、選択となります。ここが曖昧だと、信仰の全てが曖昧になります。

 私たちが十字架の主に相対するとき、聖霊は次のことを私たちの心に問われます。「イエスを十字架につけたのは誰か?」この問いの重要性は、とても言葉で表現できません。永遠の命がかかっている、究極の問いかけです。この問いかけに対して、どう応えるか…?

 すべてが、ここから始まります。もしクリスチャンであっても、この問いかけに応えていない人がいたら、本当の意味での恵みと祝福には、まだあずかっていないでしょう。フルコースの匂いをかいだようなものです。十字架から与えられる祝福は、全世界を天秤にかけても、余りあるほどの祝福です。 この時期、十字架の主の前に一人立ち、それぞれが聖霊に導かれ、素晴らしい体験をされますように。


関牧師



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