イヤー参ったな、という感じでしたが、何か大きな祝福の前触れのような気がしました。別に根拠はないのですが、出来事を肯定的に考えることが出来るというのは、神の計画の中に生きている者の特権だと思います。
水曜日に持たれた住民説明会には、本当に大勢の教会の方々が集まりました。何人かの住民から、おもに駐車場についての問題が指摘されました。結局日を改めて、今度はCITYが主催する公聴会が開かれることになりました。
「神、その道は完全」(詩篇18:30)
私も奇跡的に住民の納得が得られて、建築への道が開かれることを期待していきました。しかし結果は、そうではなく、明確な反対の意志を聴くことになりました。しかし、こんな時でも、神の計画を知る者にとっては、残念であると共に、どこかに楽観的な部分があります。それは、神の計画は完全である、という信頼があるからです。
むしろ、これから神はどのような道を開かれるのか、そこへの期待感が心に膨らんでいきます。
結局、携帯電話を乾かしていたら次の日の朝には復活していました。車もバッテリーを交換して事なきを得ました。神の最善の計画に信頼して、祈りつつ、私たちも最善を尽くしましょう。
関牧師
0 件のコメント:
コメントを投稿