2012年3月22日

3月25日2012年の週報に掲載

先週は、礼拝に関するアンケートを配布しましたが、皆様からのレスポンスをいただき感謝いたします。まだ受け付けていますので、今からでも提出してください。
礼拝のメッセージに対する要望もいくつかいただきました。それぞれのご意見に耳を傾けながら、より良い礼拝メッセージのために精進していきたいと思います。

ハワイらしい天気が戻ってきましたね。庭のパッションフルーツの花が咲きました。見るとなるほど雄しべと雌しべが十字架に見えなくもありません。受難のフルーツです。その横では、朝顔も可憐な花を咲かせてくれます。朝顔の英語名はMorning gloryといいます。いい名前ですね。

先の東日本大震災の一周年の時、日本でもその時刻にサイレンが一斉に鳴ったそうです。しかし、その音を聴いて亡くなったり、倒れてしまったり、自殺者が急増したそうです。まだまだ支援の必要は充分にあります。
この週報に被災地への支援ツアーに関するチラシがインサートされています。まだ具体的には何も決まっていませんが、まずは「志」のある方が集まって、そこからどんなアイディアが導かれていくのか、そこからスタートしていきます。

夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。

関牧師

2012年3月15日

3月18日2012年の週報に掲載

先週は角田和子姉の証を通して、神の真実、計画の確かさを知りました。主は生きておられる。ハレルヤ! レントの日々が続いています。どうぞ「レント黙想のしおり」を用いてください。

また
http://www.omsholiness.org/ のJapanese Pageに入ると、オンラインでもご覧になれます。黙想とは静まることです。マザー・テレサの言葉を引用します。どうぞ黙想の参考にしてください。

関牧師

  • 他人の過ちや、罪深いすべてのものに目を閉じ、神の美徳をさがす(目の沈黙)
  • ゴシップや告げ口、無慈悲な言葉等の声に耳をふさぎ、神の声や貧しい人の叫びに耳を傾ける(耳の沈黙)
  • 暗さや動揺、苦しみを引き起こすすべての言葉をつつしみ、私たちを啓発し、鼓舞し、平安や希望や喜びをもたらす神の真理の言葉、イエスの言葉を口にする(舌の沈黙)
  • うそや混乱、破壊的な考え、軽率な評価、他人への誤った疑い、復讐心、さまざまな欲望などに精神を閉ざし、祈りと黙想において神の真理と知識に精神を開く(精神の沈黙)
  • すべての自分本位の考え、憎しみ、うらみ、ねたみ、欲ばりを避け、私たちの心、魂、精神、力において神を愛し、神が愛するように人を愛する(心の沈黙)

2012年3月10日

3月11日2012年の週報に掲載

ハワイは大雨
先週の「そこが知りたい」~今さら聞けない、でも聞きたい~クラスは、とても多くの質問をいただいて本当に感謝でした。時間が過ぎてしまい答えられなかった質問も多く残っているので、第二弾を4月の第一週に持とうと考えています。

「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」という故事があります。また「信仰は聞くことからはじまる」と聖書は言います。まだまだ質問を受け付けますので、気になっている、あの事、その事を、どうぞ質問してください。匿名で構いません。

先週は大雨と雷が凄かったです。夜のドライブ中、一瞬真昼間のように明るくなったと思うと、大地を引き裂くような爆裂音が響いて、私の人生の中で最も近く大きな雷でした。我が家の愛犬CHOCOも、怯えてしまって興奮していました。隣のストリームの周りにポリスの車が待機していて、洪水を警戒していたのでしょう。もし水が溢れたら、とりあえず買い換えたばかりの洗濯機と乾燥機を上に上げてとか色々と考えましたが、幸いに無事でした。

やはり、これから教会でもハザード・マニュアルのような物が必要かなと思いました。災害があった時の安否の確認の仕方など、その方面に知識のある方、作成にご協力くださると感謝です。

レントの黙想②が出ています。どうぞご利用ください。

関真士牧師

2012年3月2日

3月4日2012年の週報に掲載

堀内ふみ姉が天国へ召されました。まさに勝利の凱旋です。1939年11月26日に洗礼を受けられましたから、21歳から94歳で召されるまでの73年間の地上での信仰生活になります。

まさにホノルル教会の歴史そのものです。私がハワイに来た2005年には、まだご夫妻で礼拝、祈祷会と出席していました。ふみさんは度々礼拝の後、その日の説教をまとめて、今日はここが良かったと言ってくださいました。そのポイントは自分が一番伝えたいことで、何度も励まされました。それがやがて出席が困難になってきました。さぞ落ち込んでいるだろうなと訪問すると、いつも「感謝、感謝」でした。週報と祈祷課題を読んで、いつも祈っていてくださいました。教会には「とりなしチーム」という祈りのグループがありますが、ふみさんは、最後までのチームのメンバーでした。

聖霊に満たされるとは、このことだなと本当に分かりました。長男の方が、意識もなくその時を待つばかりのお母さんを見て、神がおられることが分かったと言われるのです。それはふみさんの内に住まわれる聖霊の臨在です。

教会を祈り支えていてくださった方々が天に召されていくことは、寂しさ極まります。しかし、そこには希望があります。私たちも偉大な信仰の先輩方の後に続きましょう。地上の最後の一息まで、主と共に歩みましょう。

「みよわたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」 マタイ28:20

関真士牧師