2013年11月21日

11月24日2013年の週報に掲載

 「この天下にイエスの名以外に救いはない。」なんと大胆な宣言でしょうか? よく「登る道は違っても、行く着く頂上は同じだ」と言います。宗教は色々あるけれども、目指す所は同じ、同じ救いに至るのだということです。確かに目指している所は、つまり救いを求めている事においては同じでしょう。しかし、それぞれの宗教における「どうしたら救われるのか?」「救いとは何だ?」の定義がそれぞれ違っているのです。道が違ったら、行く着く所は違います。そもそも、救いへの道は、人間が勝手に作り出せるものではないのです。

 主イエスは「わたしが道であり、真理であり、命なのです。誰でもわたしを通してでなければ父のもとに来ることは出来ない」と語られました。聖書は、明確に述べています。救いとは、主イエスを救い主として信じることによって与えられるのです。私たちは、ここを曖昧にすることは出来ないのです。

 この真理が、私たちがキリストを宣べ伝える理由となります。他に救いがあるのなら、何も命をかけてキリストの福音を伝えることもないのです。しかし、これしかないのです。ですから私たちが、教会が伝えなければならないのです。

 そして、私たちが、キリストの愛に燃やされて、キリストを証しようとする時、どうしても、自分の力の足りなさを実感します。この一人の罪人に、キリストを証することなど出来ないと思わされます。キリストを証したい、しかし出来ない、という二つの思いに板挟みになるのです。この葛藤を打ち破る秘訣は、ただ一つ「聖霊に満たされる」ことです。聖霊の満たしを求めていきましょう。

関真士師

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