2015年3月20日

3月22日2015年の週報に掲載

 十字架の七言の一つ一つに、心の深くを探られ、触れられます。今日は6つ目の言葉「完了した」です。

救いは、完了したのです。誰もこれに付けたすことも、差し引くことも出来ません。完了しているのですから、私たちはそれを受け取るだけしかできません。信じるだけで救われるのです。

 信仰とは、信念とは違います。自分の意志の力で煩悩を振り切って獲得するものではありません。信仰とは、神の救いを受け入れることです。

 日本では「イワシの頭も信心から」と言います。信じる心が大切で、何を信じているかはあまり関係がないようです。

 しかし、私たちは何を信じているのか? それは信じるに値するものか、信じて大丈夫なのか、それらを納得した上で信じるのです。

 イエス様が十字架で命を捨てられた。自分のためにイエス様は神の罪に対する裁きを受けてくださったのです。だから、私たちの罪は赦されました。罪が赦されたので、永遠の命をいただき、神の子とされ、神と共に生きる者にされたのです。この事を信じますか? これは信じるしかないことです。

関真士牧師

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