2015年2月27日

3月1日2015年の週報に掲載

 最近、教えられたことがあります。先日初めてゴルフの打ち放しに行きました。ある方が誘ってくださり、まったくの初心者である私に手ほどきをしてくださいました。

 二回目の打ち放しの時、後ろで見ていたお年寄りの方が声をかけてくださって「力が入り過ぎている」と指摘されました。ゴルフで大切なのは、とにかく力まないことだと教えてくださいました。

 先日礼拝に参加された大内恵史也さんは、100M競争の日本代表選考会に参加する予定です。(関東大会で優勝し、選考会に出るということは大変なことです)彼も、力まないことを伝えてくれました。

 スポーツ全般に言えることですが、力を抜くことが大切で、力むとフォームが崩れます。これはスポーツ以外にも言える、一つの真理だろうと思います。全力で最大限の力を出すためには、力を抜くことです。力を抜いて、力を出すという、一見矛盾ですが、ここがポイントです。

関牧師

2015年2月20日

2月22日2015年の週報に掲載

 本日、午後3時より、マキキ教会にて「心に光を支援者大会が」開催されます。毎年恒例の行事です。「心に光を」放送は、現在月曜日から金曜日 2:45PM~3PM AM1210KZOOラジオから放送されています。現在ハワイ在住の牧師7名が順番に担当しています。

 この放送を通して、実に多くの多くの方々が教会に導かれてクリスチャンになりました。この放送は、すべて支援者の献金によって運営されています。 年に一回の支援者大会は、この放送の働きの紹介と支援の呼びかけのためにあります。どうか「心に光を」放送のために、お祈りと経済的支援をお願いいたします。

◆今年の復活祭は4月5日(日)です。その日までの受難節の期間、主の十字架を想いながら過ごしましょう。また、復活祭の日には聖霊式も予定されています。洗礼を希望の方は、関牧師までお知らせください。

関牧師

2015年2月13日

2月15日2015年の週報に掲載

 次週の22日(日)3PMから マキキ聖城教会において「心に光を支援者大会」が開催されます。どうぞご参加くださり、ご支援ください。

 受難節は復活祭から日曜日を除いた40日前から始まります。英語では「レント」と呼ばれます。Zippysにレントメニューというのが登場しますね。

 レントとは、古ドイツ語で「断食」を意味します。イエスの十字架の苦しみを想い、断食をすることがあったからです。ちなみにカーニバル(謝肉祭)とは、断食に入る前に、思いっきり食べて楽しんでおこうという事から始まりました。

 現在、受難節の過ごし方は教会によって様々です。受難節という暦にこだわらない教会もあります。

 ホノルル教会では、一年の中で、この受難節を霊的な高嶺として考えています。特に聖金曜日、復活祭がその頂点です。なぜなら、イエスの十字架をどのように理解し、体験とするかが、信仰の根幹だからです。これが分からなければ、何も始まりません。しかし、これが分かると、すべてが分かります。

 「あなたにとって、イエスの十字架とは、何の意味がありますか?」 毎年言い続けていますが、この課題に全力で取り組みましょう。この事のためになら、どんな犠牲を払ってでも、それは安いものです。それくらいに、十字架を知り、体験することは、素晴らしいことなのです。

関牧師

2015年2月6日

2月8日2015年の週報に掲載

 イスラム国による邦人殺害のニュースに深い悲しみを覚えます。先のイラク戦争以来、情報を制する者が戦いに勝つ、ということが言われています。

 現在のイスラム国が行っていることは、人の心を持った人間とは思えないほどですが、情勢戦略においては非常に優れていると言われています。ウェブを駆使して兵士の募集し、ユーチューブで殺害の映像を流したり、インターネットをフル活用しています。私たちは、このような情報に触れる時は、「情報は必ず解釈する」ということが重要です。
 情報を流している者には、それを流す目的と意図が必ずあるからです。その情報に接した者が、どのように反応するかを予想し、そのように反応させるために情報を流すのです。これは、スーパーのバーゲンの広告から、すべての情報に共通することです。イスラム国があえて、あのような映像を流す目的と意図は何でしょうか? それは恐怖と憎しみを拡げることです。それによってもっと大きな争い引き起こしたいのです。それに乗じて、イスラムの国を拡大したいのです。

 クリスチャンであった後藤健二さんがツィッターに載せた言葉が心に響きます。

 目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった。

 敵の策略に惑わされることなく、目を閉じて、祈りましょう。

関牧師