緒形拳が演じるのは、終末医療を地域で実践する医者である。その息子は、都会の大学病院で活躍する麻酔医である。この息子は、女ぐせが悪く、そのために彼の妻は自殺をし、二人の子供は祖父になる緒形拳が育てている。
ある時、その息子は自らが末期がんであることを知る。彼は、自分の人生を振り返りながら、父と子供たちの元に帰っていく。しかし、父には勘当され、子供には自分が死んだことにされている。そんな中で、息子は父の近くまで来るのだが、なかなか父に会う勇気がない。
おっと、ストーリーは、ここまでにしておこう。脚本の倉本氏は、クリスチャンではないと思うが、内容は聖書の「放蕩息子」そのものである。彼の前作「優しい時間」というドラマも、内容的に全く同じ設定である。彼が一連のドラマを通して訴えているのは「赦し」である。それだけ、現代に生きる人々は「赦し」を求めているのだろう。
しかしドラマを見る限り、話しがうまく行き過ぎる、という感想は否めない。そんなに人は人を「赦す」ことが出来るのだろうか? 逆に、やはりドラマだからと思われてしまうような感じが残る。聖書の放蕩息子は、まさに無条件で赦される。しかし、この赦しは許しではない。その赦しの根拠は、十字架におけるイエスの身代わりの死という事実がある。罪の裁きがなければ、赦しは成立しない。神の赦しは、十字架の裁きを経た赦しである。だから確かなのだ。
関牧師
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