2010年8月31日

8月29日2010年の週報に掲載

ジョシーこと、石原良人師が天に召されました。 58歳でした。 肺がんで…と普通は言いますが、人は神の時が来なければ死ぬことは出来ません。 肺がんで死んだのではなく、神の時が来たので神のもとに召されたのです。 ジョシーは闘病に負けたのではありません、今や神の栄冠を頂いて天に勝利の凱旋をしたのです。

ジョシーの言葉「俺は幸せ者だよ! イエスが全て、イエスが宝、イエスで充分だ!」人間的な力が弱り、取り去られていく中で、最も大切なものは決してなくならない、いや最も大切なものが何かに気づかされるのだと思います。

日本の教会にとって、セルチャーチの普及において大きな貢献をなし、最近ではひきこもりの若者たちの霊的父として、一般社会の中にも活躍の場を拡げていました。 ホノルル教会にも3回来られて、その度にセミナーなどを持ってもらいました。 私自身も大きな影響を彼から受けました。ジョシーの功績は日本の教会に留まらずにアジアの教会リーダーたちにも及んでいました。

しかし、ジョシーが一番喜んでいたことは、功績や名誉などではない、イエスを知ったこと、これに比べたら全てが塵あくたのようだと、まさにパウロの心境と同じです。 最も脂の乗った活躍の時に、天に召されました。 しかし最後に「俺は幸せ者だ」とジョシーに言わせた神の恵みは、私たちの常識を超えて素晴らしいのです。

ジョシーのサイトはココをクリック

関牧師



8月22日2010年の週報に掲載

今日は「心に光を」講壇交換です。一年に一度のこのイベント、他教会の牧師のメッセージを聴けるのも楽しみの一つです。 今年はカリヒユニオン教会から、日本で長年に亘って宣教師をされていた鈴木洋吉先生をお迎えしています。

「心に光を」放送、AMラジオKZOO1210 月~金 2:45PM~
この放送が始まって今年で28年目を迎え、KZOO放送の中でも最も長寿番組となりました。

とにもかくにも、ハワイではラジオKZOOを聴いておられる方が大変に多いということです。 これはハワイならではの特色だと思います。 日本でも福音のラジオ放送は行われていますし、それで救われた方もいます。 でも普段の生活の中で、その放送を聴いているという人には会ったことがありません。

しかしハワイでは、実に多くの方がKZOOを聴いておられます。 ということは、これだけの多くの方に確実に福音を届けることが出来るということです。 しかも週5日、午後の良い時間帯です。こんな状況は、日本で伝道していた者にとっては夢のような話です。

これからも「心に光を」放送を続けていきたいと思います。 そのためにお祈りください。 そしてこれからも献金をもって支えてください。 放送のごとに、確実に誰かの耳に福音が届けられているという事実、これこそ最も価値あることです。


関牧師






2010年8月14日

8月8日2010年の週報に掲載

とうとう庭のバナナが黄色く熟し始めました。 完熟のバナナは本当に美味しいですね。 ハワイならではの恵みです。

 先回から「使徒信条」を礼拝メッセージとして連続で語っています。 今日は「天地の造り主を信じる」というテーマです。考えれば考えるほど壮大なことです。神がこの天地万物を造られたことを信じるのですから。しかもそれを「信じています」と告白するのです。

 天地の造り主なる神があなたの神となる。この真理が、今の自分にとってどれほどの意味があるのか? 「ああそうなんだ」で終わってはあまりにももったいない話です。

「鰯の頭も信心から」と言いますが、信仰の対象が何であれ、信じる心が大事なんだと、鰯の頭であろうと、石ころであろうと、信心すれば…、という考え方もあります。 でも聖書が述べる信仰とは、何を信じているのかを明確にします。 私たちは天地の造り主を信じているのです。

「困った時の神頼み」という言葉もあります。 困った時に、頼る相手が鰯の頭では何とも頼りになりません。 私たちが頼るのは「天地を造られた神」なのです。 この一週間、どうぞ黙想してみてください。 
自分の信じている神は、天地を造られた神だということを。 それが心の底から分かったら、どれだけの安心感があるだろうか? この信仰告白の力を体験させていただきましょう。

関牧師





2010年8月12日

8月15日2010年の週報に掲載

8月15日。私たちにとって特別な日です。 日本における第二次世界大戦の終戦記念日です。 1945年8月14日ポツダム宣言受諾。 翌15日、天皇陛下による玉音放送がありました。戦後65年が経ちました。 世界では変わらずに戦争という、人が人を殺すことが合法化され、称賛されるという異常な行為が続いてます。

私が子供の頃、母はよく東京大空襲の話しをしてくれました。 母がいたのは東京の両国という、まさに空襲の中心地であったそうです。 多くの人々は学校に逃げ込みました。 先に中に入った人たちは、後から逃げて来る者たちが入れないように、鉄の門に錠をかけたそうです。 学校の中も一杯だったのです。 しかし、安全と思った学校内は、火の蒸し焼き状態となり、今度は学校の外へ逃げようとしましたが、自らかけた錠が熱で真っ赤になっており、門を開けることが出来なかったということです。 その学校の門に行ったことがあります。 門の内側には死体が黒山になっていたそうです。 私の母の家族は、学校ではなく駅に逃げました。 両国の駅です。 そこで九死に一生を得たということです。

ハワイの真珠湾、ここから悲劇が始まりました。 西欧と東洋の中心にあり、ここを叩けば世界を征服できると思ったのでしょうか? しかし今、私たちは祈ります。 ここハワイから世界に福音を伝えることを。 このキリストの愛と平和がここから東に西に拡がることを。

関牧師