2018年5月25日

5月27日2018年の週報に掲載

 教会における「交わり」(Fellowship)とは、神から与えられた恵みです。
 それは、ただの仲良しグループとか、気の合う者同士の集まりとかではありません。教会における「交わり」とは、人生を共に生きることです。

 共に生きるとは、この聖書のことばに集約されています。
「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。」

 共に生きるとは、喜びも悲しみも、共有していきることです。教会には、老若男女、様々な人があつまります。産まれる喜びもあれば、召される悲しみもあります。結ばれる喜びがあれば、離される痛みもあります。癒されたという喜びがある一方で、病を得たということがあります。人生のすべがあるのが教会です。

 私たちは、その相手と自分が、いつも同じ状況にあるとは限りません。自分が辛い時に、喜んでいる人と一緒に喜ぶことは容易でありません。また自分が喜んでいる時に、悲しんでいる人と一緒に悲しむことも容易ではありません。

 しかし、そこで心を寄せていくのは、教会の主であるイエスが喜んでおられるから、イエスが悲しんでおられるからです。この御言葉の通りの交わりが実現するのは、一人ひとりが、イエスの心に想いを向けていくときなのです。

関真士牧師

2018年5月18日

5月20日2018年の週報に掲載

 吉田文人&直実 牧師夫妻をお招きできたことを心から感謝いたします。

 文人先生は、2007年12月に当教会で受洗し、その後東京聖書学院で学び、現在は熊本植木キリスト教会で牧会をしています。熊本地震の時には、震源地の隣町にある教会が被災し、大変な中を通られました。しかし、その時に福島で牧会をしていた直実先生が震災ボランティアに来られ、そこで二人は出会ったのでした。

 さらに、植木教会と合併したことで、植木教会の教会堂を使用することになり、以前よりもかなり広い建物になりました。

 震災は、間違いなく辛いことでしたが、その中にも神さまの不思議な導きがあり、二人は一つになり、二つの教会も一つになりました。

 文人先生がハワイにいた時、「自分は何がしたいのか分からない」言っていました。そんな彼が、イエスを信じ、洗礼を受け、神と共に歩む人生をスタートし、神に天職が与えられ、今や牧師として活躍しているのを見る時に、主の計り知れないご計画に、ただただ感無量です。

 神と共に歩む人生はドラマチックです。神は確かな計画をもって私たち一人ひとりをこれからも導いてくださるのです。

関真士牧師

2018年5月11日

5月13日2018年の週報に掲載

 5月2日~5日にかけて、富士山の麓にて開催されたGlobal Returnees Conference(帰国者クリスチャンの修養会)に出席してきました。新しいつながり、新しい視座を頂いた祝福いっぱいのカンファレンスでした。

“帰国者は日本で教会に定着するのが難しい。”
 これまでもずっと言われ続けているこの課題に、最後の集会ではメッセンジャーの先生を通して、主はこのように語られました。

「私たちの国籍は天にあります。」ピリピ3:20

 新しい環境に一生懸命、順応しようと頑張らなくていい。そのままでいい。なぜなら、私たちの真実のホームは、アメリカでもなければ日本でもない。天の御国なのだから。

 天の喜びに溢れて語られる先生の姿に、私自身大きな励ましを頂きました。

 ハワイの地に建てられているホノルル・キリスト教会。私たちもそれぞれ様々な背景があって、きょうこの所にいます。
 「私」を取り巻く環境は移り変わります。しかし、「私たち」のホームは永遠に変わらない。その事実を深く噛み締めて、新しい1週間も天の喜びの中を歩んでいきたいと思います。

高木牧人牧師

2018年5月4日

5月6日2018年の週報に掲載

 高木牧人牧師と金子千恵さんの婚約を心から祝福します!

 ここに至った経緯は、いずれ本人から聞くとするとして、私たちは、神が今ホノルル教会に送ってくださっている波に乗っていきたいと思います。
 この婚約は、両人にとっては、当然人生における一大転機です。同時に、ホノルル教会にとっても、主が送ってくださった牧師に伴侶が与えられるということは大きな転機となります。

 牧師不足が叫ばれる中で、二人の牧師が与えられていることは、本当に主からの恵みです。これから二人が牧会に加わることで、さらに広く、深い、牧会が出来ることでしょう。

 ホノルル教会は、神の祝福をたくさんいただいています。祝福とは、いただいて終わりではなく、祝福を受けた者は、祝福の存在となり、祝福を与える者になります。
 ホノルル教会は、祝福の源となります。今年度の聖句の通りに、荒野のオアシスのようになります。

 これから主は、どんなに素晴らしいことを起こしてくださるのでしょうか。新しい牧師夫妻が与えられるという祝福は、教会のこれからの歩みにとって、どんな意味があるのでしょうか。主が始めておられることが、成し遂げられますように。

関真士牧師