記憶にあるのは、病院のベッドの側で祈ってくださった姿だけです。
当時の私は、17歳だったと思います。3人を相手に喧嘩でぼろぼろに負けてしまいました。丸太でめった打ちにされて、足の骨も折られ、救急車で病院に運ばれました。全身の痛みで動くことが出来ず、痛みで唸っていました。パンチパーマの友人がベッドを囲んでいる時、マーチン先生が入って来られました。ひげもじゃの大男でした。
私は、その人が母に連れて来られたキリスト教会の人だということがすぐに分かりました。心底を嫌な気持ちになりました。頼むからかえって欲しいと思いました。しかし、動けない状態で何も抵抗が出来ませんでした。
マーチン先生は、ただベッドにひざまずいて祈られました。私は友達の手前もあり、恥ずかしいやら頭に来るやらで、とにかく帰って欲しいとだけで思っていました。
その後、私は高校を卒業しコックの道に入りました。19歳で渡米し、20歳で洗礼を受けました。そして23歳の時に、牧師になる決心をして帰日しました。聖書学院に入る前、私はマーチン先生と再会しました。まさか、あのどうしようもない青年が、献身して牧師になるとは!先生も驚いておられました。涙をもって蒔いた種は、喜びと共に刈り取る、神の約束は確かです。
関牧師
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