2011年6月20日

6月19日2011年の週報に掲載

今日は、父の日でもあり、教会総会でもあり、安藤先生を特別ゲストにお招きしたり、盛りだくさんの日です。盛りだくさんと言えば、牧師館の庭のバナナが3房ぶら下がっています。熟すのが楽しみです。
特に本日は、教会総会が開催されますが、この時私たちが属する、この集団が、どのような集団であるかを考える良い機会であろうと思います。


教会は、企業のようで、学校のようで、病院のようで、施設のようで…、またある国、ある時代においては、軍隊にもなり、政府にもなりと様々です。しかし、教会とは教会であり、教会以外の何ものにも代わることは出来ません。教会とは「共同体」です。


「共同体」とは、同じ使命のために、等しく責任を持った者たちの集まりです。教会が維持、運営され、キリストを証しするという使命を実行するために、「等しく責任を負っている者たち」の集まりです。
つまり、お客さんではなく、それぞれが主体であるということです。だから聖書は「愛し合い、赦し合い、仕え合い、慰め合い」と「合い」と語るのです。どちらか一方が、「する人」で、一方が「される人」ではなく、お互いが「し合う」のです。これが共同体の姿です。


なすべきことは、みな違います。賜物が違うからです。大切なのは、与えられたタラント(賜物)を忠実に用いることです。それが教会への責任の一つです。あなたの存在と賜物に応じた働きが、教会には絶対に不可欠なものなのです。




関牧師






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