2014年4月24日

4月27日2014年の週報に掲載

 風の強い日が続きます。ヤシの木が、今にも折れそうにしなっています。でも、不思議と折れません。あの“しなり”がいいのでしょう。

 私たちも、心に「しなやかさ」を持ちたいものです。心が堅いと、一見強そうに見えますが、人生の嵐が吹くと、意外と簡単に折れてしまいます。しかし、一見弱さそうに見えても、「しなやかさ」を持っていると、折れません。

 「しなやかさ」の秘訣は、根の強さにあります。根が強いから、あっちに、こっちに、吹かれても折れないのです。

 私たちは確かに、外から吹いて来る風に影響されます。情報の風、環境の風、人間関係の風…、それらに吹かれてあっちへ、こっちへ。しかし、しっかり真理に根差していると、影響はされるのですが、それに振り回されて倒れることはありません。

 私たちは、御霊の実を結ぶ木でありたいのです。この木が折れたら、実を結べません。どんなに嵐がやって来ても、折れない、倒れない、そんな木になりましょう。そのために、真理に根をしっかりと深く張りましょう。

 真理とは、イエス・キリストです。

関牧師

2014年4月17日

4月20日2014年の週報に掲載

 復活の主を、心から賛美します。

 多くの教会は、伝統的に日曜日の朝に礼拝をしています。もちろん、日曜日以外は、礼拝できないということではありません。私たちは常に、どこに居ても、神を礼拝する者たちです。

 日曜日の朝というのは、イエスが復活したのが日曜日の朝だからです。カレンダ―では、日曜日は週末ではなく、週の始まりです。ですから日曜日が左端にありますね。

 私たちは、この朝、天地を創造された神。私たちのために十字架で死なれ、救いを完成してくださった主イエス。今も、私たちと共にいてくださる聖霊なる神。この三位一体なる真の神を礼拝するのです。

 ここから新しい一日が始まり、新しい一週間が始まり、新しい人生が始まるのです。

 復活祭とは、キリストが復活されたことを記念する日です。主は今もいきておられる! これが私たちの信仰です。

 ご一緒に、主の復活を祝い、だたし昔の出来事を懐かしむのではなく、今も生きておられる主を喜ぶのです。

関牧師

2014年4月10日

4月13日2014年の週報に掲載

 いよいよ今日から受難週に入る。英語ではPassion Weekと言います。Passionとは、情熱と訳されますが、同時に痛みとも訳されます。メル・ギブソンが制作した映画「Passion」は、痛みの意味で、主のイエスの十字架の痛みを表しています。

 情熱と痛み。意味として結びつかないようにも思えますが、イエスの十字架の痛みは、神の熱情の愛のゆえであることを考えると意味が結びつきます。 神の私たち人間への愛は、無条件、無代価、一方的、ただ与えるのみ。最後には、十字架で命まで捨ててくださった。

 私たちは、十字架を必要としているのでしょうか?十字架を必要とするのは、罪人だけです。正しい人、無関心な人は、必要としません。なぜなら、私たちの罪の刑罰を身代わりとなって受けてくださったのが、十字架の死だからです。

 イエスの十字架は、私のために、私の罪のために、と言える者でなければ、十字架とは無関係です。私たちは、十字架を見上げる者ででしょうか。それとも十字架に敵対する者でしょうか? 受難週の時、共に十字架の主の前に立たせていただきましょう。

関牧師

2014年4月4日

4月6日2014年の週報に掲載

 受難節も佳境に入って来ました。今年は18日(金)7PM~日英合同でグッドフライデーの集会が持たれます。是非ご参加ください。
黙想の小冊子を配布して、礼拝後に分かち合いの時を持っています。まだ受け取っていない方は受付で頂いてください。

 今年の受難節のテーマは「御霊の実を結ぶために」です。そのために、まず御霊の実に対立するものを自分の内に発見すること。その肉なる思いを十字架につけてしまうということです。「対立」ですから、最後には「勝利」で終わりたいと願っています。

 「親切の実」「善意の実」、それは愛を動機として、愛を実践することです。この愛することに対立するものは、自己中心です。この自己中心を強化するものが「心の傷」です。私たちは、指先の小さな傷でも、痛みがあると全身の神経がそこに集中します。心の傷も同様に、その痛みに捉われてしまうのです。そうすると、常に自分の痛みが中心で、被害者意識に陥ります。私たちが愛するために生きるには、心の傷を癒していただいて、受けることから、与えることに生き方を変革することです。

関牧師