ある釣り人が魚を釣ったのですが、釣り上げるたびに、物差しで計るんだそうです。そして魚が物差しよりも大きいと、池に放ってしまうのです。逆なら分かるのですが…。近くでそれを見ていた人が「なぜ、せっかく大きいのを釣ったのに、なぜ捨ててしまうのですか?」と尋ねました。釣り人は答えました。「この物差しは、家にあるフライパンの大きさなんだ」
私たちの、これまでの経験、知識は、あるいは常識の物差しで、神の恵みを計るとすると、せっかくの恵みを無駄にしてしまうことがあるかもしれまね。せっかく主に期待するのなら、信仰がなくても納得できてしまうようなものではなく、信仰がなければ受け入れられないものを期待しましょう。
私たちが自分のフライパンで、神の御心を計るのではなく、神の物差しに、私たちが合わせることが出来ますように。さあ、思い切って、主に期待し、主に大胆に求めましょう。主はどんなに素晴らしいことを私たちに与えてくださることか。
関牧師
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