2010年3月25日

3月28日2010年の週報に掲載

イエス・キリストは十字架で死なれた。 なぜ? 誰のために? この十字架との関わりが、私たちの信仰の内実になります。

イエスの十字架と、どう向き合っていくか? 十字架をどう理解し、そこから何を得ているのか? このことは、何もまさって考え、求めるべきものです。 どれだけの犠牲を払っても、十字架が分かったと言えるようになるのなら、それは無駄ではありません。
それくらいに、私たちにとって、イエスの十字架は全てなのです。 今日から受難週が始まります。 2日はグッドフライデー、4日は復活祭です。 イエスの十字架の恵みをしっかりと受け留め、復活の喜びへ進んでまいりましょう。

復活祭には、5名の洗礼者、3名の転会者が与えられました。感謝します! どうぞ続々と洗礼者が起こされるように祈っていきましょう。

2日には、6PMからミニリトリートがあります。 この時は、それぞれが指定された聖書の箇所を読みます。 そしてその御言葉の情景を思い浮かべ、その出来事の意味を考え、自分へのメッセージを考えます。 メッセージを聞いたりするのではなく、それぞれが黙想します。 主の十字架を深く想う時です。 どうぞ是非ご参加ください。

関牧師





2010年3月18日

3月21日2010年の週報に掲載

先週の主日は中身の濃い一日でした。
 第一礼拝にダン&綾子さんに与えられた双子ちゃんが初めて礼拝に出席されて感激しました。続いて当真のお母さんが引越しをされるので第一礼拝への出席は最後になることを報告されました。それを聴いて涙しました。

礼拝が終わってランチをしている時にゴードンさんが召されたとの知らせを受け、すぐに静子さんの所に行き、そこでも涙しました。

その後、すぐにHOSOIに行き、病床洗礼を授けたケネス宮里さんの葬儀に出席しました。36歳での召天でした。そこでも涙がありました。

最後は、夕礼拝の時に北村さんファミリーが来られ、かなちゃん、たみちゃん、みかちゃんの三人の信仰告白を導きました。そして復活祭に洗礼を受けることになりました。そこにも涙がありました。
ほかにも、苦難から癒され笑顔を取り戻した方、人生の大きな岐路にある方、それぞれに心が動かされます。

たくさん心が動き、涙を流した一日でした。色んな味のする涙でした。教会はありとあらゆる人の集う場です。まさに人生の縮図です。でもそのすべての道に主がおられるのです。どんな時にも、どんな中にも主は共におられる。それをとても強く感じた一日でした。

関牧師


2010年3月14日

3月14日2010年の週報に掲載

風の強い日が続きます。おまけに冷たい風です。でも、とっても気持ちがいい。私がハワイで一番好きなのは、やはり風です。地球儀で見ると太平洋の真ん中の小さな島、今自分が感じている風は、この大海原を通って来たのかと思うと、なんだかとても贅沢な気分になります。まるで、この風に吹かれているのは、全世界で自分だけのような感覚になります。

でも正確に言えば、風の匂いが好きなのです。ハワイは日本ほどの季節の変化はありませんが、ちょうど日本の春先、そして秋口の匂いがするんですね。

厳しい寒さが緩み、梅の花が咲き始め、沈丁花の香りが漂い始める。その頃のなんとも柔らかな風の匂い。また紅葉が始まり、夏のまったりした空気がキリッとしてくる秋の風の匂い、ハワイの風は色々な記憶を呼び起こしてくれます。

よく思い出されるのは、秋の夕暮れ時。なとなく肌寒くなってきた頃、泥だらけで遊びまくり家路に着くと、近所の家から湯煙が立ち上り、まな板をトントンと叩く音が聞こえ始める。家に帰りなんだかホッとしたあの頃が思い出されます。小さな幸せの瞬間でした。聖霊は風のごとくにして、私たちを幸せの一瞬に導いてくださいます。

ちょっと今日は、感傷的になりすぎたかな。

関牧師



2010年3月5日

3月7日2010年の週報に掲載

最近、フィットネスジムに通うようになりました。教会がキリストの体として健康であるためには、まず牧師の体を健康にというわけではありませんが、45歳になって体をいたわるようになりました。
ずらりと並んだウォーキングマシンで黙々と走っている人、人、人、その中でまるでハツカネズミのように走り続けています。

先日はエアロビクスに挑戦しましたが、久しぶりにもうダメかと思うくらいに体を動かしました。 その後は筋トレをやって、サウナで汗を流して終わりです。 心なしか、お腹がへこんだような、胸板が盛り上がったような気がして、ぴりぴりする筋肉痛に満足感に浸っている今日のこの頃です。

それにしても津波騒ぎも、大きな被害もなく守られて本当に幸いでした。 それぞれに様々なドラマがあったようですね。 このような災害の時には、教会と牧師館は避難所として開放されますので、どうぞ遠慮なくご利用ください。 災害は起こってからでは遅いですから、予報がはずれてもいいのですから、どうぞいらしてください。

こんな時には、自然の前における人間の無力さを感じます。 ならば、その自然を造られた神の御前では、一体私たちは何者なのでしょうか? そのかけらのような私たちに、神は目を留め、愛を注いでくださるのです。 恵みですね。

関牧師