ハワイの牧師はバーベキューが出来なければ勤まらないと、某牧師が言っていました。料理ならお手のもの、バーベキューも大歓迎です。しかし今回は、鍋奉行ならぬ、バーベキュー奉行もあることを知りました。火をおこす所から、焼く順序、焼き方まで、全部自分が仕切らないと気がすまない、ということです。
そう言われれば、確かに自分は、まず鍋奉行であることは間違いない。年末の鍋パーティでは3種の鍋を朝から準備して、具材を入れて、取り分けるまで、全てを仕切っているし、それが実に楽しいのです。ただし、自分の段取りと違うことが起こると、機嫌を損ねるという厄介な存在でもあります。
この度は、ある方からバーベキュー奉行の名前も頂戴いたしました。喜んでいいのか、悪いのか…。でも皆が美味しいと言って食べてくれるのが何よりです。
バーベキューを見て、いつも思い出すことがあります。ある時、主の祭壇に自分自身を捧げる、という聖化の話をしていた時のことです。ある方が、自分の古き人、肉なるものは、じわじわと弱火でなく強火で一気に焼き尽くして欲しいと祈りました。自分の肉の性質が取り扱われるときは、時間をかけないで、一気にやって欲しいということです。その気持ち分かります。バーベキューで肉を焼く度に、自分の肉性もこのように聖霊の火によって焼かれるのだと…、霊的なバーベキュー奉行なのであります。
関牧師