2018年6月21日

6月24日2018年の週報に掲載

 今日も新しい1日が始まりました。皆さんは、「昨日」という1日をどのように終えて、新しい「今日」という1日を生きていますか?夕があり、朝がある毎日が続きますから、何となく当たり前に、日々過ごしてしまうかもしれません。

 私がハワイに来て、「神様、すごいなぁ」と思ったことの一つ。それは鳥です。本当にたくさんの種類の鳥がいるなぁ、とよく思います。色も大きさも…、日本では見たことのない鳥もたくさんいます。鳴き声も多種多様です。神様の造られたものは、何と美しいのだろう!と、ハワイの大自然に憩う鳥たちを見ると思います。

 新しい朝は、大体5:30頃から日の出とともに始まります。この時間の鳥たちがすごい。パッと目が覚めたかのように、大合唱です。そして1日が始まる。私は、この鳥たちのさえずりを聞いて思います。「今日も新しい朝がきた!」と、1日の始まりを喜んでいる。まるで、新しい日をずっと待ち望んでいたかのように、感謝の賛美のような大合唱が響き渡る。そして1日が始まる。

 私たちも、この鳥たちのように、新しい毎日の中を感動して生きたいと思います。「今日も新しい朝がきた!」と、歓喜と感謝に溢れて「今日」を生きたく願います。「今日」は、神様がつくられた新しい日です。

 私たちは、このお方を待ち望むのです。

高木牧人牧師

6月17日2018年の週報に掲載

詩編31編24節
「雄々しくあれ。心を強くせよ。すべて主を待ち望む者よ。」

Psalm 31:24
“Be strong and take heart, all you who hope in the LORD.”

年度聖句が決まりました。

 昨年度は、新しい事の芽生えの年。今年度は、花の咲く時です。だんだんと主のなしておられる新しい事が見えてきます。でも、まだ全貌は分かりません。
 だから、待ち望むのです。希望を主に置くのです。

 歯食いしばって待つのか、楽しみながら待つのか、その置かれている状況にもよるでしょう。待つのが辛いとき、待つのが楽しみな時、それぞれです。
 いずれにしても、希望はあるのです。そして希望は、主の中にあるのです。

「この希望は、失望の終わることはありません。」(ローマ5:5)

 ホノルル教会は、キリストの教会です。主の御心は必ず成ります。大切なのは、それを受け取る私たちの側の姿勢です。希望を持ち続けて、主を待ち望みつつ、前進していきましょう。

関真士牧師

2018年6月8日

6月10日2018年の週報に掲載

 2018年度という新しいスタートを切ろうとしている今、私はこの1年、特に2017年11月にホノルル教会に遣わされてきてからの出来事を思い返していました。今年度、私たちこの教会に与えられた年度聖句(イザヤ書43章19節)が、この週報の表紙に掲げられています。
「見よ。わたしは新しい事をする。」
という神の約束を握って歩んだ新しい1年。新しい事がたくさんありました。

 そしてこの年度替りという節目から、新しい年度、新しいステージへと差し掛かった今、新年度の聖句を求めて、皆さまから寄せられたみことばに注目している中で、また、関真士牧師と話す中で、私は愛する弟子達に放たれた、主イエス様の十字架に架かる前の最後のメッセージのみことばが心に響いていきました。

「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。」ヨハネの福音書15章5節

 私たちは、主イエス様というぶどうの木につながる枝です。私たち全員がとどまるべき木は、主イエス様ただひとりです。このお方にとどまるから、人は実を結ぶのです。

 私が見たもの、それは主イエス様にとどまる私たちが沢山の実を結ぶ情景でした。新しい事をなさる神に、私たちキリストの教会は大きな期待を胸に前進していきましょう!

高木牧人牧師

2018年6月1日

6月3日2018年の週報に掲載

 今年度の、年間聖句の提出は今日までです。集められた御言葉を、関牧師と高木牧師が、吟味して、主の御心を祈り求めていきます。

 これは毎年の楽しみな作業です。皆さん違った箇所の聖句を持ってきますが、不思議と一つの流れがあり、主の御心が浮き彫りになってきます。そして、牧師の心の中にあった思いとも一致します。

 教会の頭は、イエスご自身です。教会の霊的リーダーである牧師が、年間聖句を決めるというスタイルも悪いことではありません。しかし、あえてそれをしないで、教会全体に御言葉の示しを求める理由は、教会を導いているのは、牧師や一部の信徒ではなく、主ご自身であることを示すためです。
 教会とは、徹頭徹尾、主イエスのものであり、主イエスの御心が行われる所であり、主イエスの御名が崇められるところなのです。

 ですから、年度代わりだけではなく、常に、主の御心を求め続けるのが教会の健全な姿です。  教会にとっても、そこに集う一人ひとりにとっても、主の御心に従うことが、祝福の秘訣です。どうぞ、この年間聖句の制定のために、心を合わせてお祈りください。

関真士牧師